(51)バナーナ
小説の中で、日本語をカタコトで話す登場人物が出て来る事がある。
こういう場合、大抵は登場人物が外国人だったりする訳だが、セリフをカタコトの日本語にしようと思う時に、「カタコトってどういうの?」という壁に当たる事がある訳だ。
何となくカタカナで表現すればカタコト感が出る気もするのだが、イントネーションのおかしさを表現する為に、何となく英語の読み方っぽくアレンジする事でそれっぽくしてみる事がある。
例えば、バナナを「バナーナ」と表現してみたり、トマトを「トメィト」と表現してみたり、「パワー」を「パゥワ」と表現してみたり。
しかし、「バナーナ」は読者もすぐに頭の中で「バナナ」をイメージできるのに、トマトを「トメィト」と書くと、とたんにトマトを想像できなくなったりする。
むしろ「トゥナイト」みたいな「ときめきタイム」を連想してしまうのは僕だけだろうか。
不思議だ。
声に出して読めば、確かにトマトが想像できるのに、文字にすると途端にトマトのイメ-ジが頭から消し飛んでしまう。
ほんとに不思議だ。
「パゥワ」と書いても「パワー」の事だとすぐに連想できる人はどれほどいるんだろうか。
そもそも、カタコトってのは、流暢な日本語と何が違うのだろうか。
語彙の広さの差はあるだろうが、声に出して「カタコトだな」と思うのは、やはりイントネーションの差が大きいからではないのだろうか。
だとすると、以前にもここで書いたが、「イントネーション」を文字で表現するのはとても難しいという結論からすると、カタコトの日本語を表現するのも、実はとんでもなく難しい事にチャレンジしているという事では無いのだろうか。
今日の僕は、頭の中でそんな堂々巡りをしつつ、タイ料理屋でタイカレーセット食べていた訳です。
そういえば、初めて入った店だったけど、めっちゃ旨かったな。
都内の浅草橋付近で見つけた店なのだが、店の名前をメモっとけば良かったな。
まぁ、いっか。
また今度、店員の会話を聞きながら、カタコトについて思いを馳せる事にしよう。
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