(126)久しい声

 今日は数年間連絡を取り合っていなかった人から電話があった。


 数年前までは代理店の営業マンだった人なのだが、その会社のリストラによって僕は取引を止めさせられ、それを不満に思ったその営業マンも退職してしまったのだ。


 その彼は同業の別会社に転職し、一度僕の元に挨拶に来たのだが、個人事業主である僕はその会社との取引をする事が出来ないらしく、とても残念がっていた。


 それから数年間は音沙汰が無かったその彼から、久しぶりに電話が来たのだった。


 聞けば、今の会社で部長に昇進したという事で、ある程度の決裁権を持つ事が出来る様になったとの事。


 そして、僕と何らかのコラボが出来ないかという事らしい。


 なんとまぁ、有難い話だな。


 コロナ禍で落ち込んだ業績を取り戻すべく、もっと色々な顧客から受注を得たい僕にはピッタリな話だ。


 とはいえ、すぐにどうこうできるという事でも無いらしく、どこかのタイミングで僕をその会社の上司に紹介したいのだそうな。


 なるほど。


 少しずつ僕を取り込める様に頑張ってくれているんだな。


 ありがたや、ありがたや。


 手前味噌ではあるが、僕の強みは作成する提案書のクオリティの高さだ。


 個人事業主とはいえ一応は経営者な訳だし、これまでコンサルしてきた顧客は大手企業ばかりなので、起業してから10年以上経過した今は、色々なノウハウを蓄積できている。


 なので当然、そこらのサラリーマンが作る資料よりもクオリティが高いのは必然という訳だ。


 しかし、数年間ご無沙汰だった人からそういった連絡があるのは本当に嬉しい事だ。


 何と言うか、普段は孤独に仕事をしている僕に、自信を与えてくれる。


 それは言わば「自尊心」を担保してもらえたという気持ちに近い。


 人間は自尊心が無くては生きていけない。


 でなければ「自分は生きていてもいいのだろうか」と疑い始めてしまうからだ。


 なので自信を持って生きて行く為には、自尊心を醸成する事は不可欠なのだ。


 僕の作品にも自尊心の大切さについて触れたものがある。


 将来の夢や希望といったものは、そうした自尊心を担保できる未来が見えるかどうかが肝だという事を物語の中に織り交ぜた訳だ。


 今の日本社会は「自分は生きていてもいいのか」と悩む中高年が増えていると聞いた事があり、そうした事への提言のつもりで描いたものだ。


 僕もコロナ禍はヤバかった。


 コンサルの仕事が無くなり、道を見失いそうになっていたかも知れない。


 だけど、そうした久しい声を聞く事で、僕の自尊心は再び確立されていく気がするんだよな。


 色々な人からの温かい声援は、本当に僕の自尊心を形成してくれる貴重な声だ。


 これからも、そうした人を大切にしていきたいと思う、今日の僕なのです。

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