第7話 毎日の話4

「わー、今日はちょっとだけ涼しい」


 いつも図書室を開けて10分後には来ていた早瀬が、まだマシな温度になった頃にやって来た。最後に会った時の表情は微塵も感じさせない顔で。


「はー、極楽」


 カウンターの目の前、定位置の椅子について自分の家のようにくつろいでいる。相変わらず今日も他には誰もいない。鬱陶しい部活の声もいつも通りだ。


「夏休みがいよいよやってきますよ、図書委員さん。さてさて私のしたいことはなんでしょう?」


 いつものようにわかるはずもない質問を聞き流し、いない間に返却されていた本を棚に戻すために整理する。


「正解はー……んー、私って何したいんだろう? そうだなあ……」

「いや、考えてなかったのか?」

「なにか夏っぽいこと、したい、なー」


 伏せた体から視線だけこちらに飛ばしてくる気配が暑苦しい。十分暑苦しいその視線は夏っぽいような気がしなくもない。


「夏っぽいことなんかいくらでもしてるだろ」

「えー? どうだろう?」


 ふにゃりと崩れた頬に人差し指を当て、思いを巡らせているようだ。


「してるかなー、どうだろう。夏休みはもうすぐだけど。そうだなあ」


 本棚に目配せを一周してから意味深な表情でこちらを見てきた。


「……なんだよ」

「例えば−−手を引かれて、どこか行っちゃう、とか」


 思わず手を止めて早瀬を正面から受け止める。移動教室の時、やっぱり見られていたのだ。


「そのくらい早瀬だってあるんじゃないの。それとも、早瀬の手は握れないってこと?」

「ふふ。幽霊じゃないって初めに言ったよ。大丈夫、人間」


 ヒラヒラと自分の掌をこちらに向けて表裏に動かす。


「質問、しなくていいんだよ、図書委員さん。今日、何かあの子に聞いちゃったのかな」

「あの子って?」

「ちょっと嫉妬しちゃう」

「それってどういう意味?」

「ダメだよ、図書委員さん。手帳の1ページ目、書いてあるでしょ?」


 思わず胸ポケットの手帳を取り出す。開いた1ページ目には早瀬のいう通り相変わらず僕の字ではっきりとした文字が並んでいる。

 でも、僕はこの手帳のことをこれまで早瀬に話しただろうか。そんな記憶はない。


「どうして早瀬がこのことを?」

「図書委員さんが教えてくれたんだよ?」

「僕の知る限りでは、記憶にないんだけど」

「ふふ。ねえ、図書委員さんは記憶力に自信はある?」

「……それなりに」

「うん、知ってる」


 笑ってるような泣いているような、よくわからない顔をして何かを訴えるような目が刺さる。


「……もったいぶって、一体何が言いたいんだ?」


 思わず握った拳に力が入った。手のひらに爪の跡が残るほどに。


「図書委員さんをイライラさせたいわけじゃないんだよ。質問してくれるのだって本当は嬉しいのに。でもダメなんだ」


 掠れるような声になり、俯いて彼女の表情は見えない。


「……病気の話?」

「今から言うのは独り言だから、本当にただの独り言。図書委員さんにはたまたま聞こえちゃうかもしれないけど、ただの独り言だから」

「……」

「いつも作業の邪魔してごめんね?」

「別に」


 気づかないうちに前のめりになっていた姿勢をいつもの通り垂直に正し、本の整理に戻る。彼女がいつもしていたのだって独り言みたいなものだ。何を言い始めたって変わらない。


「図書委員さんは存在感ってなんだと思う?」


 独り言って言っただろうが。

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