水2――あれ? 酔ってます?

「俺と付き合ってくれ」


 想定外の告白に、千早は危うく聞き返しそうになった。


 普段なら何とも思わない。他校の生徒や街中でのナンパも含めれば優に百回はこの手の経験がある。またかと悪態をつきたくなるほど求愛の言葉に慣れてもいた。


 だが今回ばかりは動揺した。戸惑いを顔に出さず、頬も僅かすら紅潮させなかったものの、千早は相手に同情することを躊躇った。


 あり得ない。それが真っ先に抱いた感想だ。


 何せ相手は学年で、いや、もしかすると校内で一番の人気を誇る男子なのだ。


 油野ゆの圭介けいすけ。背丈こそ平凡だが、女子の心を次々と奪う相貌は異常なまでに整ったパーツで構成され、異性に関心のない千早でも見とれてしまうほどだ。線の細い身体は一見して女性のようにも感じ、反して出っ張った喉仏が男性の色っぽさを漂わせる。そこから発する声色もまた変声期を経た少年らしい低さだった。


 伸びがちな黒い前髪が掛かった圭介の双眼はどこまでも真剣味を帯び、回答せずに目を逸らすのは憚られる。とはいえ、無言で見つめ合うことにも千早は利益を算出しかねた。この状態を維持しても埒が明かない。


 千早は迷う。いっそのこと尋ねてみるべきか。どうして告白したの? と。


 放課後の図書室に来て欲しい。昼休みにそう言ったのは同じクラスで図書委員の久保田という男子だった。


 千早は気を重くしつつも指示に従って図書室の閉まる10分前に向かい、時間が時間なので一般の利用者は一人もいなかった。ついでに言えば久保田の姿も見当たらない。圭介のみが静けさの漂う室内にぽつんといたのである。


 圭介の人気は周知の事実だ。きっと圭介も呼び出しを受けたのだろう。


 千早はそう推理し、なので自分が交際を申し込まれるなど夢にも思っていなかった。


 久保田と圭介は同じ中学の出身と聞く。何かとお節介で名の知れる図書委員が友人の恋を応援したと考えるのは差ほど難しくない。


 難しくはないが、千早はどうしても解せなかった。


 試しに圭介の綺麗な二重を凝視してみる。


「……なんだ?」


 さっさと返事を寄越せ、と変換可能なくらいに素っ気ない態度だ。


 千早はやはり思う。


 酒臭くない。むしろ千早に関心がないように見える。


 学年ごとに色の異なる青いスリッパ。長い足を隠しきった黒いスラックス。だらしなく裾を出したカッターシャツ。制服姿の圭介を足元から頭の天辺まで再確認しても緊張感が見当たらなかった。あの大して厚くもない胸板に手を当てたとしても、通常と然したる変化のない心拍数しか計測できないと思われる。


 それもそのはずだ。なぜなら圭介は言っていない。千早を好きだとは一言も。


「油野くんは私のどこが好きなの?」


 案の定、圭介が途端に目を逸らした。


「納得がいかないのよ。油野くんは東中の出身よね。私は西中出身だし、クラスや委員会だって違うわ。接点と呼べるものがまるでないの。事実として油野くんの声を聞いたのも今のが初めてのはずだし。惚れられる理由に全く見当が付かないのよ」


「……一目惚れだ」


 嘘を吐くのは不得手のようだ。微笑ましいまでに圭介の目が泳いでいる。


「外見に惹かれたにしては随分と照れや恥じらいがないわよね。見つめ合うことに平然とし過ぎていたのがとても不自然だわ」


 それこそ容姿など眼中にないと言外で語ったような印象さえあった。


 男女を問わず定評のある相貌は勿論のこと、白いセーラー服を内側から押し出す二つの小山は視線すら向けられていない。自慢できるほどではないまでも、程々に育ってはいるのに。


 ジロジロと見られるのも痴漢に遭ったようで気が滅入るが、思春期の少年に一瞥すら貰えないのも悲しくはある。こっそりと見てくる男子が少なくないから尚更に。


 ともあれ、と千早は思う。今回ほど恋愛に伴う高揚感や緊張感を欠いていると感じた相手はいない。訳ありの告白と見て間違いないはずだ。


「怒らないから事情を教えてくれない? 罰ゲームの類ではないでしょ? 嫌々告白したって感じにも思えなかったし。相談に乗るわよ?」


 袖振り合うも多生の縁だ。自分が役立てる内容なら助力の手を惜しみはしない。千早は何十人もの男子を魅了した愛想の溢れる笑顔で返事を待つ。


「……そうだな。話してみるか。水谷なら俺の心境を理解してくれる公算も大きい」


 圭介は小さく嘆息し、近くにある六人掛けのテーブルに向かった。千早に指示を出さず、並ぶ椅子の一つに座る。千早も圭介の正面の席に腰掛けた。


「さっきの告白はスルーでいいのかしら?」


「いや、ゴメンナサイの方が助かる」


 前例のない要求だった。玉砕覚悟の告白ならまだしも、玉砕前提の告白は初体験である。千早はますます興味深くなった。


「失恋カウントを増やすことに何かメリットでもあるの?」


「大いにある。聞いたことないか? 俺の恋愛絡みのおかしな噂を」


「……あれかしら。油野くんがゲイとかいう」


 くはぁ、と圭介が肯定を示すように盛大な溜息を吐いた。千早は心中を察する。


 まだ高校生活が始まって三ヶ月ほどだ。なのに圭介が男色との噂は特に接点のない千早の耳にも入っている。


 つまりは同学年なら見ず知らずの生徒でも噂を知っていると考えられ、場合によっては校内の全員に知れ渡っていることすらあり得てしまうのだ。


「でも同性愛者の噂は噂でしかないんでしょ?」


「当然だ。俺は超健全だぞ。強風が吹いたら近場の女子に視線を走らせるくらいだ」


「真顔で言われると逆に疑わしく感じるわね。でもお陰様で大体は分かったわ」


 千早は腕組みして圭介を見据える。告白された理由は実に単純明快だ。


「誰々が誰々を好きだの、付き合ってるだの、ふられただの。小中高を問わず学校内での恋愛の噂はあっという間に広まるわ。年頃の少年少女は恋バナが大好物だもの」


 その常識を念頭に置き、男色の噂に対する圭介の心境を考えれば自ずと解答は出てくる。


「私に告白した噂を流すことで、自分が女子に関心を持っていると知らしめようとしたのね。久保田くんを間に入れたのも証言者として一役買って貰うためかしら?」


 正解だ、と圭介は呆気ないほど簡単に認めた。


「ただし求めてたのは告白の噂じゃない。ふられた噂だ。他の女子を口説いてOKが出ても厄介だしな。対して難攻不落の水谷なら面倒な心配をしなくても済む」


「……私は要塞か何かですか」


 千早は苦笑し、ふと引っ掛かった。圭介の前言にだ。


 そこはかとなく嫌な予感がする。


「私なら心境を理解する公算が大きいとか言ってたわよね……」


 不安が千早を口ごもらせた。圭介はあっさりと、


「ああ、水谷にも同性愛者の噂があるからだな」


 頭が痛くなった。千早は思わず右のこめかみを押さえる。


「相手の名前は知らないが、絵に描いたような巨乳ロリだから外見は分かるぞ。長ったらしい金髪も程々に目を引くしな。あれはEカップくらいあるのか?」


 巨乳。童顔。長い金髪。圭介の挙げた特徴で脳内を検索するまでもない。


 真夏の太陽にも負けない明るさ満点の笑顔でピースサインを繰り出す親友の姿が千早の脳裏を過ぎった。


川辺かわべ美月みつき。胸囲はほぼ目測通りね。Fまで秒読みの段階に入ってるわ」


 凄いな、と呟く圭介にいやらしい雰囲気は微塵もない。純粋な好奇心で質問したようだ。そうでなければ千早も親友のバストサイズを無断で教えはしない。


「やっぱ水谷の噂も噂でしかないみたいだな」


「確認するまでもないでしょ。どこをどう見たら私をソッチの人だと思うのよ」


「下駄箱の前で抱きしめ合ったり、腕を組んで廊下を歩いたりしてるよな」


「誤解よ。誤解。あれはハグされたり腕を組まれたりしてるだけ」


「される側であってする側じゃない訳か。思えばあっちは満面の笑みを浮かべてるのに、水谷は疲れた顔をしてる時があった気もする」


 圭介の思わぬ言葉に千早は頭の痛みを忘れた。


 疲れた顔。校内では好印象を得られる表情しか見せていない。しかも意識的にだ。そのせいで中学の時も似たような噂が広がった。


 ――水谷は川辺に抱き付かれると幸せそうな顔をする。あれは怪しい。


 当然ながら千早は美月を嫌ってなどいない。ただ快活すぎる彼女の言動に疲れることがあるだけだ。


 目敏いのか、勘が鋭いのか。数回の目撃でそこを察したのなら圭介の洞察力も大したものだ。


 何であれ胸中を見破られることにいい気はしない。私が美月を嫌ってるという噂を流されても堪らないし、と黙考しながら千早は圭介への警戒をやや強める。


「悪い。今の言い方は俺が川辺を同性愛者だと判断してるように聞こえるな」


 圭介の迅速な謝罪が目敏さの可能性を濃くした。一撮み分だけ顔に出した警戒心を難なく読み取ったらしい。謝った内容が的外れな点から勘の方は今一つと言える。


「美月もノーマルよ。隔日で一緒に寝ようと誘われてはいるけれども」


 圭介が初めて困惑を露わにした。返すべき言葉に窮したのだろう。


 千早は面白く思い、変に勘違いされても困るので毎日のように美月と入浴していることは黙っておく。


「閑話休題。油野くんの噂の原因は何なのかしら? 女子を毛嫌いしてるようでもないし、私にとっての美月みたいな仲良しの男子がいるとも聞かないわ」


 思い付く理由は一つくらいだ。圭介も異性からの評価が高いのに、千早と同じで年齢と恋人いない歴が一致するらしい。異性に関心がないのでは? と思われても無理のない話だ。


 普通の男子なら性欲に任せて遊びまくっても不思議ではないし、現にクラスメイトの一人が、俺が油野なら取っ替え引っ替えしてるのにな、と宣って大勢の女子から顰蹙を買ったことがある。


「親父のせいだ」


 圭介がぶっきらぼうに答えた。予想を裏切られた千早は小首を傾げてしまう。


 程なくして圭介が後頭部をわしわしと掻いた。千早から視線を逸らし、再びぶつけてきて、それを幾度と繰り返す。かなりの躊躇が態度に出ているが、見え隠れする羞恥の方が千早は気になった。


 どうにも言いにくいらしく、再び圭介が口を開いたのは三十秒も後のことだ。


「俺の父親は少々有名なスタイリストなんだ。名古屋の方でテレビとかモデルとかの仕事をやってる人なら大半が名前を知ってると思う」


 名古屋は新快速の電車で三十分の距離にある。区域が限定的とはいえ、こうも近くで、しかも知人の家族が華やかな世界にて名を馳せているとは驚きだ。


「自慢のお父さんなのね。凄いの一言だわ」


 そうだな、と圭介は間髪を容れずに応じながらも、何歳まで寝小便していたのかを白状する寸前のように表情を強張らせている。


「あたしという一人称を使う点はこれっぽっちも自慢できないけどな」


 目が点になった。硬直する千早を余所に圭介が多量の二酸化炭素を吐く。


「テレビでも見かけるだろ? アレだよアレ」


「……いわゆるオネエ?」


「定義はよく分からないが、当てはまると思う。誰が相手でも女言葉で喋るしな」


 千早も詳しい定義は知らない。しかし圭介の噂の原因はこれ以上ないほどに明確となった。


「癪に障ったらごめんなさい。率直に言っちゃうと、お父さんはゲイなの?」


 千早がしたのは回答の知れた質問だ。圭介が肩を竦めて千早の予想を肯定する。


「だったら俺は養子か、母親の不倫相手の子供になるな」


 淡々とした返事からこの手の問答が過去に何度もあったことが分かった。


「趣味や言葉遣いこそ女性っぽくても、アレの中身は紛れもなくただのオッサンだ。今までに妻を四回も孕ませてることが証明してる」


 三つ上と一つ上に姉。一つ下に妹がいるらしい。年の近い姉は同じ高校の二年で、生徒会の役員を務めているから外見のみなら千早も知っている。


「同じ道を目指してるせいか。宿理やどりは父親の性質を気にしてないみたいだけどな」


 圭介は年齢に関係なく姉妹と名前で呼び合っているらしい。呼び捨てだったせいで妹の話と思いきや、宿理というのは一つ上の姉のことだ。


「でも安直すぎるわよね。オネエっぽい人の子供だからってゲイとか……」


 千早は敢えて不快感を隠さなかった。家族の特徴や悪い噂がイジメに繋がるケースは少なくない。むかつく。当時のことを思い返すと未だに腸が煮えくりかえる。


「一番の原因は遊びに来た男友達に、きゃー、食べちゃいたいわー、とか言って親父がハグしたことだし。我が父親ながらゲイと判定されても弁解の余地がない」


 圭介が口早に説明していく。せいぜい千早の感情に気付かないようなふりをして。

 食えない男だ。お陰で冷静さを取り戻した千早は早々に話を拾う。


「知った人の大半が偏見の色眼鏡を掛けそうね」


「だな。小学校を卒業してから久保田以外のダチを自宅に招いた記憶がないし、つまりは古い噂を今でも流されてる訳だ。人の噂も七十五日ってのは大嘘だぞ。三年以上が過ぎてもこの調子だ」


 ふと圭介がズボンのポケットからスマホを取り出した。耳元に寄せようとしない点からメッセージが届いたのだと分かる。


「久保田だ。そろそろ図書室の鍵を職員室に持って行きたいらしい。時間切れだな」


 圭介はスマホをポケットに戻して、


「大体の説明は終わった。後は水谷が俺をふってくれたら満足なんだけどな」


「そうねぇ」


 考えるような素振りを見せながらも、千早は既に結論を出している。


「付き合ってもいいわよ」


 失礼なまでに圭介が顔をしかめた。


「なんでだよ」


「あなたの計画が拙いからよ。実際に私は真相を知る前から真剣に告白してないと気付いてたし、意図だって説明の途中で看破したでしょ? まるで接点のなかった私でさえ見破れたのに、あなたを中学から知る人が気付けないとは思えないわ」


「……ごもっとも」


「そもそも安易に私を選定したのがダメね。私に告白してもふられるのが当然と思っている生徒は多いかもしれないし、その難攻不落の水谷にわざわざ告白したのはなぜか。そう考えると真っ先に浮かぶのは噂の件じゃないかしら」


「…………ごもっとも」


「加えてあなたには失恋の経験がないわよね。大根っぽい演技力しかなさそうだけれども、初恋が実らなくて傷心中の少年という大役を明日から演じられるの?」


 とうとう圭介は口癖のような相槌を打たなくなった。顔はしかめたままだ。


「だから思い切って交際を始めましょう。人前で私に尽くす態度を取れば誰だって信じるしかなくなるし。求められる演技も失恋と比べれば簡単なはず」


「反論の余地がないほどに正論だらけではあるけどなぁ」


 圭介はしかめ面をさらにしかめて、


「水谷はいいのかよ」


「利害は一致してるわ。私もあなたと交際すれば同性愛者の噂を消せそうだもの」


 それに、と千早は圭介の瞳をまっすぐ見つめながら言い足した。


「告白の返事は既にしたはずよ。忘れたのなら告白シーンからやり直す?」


 圭介はしかめ面を元に戻すと薄く笑った。降参したように両手を小さく挙げる。


「勘弁してくれ。大根の俺にあの演技を再び求めるのは酷にも程があるぞ」


「残念ね。あれはあれで良かったのに」


 千早も仄かに微笑み、


「何はともあれこれからよろしくね。初めての彼氏くん」


 圭介に向けて手を伸ばした。


「おうよ。こちらこそよろしくな。初めての彼女さん」


 圭介が握手に応じる。まもなく手を離し、腰を浮かして、


「ところで俺は彼氏としてまず何をすべきだ?」


 決まってるでしょ? と千早は席を立つ前に言ってやった。


「愛する彼女を自宅まで送ってあげるべきよ」

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