第3話 毎日の話2
「そろそろ閉める時間だけど」
「あ、もうそんな時間?」
一通り本棚の整理を終えて、各机の上を拭きながら伝えた。早瀬はぐるりと図書室を見回して、日の暮れた窓の外を眺めた。もう部活の声は聞こえない。
「ねえ、図書委員さん」
「なに?」
「夏休みは図書室って開いてるの?」
「夏休みまで来ようとしてる?」
「あ、開いてるか確認しただけ、だし」
モゴモゴと言い淀む彼女は下を向く。
「ふーん、開いてるけど」
最後の机を拭きながらどうでも良いことのように答えると、気配もなく僕のそばに彼女は近寄ってきた。
「と、図書委員さんはいつもいるの?」
「い、いきなり近づくなよ。びっくりするだろ」
「あ、ごめん。開いてるんだ、と思ったらつい」
「夏休みくらいこんな誰もいないところ来てないで、クラスの友達と遊んだら?」
毎日僕はいるけれどそこは答えない。
「誰もいないことはないよ。図書委員さん、いるじゃん」
「ま、まあ」
伝えなくとも僕が毎日来るものだと思っているようだ。その通りなんだけど。
僕は彼女の大きな瞳が苦手だ。真っ直ぐ見られると、ついそらしてしまうほどに。愛嬌のある顔で誰にでも好かれそうな見た目をしているのに、どうしてだかしっかり見ることはできない。
「図書委員さんこそ、毎日図書委員の仕事ばっかりだし、クラスの友達と遊んだりとかは?」
「僕はいいよ。どうせいつか疎遠になっていく関係だって割り切ってる。こんなこと言うと聞こえは悪いけど……あまり人に興味がない、からさ」
「どうして?」
どうしてかなんて聞かれても僕にもわからない。いつからこんなに人に興味がなくなったのかなんて。ただ、愛用している手帳の一ページ目に自分の字で書いてある。
『人に興味を持たなくていい、期待しないで待つといい』
いつ書いたのかはあまり覚えていないけれど、思ったことを書く癖のある僕のやりそうなことだ。きっと今後の教訓のために書いたのだろうと思う。手帳の他のページにもいくつか僕の大切な言葉が書かれている。時折それを見直して、ぼうっと図書カウンターで考えを巡らせるのが日課だった。
何度も眺めすぎたのか、手帳のいくつかのページは滲んでいる。
……と言うか、こんな話を早瀬になんてしたくなかったのに何を言ってるんだ僕は。
「そっか、これも答えたくない質問だね。ごめんね、変なこと聞いて」
「いや、大丈夫」
「じゃあ変なことついでに聞くけど、彼女はいないの?」
「は?」
早瀬のにやついた表情に、正面から不機嫌をぶつけてやった。
「わっ、ごめんって。変なこと聞いて。帰る、帰るよ! 今日は帰るから、許して」
無言の圧で追い込むように早瀬を出口に仕向けると、後ずさるように彼女は扉のほうに追い詰められる。
「か、帰るから! ね!」
見下ろす早瀬の目は潤んでいるが関係ない。どうせ泣いたりはしないはずだ。
「……ねえ、私の名前、なんでしょう?」
「……」
「……」
無言の圧にもめげず、そこから彼女は動かない。
「わ、忘れちゃった……?」
不安そうに漏れた声に何も答えないでいると、彼女の大きな瞳から雫が今にも溢れそうになった。
「あ、早瀬夏乃……」
するりと落ちたいつもの答えを聞いたことでなのか、溢れそうな雫はギリギリ留まったように見えた。おもむろに僕は安堵する。手を当てた鼓動は心なしか早まっている。
そんな僕の気持ちなんか関係なしに、早瀬はさっきまでとは打って変わった表情を僕に向けた。
「また明日ね、図書委員さん」
やっぱり泣かないんじゃないか。
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