第8話 毎日の話5

「存在感ってさ、どうやって出してるんだろうって考えるんだ」


 僕に投げかけるくせに、いつだって勝手に話を進めるのが彼女の特徴だ。でも今回は独り言だと明言している。いつもそんなこと言わずに話しているのに、わざわざそう、言った。


「どうやって治すかなんてわからないみたい。忘れられてしまうと言う症状だってことは言われている。でも、私からしたら忘れられてしまうと言うよりは、存在感がなくなっちゃうんだと思ってる」

「僕には見えているけど」

「……独り言だよ」


 机に台本でも置いているのかと言うくらい、ずっと彼女は机を見続けて、こちらをチラリとも見ない。


「興味を持ってもらうと、モヤがかかって存在感が消えていっちゃうみたいなんだ。ひどいよね。せっかく興味持ってもらったのに、思ってもらったらわかんなくなっていくなんてさ」


 背の高いあいつが言った、早瀬を好きになったやつの話を思い出す。


「家に帰ると、玄関には忘れないようにメモが貼ってあるの。『この家には娘がいる。名前は夏乃』とか、キッチンには『夏乃(娘)の好きな食べ物はハンバーグ』とか。『見えなくなっても、そこにいる』とか。私からはどう見えてるかなんて知らないけどさ。あとハンバーグはそろそろ卒業したいとか思ってる」


 今まで意識なんてしていなかった、猫のように驚いた早瀬のことが唐突に蘇る。


「ねえ、それって生きてるって言えるのかな? 図書委員さんはどう思う?」


 彼女の言う話は簡単に信じられるものでもないし、そんな話あってたまるかって内容だ。毎日だたここに来ていただけの奴だと思っていたのに、そんなことを僕に言われても。

 だけど、初めて会った時の反応。毎回聞いてくる質問。

 自称独り言を始めてから、やっと視線の合った目元は形容し難い悲しみに溢れていた。嘘だって否定することは簡単にできるけれど、それを口にはできない。 


「そ、そこまで分かってるんだったら治療法だってあるんだろう?」

「……治療法って、言うのかな」

「だって記憶力は誰からだって奪えないじゃないか」

「そのはずなんだけどね、すっぽり抜けちゃうんだ。私の存在が」

「僕が早瀬に興味がないから、今普通だってこと?」

「……興味がないって真っ向から言われちゃうとちょっとグサッとくるな」

「あ、ごめん」


 少しだけ張り詰めていた空気が徐々にいつもの穏やかなものに戻ってきた。


「でも、そう。図書委員さんは人に興味がないから。だから私とでもちゃんと話ができるって、相手してもらえるって思ったの」

「ロボット呼ばわりされているみたいで、失礼だと思ってしまうけど」

「あ、ごめん」

「別に、お互い様だろ」

「ふふ。ありがとう」


 お礼を言われる筋合いもないのに、変に笑っておかしそうに肩を揺らす彼女はとてもそんな辛い病を抱えているようには見えない。


「治療法、じゃないんだけどね。私の存在を忘れてしまった人でも、図書委員さんみたいに誰にも興味なく1年間過ごすとまたリセットされるみたいなんだって。信憑性はよくわからないけど、みんなの存在感がその人にとって平等になるとかなんとか」

「曖昧だな」

「うん、だってよく分かってない病気なんだもん」


 その様子は明るく振る舞っているのか彼女の心根がそうさせているのかはわからない。


「あ、独り言じゃなくなっちゃってる。図書委員さんに興味持たれちゃったらまた見えなくなっちゃう」


 いつもの戻ってきた空気に、彼女の告白は終わったのだと本の整理を続けるために手元に視線を戻す。聞いた内容は彼女にとって辛いのだろうけれど、僕の日常にはきっと影響ないのだときっと伝えたいのだろう。


「興味なんて持たないよ」

「ひどいなー」

「あっ!」

「え? 図書委員さん、どうしたの?」

「さっき、早瀬『また』って言ったか?」

「うひゃっ」


 出どころ不明の声をあげて彼女は再び俯いた。


「思い出したらちょっと恥ずかしい」

「恥ずかしいこと!?」

「うう……」

「うめいてないで、どうぞ」


 僕が過去に早瀬に興味を持って、一度忘れたと暗に言っているように聞こえる。興味を持つってどう言うことを言うのだ。


「私たち、キスしたこと、あるんだ、よ……?」

「はあ!?」


 これで興味を持つなって言う方が無理だ。僕のファーストキスを返せ。

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