(221)チート

 異世界ファンタジーに付きものの「チート能力」というものがあるが、最近読んだファンタジー作品では「チート能力無双」をしている主人公のセリフで、その国の領主だったか商人だったかに、


「ズルは許さない!」


 と言いながら世直しをしてゆくというものがあった。


 ・・・これはどう解釈すれば良いのだろうか。


 そもそも「チート」とは「ズルをする」という意味だ。


 英語で「チート」「チーティング」と言えば、「ズル」「ズルをする」という意味な訳で。


 そもそもズルをする能力を持っている主人公が「ズルを許さない!」というのは・・・


 何と言うか、「盗人ぬすっと猛々たけだけしい」という事なのか、「厚顔無恥こうがんむち」という事なのか・・・


 現実世界にもよくある例で、嘘つきな人ほど、


「俺は嘘が大っ嫌いなんだよ」


 みたいなセリフを他人に対して吐き捨てる事が多い気もする訳で。


 なので、物語の作者が「神に貰った特別な能力」の事を「チート能力」と呼んでいる様にも聞こえる訳で。


 神に貰った能力ならば、別にズルでも無ければ悪でもない筈だ。


 その力をどう使うかによって善人にもなれれば悪人にもなる。


 現実世界の宗教的なジンボルとして称えられる神々も、善も行えば悪も行ってきた訳で。


 ルシファーなんてのは「堕天使」と呼ばれる訳で、つまりは天使だったのに堕落して「悪魔」と呼ばれる様になったという背景がある訳だ。


 つまり、主人公が神から与えられた力が「チート能力」なのだとすると・・・


 それってどう解釈すればいいんだろうか?


 神がズルを推奨しているという事?


 なのに「ズルは許さない!」というセリフを吐く主人公の、ダブルスタンダードを許容する物語というのは・・・


 うーん、ちょっと僕には理解が出来ないんだよな。


 世の中には色々な物語があって、どんな設定や表現があっても良いとは思うのだが、「世界の価値軸がブレている物語」というのは、読んでいて混乱をしてしまう僕なのであります。


 僕の頭が固いのか、それともこういう物語はやはり人々から敬遠されるものなのか、はたまた、むしろこういう物語が今はウケるのか、もしかしたら、世の中はむしろこうした価値観で動いているのか・・・


 読者がどんな価値観で物語を読もうとしているのか、もしかしたら僕は理解できていないのではないかとも思えてしまう訳で・・・


 ちょっと人気作品を読んで、どういう世界観が求められているのか、もっと勉強した方が良いのかも知れないな・・・


 うん、考えておくとしよう。


 そんな悶絶していた一日を過ごす、今日の僕なのでありました。

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