(119)悪運
いろんな作品で、こんなセリフを見る事がある。
「悪運の強い奴め!」
子供の頃の僕は、この言葉の意味を理解出来ていなかった。
「運がいい」又は「運が悪い」と言えば分かり易いのに、「悪運が強い」というのはどういう事なんだと。
このセリフを吐くキャラクターは大抵、相手に何かの攻撃をしたけれども、その攻撃をかわされたりしていた。
なので、きっと「悪運」というのは、攻撃を外した自分自身に向かって自嘲の意味で発する言葉なのだと思っていた訳だ。
しかし大人になって、とある駅前で、何かの宗教の勧誘をしている人に、
「あなたには『福運』が足りていないので、あなたの幸福の為に祈らせて下さい」
と声をかけられた。
僕は逃げる様にその場を去ったのだが、帰りの電車の中で、
「福運って言ってたか?」
と心の中で考えていた。
もしかしたら、これまで謎だった「悪運」の対義語が「福運」なのではないのかという考えに至り、自分自身の「運」について考える様になった。
思い起こせばこれまでの僕の人生では色々な体験をして来た訳だが、あまりに波瀾万丈な人生なあたり、決して「福運」に恵まれていた訳では無さそうだ。
かと言って、「運が悪い」というのも違う。
何故なら、これまで「死んでもおかしくない状況」に幾度も遭遇し、それでもまだ「生きている」からだ。
先ずは何より、阪神大震災に遭遇したにも関わらず、かすり傷程度で済んだ事だろう。
これは何度考えても運がいいとしか思えない訳で。
車関連でも、交通事故を6度経験したが、そのうちの1つは、信号無視の車に横から突っ込まれ、制御不能になった僕の車がファミレスの建物に突っ込むという大事故だった。
にも関わらず、右手を骨折しただけで済んだのは、僕の「運」が良かったからだろう。
しかしこういうのは「福運」とは違う筈だ。
きっと「福運」の強い人ってのは、震災に遭う事も無いし、事故に遭う事も無いのだろう。
つまり僕は「悪運」が強いという事だ。
やたらとトラブルに巻き込まれたりする事も多く、30歳の時にはホームレスまで経験した。
そこから人間らしい生活に辿り着くまでの道のりだけでも一編の小説に出来そうだが、その間も様々なトラブルや生死を分ける出来事があった。
何度も「もう死んでもいいや」と思った事がある。
コロナ禍では政府の愚策で経済的に死にそうになったが、それでもまだ何とか生きている。
つまり「悪運」とはそういう事だったのだ。
九死に一生を得る力を宿した「運」こそが、「悪運」の姿なのだ。
という訳で、「悪運まみれ」の僕だからこそ体験出来たエピソードを、記憶を頼りにメモしていき、いずれ新しい作品に活かしていきたいと思います。
悪運も運のうちな訳で、運が不良のままってのも可哀想だ。
いずれ運が更生して福運になればいいのになと、そんな事を考えている今日の僕なのでありました。
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