第2話 幽霊の正体見たり、枯れ尾花 V.3.1.
韓国人と台湾客家は「同じ穴のムジナ」
三国人というのは皆同じ性格。
○ ユダヤ人は「アウシュビッツ」でドイツ人を
○ 韓国人は「従軍慰安婦」で日本を
○ 台湾客家は「民主主義の危機・独裁国家反対」と危機を煽り、中国を
そして、
○ ウクライナのユダヤ人ジリ君は、ロシアを
それぞれ非難することで、自分たちの存在を世界に知らしめようとする。
彼らは世界的規模のマスコミ(宣伝網)によって、
● 悪の帝国(ダースベーダー)に迫害・侵略・恫喝される
○ 正義の小国
という構図を作り出し、「哀れで、か弱い私たちにお恵みを」と、世界中の慈悲と援助(カネと技術)をかき集める。
なにしろ、「悪」と「善意」の両方から、金と技術を「合法的・倫理的」に引き出すのですから、これはもう、世紀のマジシャンと言っても過言ではない。しかも、このビジネス・モデルは、未来永劫続いていくのです。
早い話が、ガンガン前へ出て、積極果敢に殴り合いをする人よりも、足を捻(ひね)っただの、挫(くじ)いただのと、試合を中断させて痛がっている人間の方が、(痛いのを我慢して)偉いと評価される、今日この頃の大学日本拳法。
40年前は「怪我をするのは自分が悪いから」「試合会場で痛がる、なんてみっともない真似はするな、「心の弱い者だ」と軽蔑されました。
痛みに堪えて最後まで戦うか、それができなければサッサと負けて退場する。
(試合中、やたらと痛いだの、防具がずれただのと、試合を中断して相手の勢いを削ぐ、なんて姑息な真似が正当とされる韓流と異なる)これが日本武道であり、そういう男気とか心意気を鍛えるために、私たちは敢えて現実に殴るという、痛みを伴う戦いをするのではなかったか。
勝つための技術を身につけることよりも、自分の中の男気(精神力)を磨くために、現実に・本気でぶん殴り合いをするのが大学日本拳法だったはずなんですが、日本古来の相撲(角力)と同じで。
「土俵の 砂つけて 男を磨く」(相撲甚句)
「弱者への愛」なら、電車で席を譲るとか、母子家庭に補助金を出すとか、他にいくらでも身の回りに助けるべき場合と人はいます。
世界には、男らしい男、女性らしい女性よりも、トカゲみたいな顔をした雌雄両性の人間が(よくぞcoming outした、なんて)尊敬される社会が存在するのですが、これが世界のスタンダードになりつつある、ということは、大学日本拳法とは時代の流れに逆行しているのか。
よい子の皆さんは、くれぐれも正気を失わないようにして下さい。
2022年8月16日
V.3.1
平栗雅人
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