(34)自然に学ぶ

 最近、というか結構以前からそうなのだが、僕は「物忘れ」がひどくなってきている。


 IDやパスワードを忘れるなんて日常茶飯事で、銀行のインターネットバンキングのIDをド忘れして、思い出せずに振込できないという困った事もあった。


 こんなのは序の口で、仕事の最中に車を走らせながら、


「あれ? 俺って今どこに向かってるんだっけ?」


 なんて事もあった程だ。


 年齢のせいなのだろうか。


 それともアルツハイマーにでもかかってしまったのだろうか。


 よく、物忘れの酷い人の事を「にわとり頭」と例える事がある。


 初めてこの表現を耳にしたのは20歳くらいの時だったと思うのだが、この表現の意味を知った時には大笑いしたのを覚えている。


 事実にわとりを見ていると、3歩も歩けば「何してたんだっけ?」みたいな表情をして首を傾げているので、実際には物忘れをしている訳では無いのだろうが、まるでその様に見えるのが面白くて大笑いしてしまった訳だ。


 これも「比喩表現」の一種であり「擬人化」の一種でもあるのだろうが、こうした表現を思いついた人って本当にすごいなと思う訳だ。


 尺取り虫だって「尺を計っている様に見える」と思った人に名付けられたのだろうし、「千鳥足」だって、千鳥という鳥がフラフラと歩く様を見てそう名付けたのだろうし、とにかく自然界にいる様々な動物の動きを人間に当てはめていくというのは、その言葉を考えた人がいつも自然と触れ合っていたからこそできる事なのだろうと、そう思うのだ。


 となると、これまでに有名になった文豪達というのは、もしかしたらものすごく「アウトドア派」だったのではなかろうかという仮説が、にわかに僕の中に生まれる訳で。


 そこそこアウトドア派のつもりの僕自身だが、文豪達の観察眼を想像するに、僕など全然自然と触れ合えていないのだと思い知る訳だ。


 インターネット技術が発達して、何でもインターネットで調べられる社会にはなったものの、想像力を働かせる為の「経験」が出来ないのはいただけない。


 やはり色々な体験を、手に触れて感じる事から生まれる表現というものがあって欲しいと願う訳だ。


 そこで今日、台風が去って秋晴れの都内の公園を散歩してみた訳だが、公園の中は子供連れの家族が大勢いて、どうしてもほっぺがかわいい子供達の方へと視線が奪われてしまう。


 なるほど。


 どうやら僕には自然をつぶさに見てられる程の観察眼は無い様だ。


 僕はまだまだ未熟だな。


 もっと自然と一体にならなくちゃな。


 うん。


 もっと頑張ろう。

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