(18)感情移入

 小説を読んでいると、色々な「視点」で描かれている。


 一人称視点だったり、第三者の視点だったり。


 つまりは読者が「どの視点で情景を思い浮かべるか」を、作者側がコントロールしている訳だ。


 僕が書く小説は、主に一人称視点が多い。


 つまりは「登場人物に感情移入して欲しい」と思っているという事だ。


 しかし、第三者の視点で描かれる小説も沢山あり、これらは云わば「テレビドラマを見ている視聴者の視点」だと僕は思っている。


 僕は子供のころから、第三者の視点で描かれる小説よりも、一人称視点の小説の方が好きだった。


 何故なら、まるで自分が冒険しているような気分になれたからだ。


 情景描写をする上で、どうしても客観的な視点というのは必要になるが、それでも大半を一人称視点で埋めて行けば、その作品への感情移入はしやすくなるのではないかというのが僕の持論だ。


 しかし、それだと困る事もある。


 作者が男である以上、登場人物が女性の場合に一人称視点で心の動きを描くのが困難であるという事だ。


 恋愛作品なんかを書く時は特にそうだ。


 偏見かも知れないが、恋愛における心の動きは、男性よりも女性の方が表情が豊かな気がしている。


 豊かでもあるし「広大」な気もしている。


 どういう事かというと、男性が女性に抱く感情というのは「美人だ」「可愛いな」というような、「美しいものを見たい」という気持ちと、それを「征服したい」みたいな感情が大半を占めている気がする。


 いわば「所有欲」のようなものだ。


 若い頃の僕も似た様なものだったが、これは何とも侘しい話だ。


 年齢と共に「人を愛する」という事を深く考える様になり、やがて「感謝のキャッチボール」が「愛する」という事なのだろうと考えるに至ったのが今の僕だ。


 なので、昔の熱血ドラマみたいに「コイツは俺の女だ!」とか「この女は俺のモノだ!」なんてセリフは不愉快でさえある。


 お互いが人格を持った人間同士である以上、お互いが尊重し合えなければならない訳で。


 となると、小説を書く上でも、登場人物の人格を尊重しなければ、読者が感情移入できないのではないかとも考える訳で。


 しかし、自分の感情は自分にしか分からないという事実もある訳で・・・


 そうして今日も、堂々巡りを繰り返す僕がここに居るのであった。

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