油1――声の会話。文字の会話。
「勝手な奴だな」
圭介は通話の終了を告げる機械音を聞きながら呟いた。
急用なら仕方がないにせよ、連絡を寄越すおおよその時間くらいは決めて欲しかった。これでは入浴のタイミングに困る。
暇だ。MMOのキャラクターを育てるのは気が乗らない。つい先日にレベルが上昇し、次のレベルまで最大効率でも40時間は掛かるからである。
継続は力だと重々承知していても、その格言を呪文のように繰り返したところでモチベーションが上がることはない。
圭介は自室を見回した。テレビにゲーム機。小説用と漫画用に分けた大小の本棚。シングルのベッドやクローゼットなどの基本的な家具を除くと、他にあるのは眼前のパソコンラックくらいだ。どれも関心を引かない。
圭介が嘆息しようと肺に空気を集めた瞬間、
【リフィスさんがオンラインになりました】
ディスプレイの右下に表示された。
おお? と圭介は思わず笑みを浮かべ、光学式のマウスを忙しなく動かす。もう風呂のことはどうでもいい。圭介にも急用と呼べるものができた。
圭介はリフィスに挨拶のメッセージを送信し、続いてボイスチャット開始の許可を求める。
とはいえ相手はマイクを持っていない。文字でのチャットを好むのだ。
「リフィスと話すのは久々だな」
最初は発音に戸惑ったが、アイスと同じで構わないらしい。
リフィスとは去年の初夏にゲーム内で知り合い、相手は既に引退したものの、今でもチャットの繋がりはある。
リフィスの性別は未だに不明だ。私という一人称を使い、一向に崩さない敬語口調が性別の特定を困難にしている。
物腰の柔らかさや社交性の高さに女性らしさを感じるせいか、リフィスの性別を勝手に決め付けている知人は少なくなく、久保田も女性派の一人だ。
リフィスは悩みを相談し易いと評判で、しかも的確な助言を述べるため性別に関係なく人気と信頼を獲得している。過去に容姿のことで相談した久保田がその件を契機にリフィスを好きになってしまい、彼のお節介な性格が思い人を真似たものだとも圭介は知っていた。
しかし、と圭介は思うのだ。二者択一を迫られたら圭介もリフィスを女性と判断するが、何せ実の父親が限りなくグレーな男性だ。勘違いの可能性は大いにある。
声を聞けば一発なのにな、と圭介は思い、安物のヘッドセットを装着した矢先のことだ。
――ヘッドセットを入手しました。ボイスチャットを試しても良いでしょうか?
表示された文字に目を疑った。だが返答は即座にする。OK。
まもなくリフィスから通話の申請が着た。妙な高揚感を覚えながら承諾する。
〈あー、あー、聞こえますか? あー、あー〉
圭介はただただ同情する。久保田の恋愛は終焉を迎えたようだ。
「リフィスは男だったんだな」
断定が難しくないほどリフィスの声は低かった。ハスキーボイスの女性とは質が違う。高校生にも大学生にも思える平凡な声だ。
〈そうですよ。少なくとも僕が女性を騙ったことは一度もないと思いますが〉
僕。文字と音声では一人称が変わるらしい。
「ごもっとも。勘違いする要素は多かったけどな?」
〈一人称や口調のことですかね。ネットでは話し相手の年齢を判別しかねますし、一応は敬語で話した方が礼儀正しいと考えたのです。私と言うのも同じですよ。政治家も大多数は私と言うでしょう? そうした方が丁寧に聞こえると思いまして〉
「だな。ただ政治家の敬語は胡散臭く感じるが、リフィスのは善人の印象が強い」
〈善人ですか。カイの方がよっぽど善人だと思いますけどね〉
つい先ほどのやり取りがあったせいでカイと呼ばれるのが辛い。圭介の介を音読みにしたのみの単純なハンドルネームなのだが。
リフィスはなぜリフィスなのかとシェイクスピア作品のように尋ねようかとも思ったが、なぜカイはカイなのかと尋ねられても困る。
「……ん? 取り込み中か? キーボードを叩いてる音が聞こえるが」
〈お気になさらず。知人に調べ物を頼まれましてね。世間話をするのに支障はありません。いやはやボイスチャットは便利ですね。マルチタスクが捗ります〉
調べ物が終わったのか、或いはリフィスが気遣ったのか。程なくしてタイピングの音はしなくなった。話題をどうしようかと圭介は悩み、
〈ふむ。何か相談事でも?〉
圭介は否定した。あるにはあるが、勝手をして千早に叱られるのは勘弁だ。
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