夏の甘さ

菓子ゆうか

夏の甘さ

 少し動けば悲鳴を上げる頼りないベンチも、小学生の僕と彼女を支えるには丈夫だった。


 駄菓子屋の前に置かれたベンチは、強い日差しのため、店から伸びた屋根の下にある。


 影の中にいるぶんには、ギラギラと揺れる蜃気楼も風物だと眺められた。


 夏というのはどうも、塩気が多いような気がする。


 そしゃあ、体からナトリウムがドバドバと消費されてしまっては、補うほかない。


 だからだろうか。夏休みになって一段と決活な少年少女が、駄菓子屋にやってきては、梅のお菓子やカキ氷、缶のジュースを買っていく。


 そう言えば、冬は甘い雰囲気がくんくんするのに、夏とくれば暑さと蝉時雨が強調されて、まったく甘味を感じない。


 夏が嫌いな僕だから特別、生卵を垂らすと目玉焼きが出来上がりそうなアスファルトをぼーっと眺めて、変なことを空想するのだろうか。


 すると、熱を浴びた頬に固く冷たい物がぶつかってきた。


 僕の思考を現実に戻した犯人は、隣に座る少女だった。


 実は今日、平日のど真ん中に駄菓子屋のベンチという代わり映えもしない場所で、腰を下ろしているのは彼女に誘われたからだ。


 ただのクラスメイトなら僕は、クーラーの掛かった天国から出ることはなかっただろう。楽園を自ら去るのは馬鹿のすることだから。


 しかし、彼女からのお誘いを断ることは、僕にはできない。


「どうしたの?」と彼女が、ボクの顔を覗き込むように、首を傾ける。


 サラサラとした髪が下に垂れ、落ち着いたイメージの前髪が分かれて、無邪気なおでこがあらわになる。そこに汗で数本の髪の毛が重力に抗う。


 僕は、「どうもしないよ」なんて、軽く微笑んで言った。


「そう?」と前のめりにだった体をベンチに戻した彼女は、僕にラムネ瓶を渡してきた。


 栓は開けられおり、半分まで減ったラムネが揺れる。ビー玉は炭酸から解放されて、打ち上げられた魚のように、カラカラと鳴っていた。


 僕は驚きのあまり、中に入った液体を少し地面にこぼしてしまった。


「顔赤いよ? 水分とらなきゃ」


 彼女は特に気にする様子もなく、そう言う。


 顔が赤いのは君といるから、なんて宣うわけにもいかないし、そうすると、瓶の縁を濡らすえんげな体験が一生訪れないような気がした。


「今日はいつもより暑いから」


 少しぎこちなかったか。彼女が「う、うん。そうだね」と言葉の始めを詰まらせた。


 まあ、そんな失敗今はどうでもいい。この瞬間意識するべきは、関節的に彼女の口に触れていいものかという葛藤だけだ。


 ちょっとは考えたさ。でもさぁ、彼女が飲みかけのラムネをくれたということは、彼女自身から同意を貰っていると同義じゃないだろうか。


 ならこそ、まだ彼女の温もりが残るうちに、飲んでしまおう。


 受け取った瓶を口元に運び、勢いよく口に付着する。


 炭酸のバチバチとした感覚だけが口内を覆い、味は甘さだけを残して、喉を下っていく。


 甘露だけが残った下唇に軽く触れてしまう。


 彼女は、「そんなにのど乾いてた?」とくすくすと可愛く笑った。


 彼女の太陽のような満点笑顔を見つめたかったが、向日葵になれない僕はどこか羞恥心をくすぶらし、これ以上の糖分を摂取することが出来なかった。


 だから、下を向く。


 さきほどこぼしたラムネの湖で蟻が一匹、漂っている。


 過剰な甘さは危険であり、ラムネが売られる夏が少しだけ好きになった。

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