第2話 出会った時の話

 そもそも早瀬夏乃ハヤセナツノは出会った時からおかしな奴だった。


 僕の安息地である図書室の戸締まりをしている時だ。どうせ誰もいない図書室の見回りをして誰も借りない本の整理をしているときに、いつの間に入ってきていたのか、一番目立たない本棚のところに一人ぽつんと、目当ての本を探しているようでもなくただ、本当にただ、立っていた。


「もう施錠の時間なんですけど––」

「……!?」


 彼女は猫が驚くように身を引き、手を自身の胸元でぎゅっと握りしめ、ただでさえ大きな瞳をさらに大きくさせてこちらに向けた。


「あ、いや。せ、施錠の時間なんですけど」


 どうしてこんなに驚かれたのか。そんなに強い語気でもなかったと思うし、僕は図書委員の仕事を全うしようとしただけだ。なんら後ろめたいことはない。


「う、あ……私が見えるの?」

「は?」


 多分人生で一番意味がわからない時の顔をしていたと思う。お互いに、きっと。


「いや、見えるから声、かけてるわけだし……。え? 何、もしかして幽霊かなんか?」

「ちっ、違う違う違う! 生きてる! 人間!」


 自分が人間だなんて主張するところを見るのも人生初体験だ。しかも思ったよりも大きな声で。


「ですよね?」

「うん! うん! うん!」


 逐一リアクションが大きいのは後々になって彼女の特徴なんだろうと思うようになったけれど、この時は何を必死で言っているのかと少し身を引いた。


「あの、と、図書委員さんですよね?」

「え? ああ、そりゃまあ、見ての通り」


 いや、別に図書委員って名札ブラ下げているわけじゃないのだけれど、見回りしているのだからそりゃそうだろう。

 少し引いた僕の方に近寄り、真っ直ぐと視線を投げられる。


「あのっ!」

「は、はい」


 意を決したような雰囲気で、真剣な眼差しが飛んできた。


「毎日、ここに来て、いいですか?」

「ええ?」


 彼女の世界線では、たかが図書室に来るのに図書委員の許可がいるのだろうか。


「……ダメな理由あると思います?」

「ううん、無いと思う」

「……ですよね?」


 僕は一体何の話をされているのだろうと、中空に答えを探したが何も思い当たらない。

 合わせ辛い視線と気まずい空気に少しの沈黙が流れた。


「えっと……明日また来ていいですから、今日は締めますね?」


 図書室の鍵を見せて今すぐ閉めたいのだとアピールをした。ついてくるだろうと背を向けると、つん、とシャツを引っ張られる感覚に僕の体は止まる。


「うえっ」


 急な衝撃に思わず変な声も出てしまう。


「ここに来ても良いのだったら……私の話し相手にもなってくれる?」

「はい?」


 限界まで首を後ろに向けて、思い切り黒目を彼女に向けた。掴まれたままのシャツの裾がシワになっている。本棚の影で薄暗いはずの彼女の表情は、電気が灯ったように明るい。


「本当!? いいの!?」

「違う違う違う、今のは疑問系! 違う!」


 体を彼女の正面に向き直し両手を振って否定する。


「え、だめ……?」

「あ、いや。そう言われるとなんか、えっと……」


 彼女の上履きを見ると僕と同じ緑のライン。同じ2年生のようだ。こんな人いただろうか。


「あ、えっと……そう。私転校生なの。知らないと思うけど」

「あ、そうなんだ」


 同級生で安心した。先輩だったら結構失礼なことを言っていたかもしれない。


「えっと、だからお話し相手になってくれないかなって」

「いや、転校生で心細いのはわかるけど……なんで僕が?」

「私のことを知らなかったから」

「はい?」

「私は早瀬夏乃。5組。よろしくね、図書委員さん」


 半ば強引に進められた約束と自己紹介−−と言ってもこれ以上でも以下でもない内容だけど。


「いや、まだ何も言ってないんだけど––」

「相手にしなくてもいいの。本を読むついででも、図書委員さんの仕事の合間でも。答えたくない質問には答えなくたっていいし。なんでもいいの。ただ私が話しかけるだけだから」


 僕の言葉は遮られ、畳み掛けるようにそれを言って、彼女は僕を通り過ぎて扉のほうに駆けた。


「ねえ、私の名前、なんでしょう?」

「え……早瀬、夏乃……?」

「明日から、よろしくね。図書委員さん」


 早瀬は満足そうな笑みを浮かべて、風のようにいなくなった。





 

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