水3――都合の良い伏線を作りましょう

 時刻は午後の五時過ぎ。夏の太陽はまだまだ元気な姿を見せている。


 千早の通学路は車道側に街路樹の行列を有するため、数多の木陰によって歩道の大部分が影色だった。その恩恵もあって千早と圭介はやや汗ばみながらも天上にヘイトをぶつけずに歩けている。


 二人は学校指定のリュックを背負い、手荷物を持ってはいないものの、どちらも片手の自由がない。千早は左手。圭介は右手だ。


「おいおい、水谷さんや。想像以上に恥ずかしくないかこれ」


 圭介が視線で示したのは千早と繋いだ手だ。恋人らしく指を絡めているのだが、如何せんこれが中々に人目を引く。千早も圭介と一緒に頬を染めてしまうほどだ。


 注目される一番の原因は他に下校中の生徒がいないからである。天下の往来はスーパーで買い物を終えた主婦の群れや、飼い犬の散歩を楽しむ小中学生が多い。


 そこを容姿の優れた男女が歩いていれば目立つのも仕方なく、睦まじく手を繋いでいるのだから殊更と言える。


「いいじゃないの。赤面しながら歩くカップル。まさに青春のど真ん中だわ」


「ごもっとも。これを学校の連中が見てくれたら一日で噂になりかねない感じだな」


「それも狙いの一つよ。今回に限って一緒に下校する理由は三つあるの」


 一応は圭介が告白の結果を久保田に伝えたらしいが、噂の発生源が多いに越したことはない。


「私らの交際は問題が山積みなの。そこら辺を二人で認識するのが二つめの狙い」


「認識? 解決しなくていいのか? というか問題に見当が付かない訳だが」


「解決を急がなくてもいい問題が多いのよ。例えばね。どうして私らは一緒に帰っているの?」


 稚拙な計画や質問の多さが圭介の思考力を悪く見せていたが、それは恋愛というジャンルに限られたことらしい。流石は前回の定期テストで五指に入るほどの成績を獲得した優等生だ。質問の意図を読み取る力は多分にあるようで、圭介は途端に困ったような顔をしてみせた。


「それって第三者に問われた時の話だよな」


「正解。彼女を送迎するのは彼氏の義務って言う連中もいるけれども、私らの家は学校から正反対の位置にあるわ。かなりの距離があるし、それ相応の動機がないと不自然でしょ?」


 学校から千早の家までを往復するのみで一時間は掛かり、圭介はさらに自分の家を目指さねばならない。千早が圭介の立場なら相当な理由がない限りは下校に付き合わないと思う。


「んー、難しいが、妥当なのは。俺は水谷と一秒でも長く一緒にいたいってとこか」


「他人事すぎる言い方に若干の苛立ちを覚えたわ。まるで一秒も一緒にいたくないみたいね」


 悪かった、と圭介がすぐに謝った。千早に弱みを握られているからではなく、単に彼の人柄がさせたのだろう。意地悪が過ぎたわね、と千早は密かに反省して、


「おおよそは今の解答で構わないわ。ただし水谷はダメダメよ。今後は千早と呼ぶようにね。私も油野くんを圭介と呼ぶことにするから」


「……実に恋人らしい感じがするな」


 賛同の言葉とは裏腹に圭介が難色を示した。千早と同じで気恥ずかしいのかもしれない。


「二人だけの時は名字でもいいんじゃないか?」


「よくないわ。早い内に呼び慣れないと肝心な時に失敗して困る場合もあるし、最低でもお前とかの代名詞にしないとね」


「恋人にお前と呼ばれて不快になる女性は多いと聞いたことがあるぞ」


「私も聞いたことはある。代名詞は他人行儀っぽいから嫌だとかね。でも私は嫌じゃないし、深く気にする点でもないでしょ。私も圭介のことを代名詞で呼ぶことがあればお互い様でいいと思うわ」


「かもな。お前と呼ばれるのを嫌う一番の理由は『目下に使う言葉だから』だったと思うが、双方が似通った呼び方をするのなら上も下もないもんな。なるべくは千早と呼ぶように心掛けるようにはするよ」


 困った。男子に名前で呼ばれるのは存外に恥ずかしい。千早は車道に目を向けて、


「圭介は姉妹を呼び捨てにしてるんだからそう難しいことでもないでしょ?」


「いやいや難しいだろ。お前も無理して名前で呼ばなくてもいいんじゃないか?」


 早速とばかりに代名詞だ。あたふたとする千早を見かねてのことだと思うが。


 ゴホン、と千早は気を取り直すために咳払いすると視線を歩道に戻した。


 まもなく新幹線の高架下にある交差点で信号に捕まり、横断歩道の前で直立した姿が他にも数人ほど見当たるため、ないとは思いつつも、聞き耳を立てられては面白くないのでしばらく沈黙する。


 千早が口を開いたのは横断してすぐ右手にあるドラッグストアを過ぎた頃だ。


「最も難解な問題は図書室であんたに投げた内容なのよね」


「あんた? お前、図書室だとあなたって言ってなかったか?」


「恋人関係でそうすると惚気てるみたいじゃないの。まるで夫婦みたいだし」


 それもそうか、と圭介は軽く頷いて、


「俺に投げた内容って言うと、お前のどこに惚れたのかって話か。やっぱ一目惚れはNGってことだよな」


「一目惚れは基本的に初見の際に起こるわ。あんたが初めて私を見たのはいつ?」


「よく覚えてないな。四月中だとは思う」


「論外ね。私に恋したような演技を当時から友人に見せてれば話は別だけれども」


「それは厳しいな。川辺にハグされてる横をダチと通ったことが何回かあるが、お前を可愛いと思うことはあっても、言葉にしたことは一回もないし、その時に赤面した覚えもない。なのにずっと好きだったとか言っても辻褄が合わないよな」


 可愛い。さらっと言われたせいで千早の体温は上昇しなかったが、胸中で圭介の言葉を反芻すると徐々に顔が熱くなった。なぜだろう。週に何回かはクラスの女子や酔っぱらいに容姿を褒められ、その手の言葉は聞き慣れている自覚があるのに。


 偽装とはいえ彼氏として意識しているせいだろうか。心拍数に然したる変化はないし、改めて圭介の優れた相貌を見ても同じだ。やはり意識の問題だと思われる。


「難しいな。とにかく三つめの狙いを先に聞いてもいいか?」


 圭介の出し抜けな注文にも千早は焦らずに応じる。


「私の家への道順を憶えて貰うことよ」


「なるほどな。二人一緒の下校はともかく、一人で戻る際に迷う可能性を考えてか」


 勘違いも甚だしい。千早は肺に溜まった空気を盛大に一掃した。


「まるで分かっていないわね。ラブラブなカップルは登校も一緒にするのよ?」


 圭介が足を止めた。まじかよ、と顔に書いてある。千早も立ち止まって、まじです、と顔に書いた。下校の再開より圭介の抗議の方が早い。


「寝起きは悪くないけどな。睡眠時間を大幅に削られるのは遠慮したい」


「でもあんたは一秒でも長く私と一緒にいたいのよ?」


「設定は承知してるし、納得もしてる。けどなぁ。家から学校までが35分ほどで、そこからお前の家まで30分もある。俺は一時間も早く起きることになる訳か?」


「せいぜい20分くらいよ」


 千早は圭介に足を動かすように促して、


「歩いて来いとは言ってないわ」


「けったを使ってもいいのか」


 吹き出してしまった。圭介の唐突な方言が千早に笑い声を漏らさせる。


「何がおかしい。三河弁で喋ってる奴はいくらでもいるだろ」


 圭介の不平は尤もだ。千早の教室でも西三河の方言は頻繁に飛び交っている。三河弁は標準語に近い方言だから解釈に困ることは滅多にないが、千早ほどの真っ当な標準語を耳にするのは極めて稀だ。特に自転車を『けった』と呼ぶのは常識とも言え、本来なら笑いを取れる言葉ではない。逆に『チャリ』と言えば顰蹙を買う。


「悪かったわね。あんたは少々ぎこちないけれど標準語っぽいし、てっきり方言を使わないタイプだと思ってたのよ。そのギャップが中々に面白かったわ」


 そうかよ、と圭介は不機嫌そうに唇を動かした。


「俺は自転車通学の許可を貰ってないが、自転車で朝早くお前の家に行くことは何の問題もない訳だな。急いで会いに行く様子も甲斐甲斐しく見えて良いかもしれん」


「けったでいいのに」


「長い下校のことを思えばお前の家に自転車を置いとくのも悪くはない」


 圭介が頑なに方言を避ける。千早はそれが面白くて堪らない。


「彼女に合わせて標準語で話すというのもアリと言えばアリかしらね」


 笑う千早に、だが圭介は刺々しい雰囲気をどこかに追いやった。


「そう言えばお前も方言を使わないよな。三河弁を避ける理由が何かあるのか?」


「私は14まで関東にいたから元から使わないのよ」


 千早は圭介に目配せしてみる。中途半端に標準語を使う理由が気になったのだ。


「ダチと話す時は三河弁が出ることも多いが、俺の標準語は偏にMMOのせいだな」


「ネトゲをやってるの?」


 圭介は首肯してタイトルを述べる。千早も知る有名なゲームだった。


「ゲーム内で知り合った主婦にボイスチャットを勧められてなぁ。宿理にマイクを借りて話してみたら関東の人だったんだよ。方言をバカにされた訳じゃないが、思春期真っ只中の俺にとっては見過ごせない出来事だったって話だ」


 圭介が古い記憶を懐かしむように語った。聞けば一昨年の出来事らしい。


 千早は同時期の自分のことを無意識に思い出し、血圧が上がっていくのを自覚したところで深呼吸をした。


 気取られたくない感情を圭介が察する前に思い付いたことを言う。


「それを使おうかしら。実は私もそのネトゲのユーザーなのよ」


 想像以上に思考が働くようだ。なるほどな、と圭介は感心したように呟いて、


「俺達が昔からの知り合いだったことにするのか。俺は前からネット越しに恋する相手がいて、しかし最近まで相手の正体を知らなかった訳だ。そしてたまたまリアルの情報を交わしてみた結果、なんと水谷千早だった、という筋書きで合ってるか?」


「話が早いわね。この設定ならあんたが急に告白しても違和感はないでしょ?」


「妙案だな。同じMMOをやってるダチはいるが、俺のゲーム仲間をすべて把握してる奴はいない。馴れ初めを聞かれても口裏を合わせるのは簡単だ」


「私の方も問題ないわね。ちなみに鯖は?」


 幸運にも同じだった。3種類ある中で最も人口の多いサーバーだ。


「一応は今晩にでもゲーム内で会いましょ。フレンド登録くらいはしておいて損はないし、サードパーティーのチャットツールの方も登録を済まさないとね」


「スマホの方もな」


 すっかり忘れていた。歩きスマホはよくないから足を止め、ささっと情報を交換する。待ち受け画面はどうしようかと考えていると、


「変なことを言ってもいいか?」


 ふと圭介がスマホを操作しながら呟いた。


「図書室の時は告白とかの真剣な場面があったし、特に違和感はなかったが」


 圭介は顔色を窺うように千早を一瞥して、


「お前はもっと明るいというか。常に笑顔を見せてる印象があったなって」


 千早も圭介を一瞥した。圭介の意見は実に正しく、実際に学校での千早は何かと笑顔を振りまいている。差ほど笑っていない今が退屈そうに見えてもおかしくないほどにだ。


「気にしなくていいわ。これが普段の私よ。学校での笑顔は9割が作り物なの」


「……何か理由でもあるのか?」


 触れるべきか否かを迷ったのだろう。数秒だけ沈黙してから圭介は問うた。


「その方が楽だからかな」


 千早は笑って答えた。それを作り物だと気付いたらしい圭介には苦笑で応じられたが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る