第6話クリスティナの第一の矢
(正妻戦争、私の第一の矢はこれから始まります……)
騎士クリスティナはイクスや他の少女たちと共に歩きながら胸の中でほくそ笑んだ。
これから騎士団の訓練がある。それに参加するのはクリスティナとイクスの二人だけだ。
つまりイクスを独り占めできるということ。
それだけではなく、イクスと共に剣の訓練に打ち込むことで彼との距離を縮めることが狙える。
(悪いですね、皆さん。リードを取らせてもらいますよ)
クリスティナは今度は感情が顔に出てしまい、騎士らしからぬ企みの顔になるのであった。
・
「これは勇者イクス様! よくぞいらしてくださいました!」
リバード王国騎士団団長グリフォムは俺を目にすると踵を揃えて、背筋を伸ばし、よく通る声で挨拶した。
立派な茶色の髭を口元からあごにかけて生やしているグリフォムの方が俺より年齢は遥かに上であり、戦歴も長いのだが、彼は俺に敬意を払ってくれる。正直、自分がそこまで立派な人間だと思わない身としては少し気まずいのであるが。
「どうも、グリフォム団長」
「先日は人喰いの大蛇の討伐を成し遂げたそうで。実に素晴らしいことですな!」
「い、いえ、あれアスとエルフェールの助けを受けてのことですし……俺一人の力ではありません」
「はっはっは、勇者様の力が大きいのは事実でしょう。勇者様はこのリバード王国の危機を常に救ってくださる」
上機嫌に笑うグリフォム。なんだか、全面的に俺のことを信頼して尊敬してくれているようなのだが、繰り返すが俺は自己評価が低いので気まずく思ってしまう。
「グリフォム団長。本日の鍛錬は勇者様も参加されるそうです」
「おお、騎士クリスティナよ。勇者様のお手伝いをこなせているか?」
「勿論です。他の誰よりも、私は勇者様の力となれております」
「それは良い! 我が騎士団の誇りにもなる!」
クリスティナが他の少女たち、王女フランチェスカや聖女ブリカリア、獣娘のアス、エルフの魔女エルフェールと比べて、一番、俺の力になれているのかは俺にはその通りか否かも判断しかねるのだが、本人がこう言っている以上、余計な口は挟まない方がいいだろう。
自分の直属の上司のグリフォムの前で自分の言ったことが否定されては立場もないだろうし。
「とりあえず鍛錬に参加させてください。グリフォム団長」
「勿論! 大歓迎ですとも! 若い騎士たちにとっても勇者様がおられることはためになります」
「あはは……」
そんな誰かの見本になれる人間ではないのだが、俺は。
とりあえずそこから騎士団の鍛錬を始めることにして、まずは剣の素振りからだ。
何事も基本が大事。重い剣を素振りすることで剣を振るうのに必要な腕の筋肉。特に肘から手首にかけての筋肉を強くする。
そこからは鍛錬場をランニングする。足腰を鍛えることも剣技を磨く上では重要だ。剣は上半身だけを使って振るうものではない。下半身の力も必要になってくる。
基礎トレが終わると実戦形式の本格的な訓練に移る。
騎士団に入って日が浅い若い騎士たちは既に息を荒げている者たちもいた。
「流石ですね、イクス。この程度では息一つ見出しませんか」
「ま、この程度でへばっていちゃね」
俺は仮にも勇者なんて呼ばれる立場。これくらいで疲れているようでは肩書に負けるにもほどがある。
「すごいわね、流石イクス」
「そうだな、お兄ちゃん」
「おう。そうだろう。エルフェール、アス……え?」
当たり前のようにかけられた二人の少女の声に振り向く。
そこには人間離れしたエルフの美貌を持つ魔女と猫耳を揺らす元気いっぱいの少女がいた。
「あ、貴方たち! どうして!?」
俺より先にクリスティナが驚きの声を発する。
「ちょっとイクスがどんな鍛錬をしているのか見物に、ね」
「ああ、お兄ちゃんのがんばっている姿を見にきたんだ!」
「そ、そうなのか……」
俺は生返事をするが、クリスティナが眉をしかめて二人を見る。
「ここは騎士団の人間しか入れません! 出て行ってください」
「まぁ、そう硬いことは言わない言わない」
「わたしたちもタンレンに参加するぞ。なんなら」
きつい言葉をかけられてもどこ吹く風でエルフェールとアスは笑みを浮かべる。
実際、この二人なら並の騎士などよりは遥かに強いことを知っている俺は鍛錬にも参加しても平気だろうと思えてしまう。
「うう……ここでなら騎士の私がイクスを独り占めできるはずなのに……第一の矢が……」
「何か言った、クリスティナ?」
「い、いえ、別に……」
俺はこの場にいる三人の少女、いや、美少女を前にどうするべきか悩んでいた。
繰り返すがハーレムはごめんだ。修羅場だけは絶対に避けなければならない。
だというのに何故、こんな美少女たちは俺なんかを慕ってくるのか……。
この世界で勇者のギフトを授かったからには、それに見合うだけのことはしようと人助けをしたり、魔物退治をしたり、盗賊退治をしたり、異種族間の問題も解決しようと頑張ったくらいのことしかしていないのに、俺は。
「頑張りなさいよ、イクス」
「私たちも見守らせてもらいます」
「……ってフランチェスカ王女様! ブリカリア聖女様!」
そこに現れたフランチェスカとブリカリアにクリスティナが驚きの声を上げる。俺も驚いたが、それ以上にクリスティナが驚いているようだ。何故だろう?
別にクリスティナにとってはここに女子が増えても問題はないはず。俺は……修羅場を避けるために大問題なのだが。
「せっかくだしボクたちと模擬戦でもしてみる? イクス」
エルフェールがそんなことを提案してくる。彼女とは共に冒険をすることもある。強いことは知っているのだが、背が小さく華奢なエルフの彼女を前に青年の俺が剣で斬りかかるのはなんとなくよろしくない気がする。
「なんか気が引けるんだよなぁ」
「あら。女だと思って甘く見ている?」
「そういうワケじゃないんだが……」
実際、エルフェールの放つ強力な魔法の数々は大型の魔物をもあっという間に葬り去る程、強力なものだ。
俺はギフトで魔法に対する対抗力を体に秘めているから喰らっても耐えられるが、普通の人間が喰らえば命を落としかねないものだ。
「わたしもイクスと戦いたいぞ! パワーでは負けるかもしれないが、スピードでは負けん!」
同じく乗り気のアスもそう言って笑う。
確かに猫の獣人の彼女のスピードは人間の身である俺からすれば驚嘆するべきものがある。俺が勇者として人間としては最高峰のスピードを誇ってはいても、アスはそのスピードをも凌駕してくるのだ。
「エルフェールと戦えば対魔法戦の経験が詰めるし、アスと戦うのもスピードで上回る相手との戦いの経験が詰めるか……」
「イクス! 何を悪くないな、って顔をしているのですか! 二人は正式な騎士ではありませんよ!」
「そ、それもそうなんだが……」
俺がひとりごとのつもりで言った言葉にクリスティナが噛み付いてくる。思わず俺は後ろずさる。怒る女性はトラウマだ。前世の経験から。
「鍛錬の相手なら私がいるでしょう。私で充分です」
「いや、クリスティナとはもう何度も剣で打ち合ってるし、剣士相手の経験はそれなりに……」
「剣の鍛錬は何度積んでも損はありません!」
それも正論ではあるのだが。
剣士相手の戦いの経験もどれだけ積んでも損はない。それにクリスティナの言う通り、二人は騎士ではない。この場にいることは本来ならおかしいことだ。
「クリスティナ。お兄ちゃんはわたしたちと戦いたいみたいだぞ?」
「ふふ、ボクたちの方が対戦相手として魅力的ってことね」
対戦相手としてね。あくまで対戦相手としては。
女性として魅力的とかそういう意味はないからね、と俺は心の中で思う。
女性としては全員魅力的で甲乙など付けられるはずもない。
そんなことを思っていると、
「……で、誰と模擬戦をするのですか、イクス」
ジロリ、とクリスティナに睨まれる。こ、恐い……さりげなくアスとエルフェールも圧をかけてきているし、これはどう答えても角が立つような。
「ここでどう答えを出すかは気になるわね」
「そうですね。三人に先手を打たれている感じなのがやや不愉快ですが」
フランチェスカとブリカリアまでそんなことを言う。
なんか五人で結託しているような感じを受けるのは気のせいか? やはり修羅場なのか、今は?
それらを考えて俺が出した結論は……。
「分かった。それじゃあ、三人全員とやるよ。一対三は流石に勘弁願いたいから一対一を三回だけど」
俺はそう答えた。微妙な雰囲気が流れ、マズったか、と思うも、拍子抜けしたような顔で五人は俺を見る。
「イクス。ボクたちは一回戦うだけだけど、イクスは三回戦うことになるんだよ?」
「大丈夫なのですか?」
「んー、まぁ、それくらいはできると思う」
とりあえずはこれでいこう。なんか八方美人ならぬ三方美人をやっている気もしないでもないのだが。
「いい覚悟です。イクス」
「手加減はしないよ、お兄ちゃん」
「面白そうだね」
……多分、問題はない……はず。繰り返すが、修羅場だけは、ごめんなんだ。そうならないように努めるまでだ。
・
(どういうことなんです!? 一の矢、早くも失敗じゃないですか!?)
クリスティナは心の中でそう叫んだ。
既に他の四人がこの場に現れた時点でも失敗と言ってもいいのだが、自分だけがイクスと訓練して距離を詰めるつもりが、アスとエルフェールまで訓練に参加するとは。
訓練に参加しないフランチェスカとブリカリアよりは優位な立場に立てるかもしれないが、これでは……。
(仕方がありません。イクスに私の華麗な剣技を見せて魅了する方向に舵を切ることにしましょう)
イクスが自分に見惚れるくらいの戦いぶりを見せる。
クリスティナはそう決意した。
それが正妻戦争で勝利のための真の一の矢となるはずだ。
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