EX1:現/仮
閉じられた扉をノックしても返事は無く、そのままドアノブを捻ればすんなりと開いた。目的の人物はソファに寝転がっており、床には連絡用端末と普段から持ち運んでいる鞄が、無造作に放置されていた。寝ているのか、死んでいるのか、分からない人にゆっくりと近づいてみれば、その胸部は微かに上下しており生きている様だった。一先ずその事に安心しつつも、肩に手を添えて体を揺する。常に両方で忙しくしているこの人を起こすのは、少しばかり気が引けるが起きて貰わなければならない。
「起きて下さい」
「…」
「起きて下さい」
「…」
返事がない、もう少し強めに揺すろうとした時、横から伸びて来た足がソファを蹴り飛ばし、寝ていた大きな音を立てて床へと落下した。呻き声をあげて起き上がる。蹴り飛ばした当人はその事を気にする事なく眺めていた。
「大丈夫ですか?」
「…大丈夫、大丈夫。ちょっと考え事していて反応遅れただけ」
「この人起こすなら、この手の方が早いって教えたでしょ?」
「そうですけど、仮にも上司で組織のトップに対してそれは…」
「あぁ、そう言うの気にしないし、必要無いから。ごめんね、手間かけさせた。それで私に何の用だっけ?」
長い黒髪を紐で束ねながら視線を私達の方へと向ける。
「私はハセガワの纏めた資料を届けに来ただけ、そしたら新入りが起こすのに手間取ってたから、正しい起こし方を見せた訳よ。じゃあ用も済んだし私はこれで」
「はいはい、どうも。お疲れ様」
「先輩、お疲れ様です…」
「それで新入りのコッパ―君は何の用?」
「はい、主任宛てに幾つか他所から相談と連絡が来ていましたので、それの報告に」
「成程ね。さっきの会議中に来てた諸々か」
「そうです。此方の端末に来ている物になります」
「はい、どうも。後、私の事は気軽にリネイと呼んで良いから」
「分かりました、リネイ主任」
「真面目だね。内容確認は歩きながら話そう」
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私は体に付いた埃を払うとコッパ―君を引き連れて部屋を出る。端末で情報を確認しながらちらりと後ろを見れば、やや緊張した顔持ちで私の後ろを付いて来ている。彼はここに来てまだ日が浅く、慣れない事も多いだろうがよくやってくれている。面倒見が良いハセガワ君の下に付けたのも良かったのだろう。彼の能力適性を見極め、どの様な部署に配置するかは私が決めるが、その後は個人の頑張り次第だ。そう言う意味では彼は努力を惜しまず、そして優秀だ。
「この間、向こうが言ってた薬の結果が出てる。正式採用される事になったんだ」
「はい、その事で【企業特区:SEREN】の方から打ち合わせをしたいと。主任に直接現場で見て貰いたいらしいですよ」
「ちょっと助け舟出しただけなのに、相変わらず律義だね」
「【企業特区:SEREN】の代表とは長い付き合いだと伺っています」
「まぁね。世界がこんな事になるきっかけになった1人だし、今やこの世界に生きる人間の大多数の寿命、平均300歳とかになってたり、全盛期の若い姿のまま維持出来るようになったのも、大体あいつの研究の結果」
「それは・・・何とも凄い人ですね?」
「うーん?そうかな、そうかも」
私は少しだけ昔の事を思い出していた。
【企業特区:SEREN】の代表企業は、元々中規模の製薬会社でしかなかった。そこの研究室で働いていた、1人の人間がきっかけで今では【企業特区】を作り上げ、支配するに至っている。当然その人間は現在の【企業特区:SEREN】のトップに収まっている。私はその当時、彼が行っていた研究の方に興味を持ち、知識を貸し出資しただけだった。その後、彼は自身の研究の為に時間が足りないと判断して寿命を大幅に伸ばす研究を進め、最終的にそれの実用化に成功した。ついでに見た目の若さを維持出来る仕組みと、肉体限界を迎えた時に丸ごと入れ替えるシステムも作りだした。
『好きに生きて、好きな時に自由に死ぬ』そんな彼の研究成果は、当時の世界から激烈な批判を引き起こしたが、彼は気にする事なく研究結果を自身に施し、また同じ様な事を望む人々にそれを与えた。結果として受け入れた人間とそうでない人間の間に、絶対的な差が生まれ旧世界崩壊のきっかけの1つになった。私は実用化に至る迄の間、必要な環境と設備、時には知識を貸していた事からそれなりに親しい付き合いになっている。私と彼の関係はお互いが【企業特区】を支配する立場になってからも変わっていない。
【企業特区:SEREN】の現在の理念は、「人の進化と変わり続ける医療」となっている。300年の月日を生きる様になっても、最終的に体を入れ替える事が出来る様になっても、病気は存在し、未知のウィルスは生まれてくる。彼は敢えて病気等に対しての耐性に完全を求めなかった。彼曰く、『病気にもならず、怪我もしない様になったら面白くないじゃないですか。長く見た目も若いままで生きられるとしても、病気や怪我とは隣り合わせの方が良いんですよ』らしい。
「現場視察、コッパ―君も来る?」
「本当ですか!?一度行ってみたかったんですよ、【企業特区:SEREN】」
「良いよ良いよ、枠には余裕あるからね」
「是非お願いします」
「一応、上のハセガワ君には確認取ってね」
「了解です。どうしよう、今から楽しみです」
本当に嬉しそうに私の後ろを歩いているコッパ―君に、思わず私も笑みを浮かべる。たった今思い付きで言ってみただけだったが、ここまで食いついてくるとは思っていなかった。
「国家間戦争とか企業間戦争の方は特別大きな動きは無しと…」
「はい、此方の【企業特区】の方に影響が出る様な事は起きていません。後は戦争中の国から商品の買い付けが増えているので、そちらの調整について管理部から質問が来ていますね」
「あそこの戦争はまだ長引くだろうし、普段通りダミー企業通じて出してあげて。量と値段は現状維持で良い。増量を求めるならその分割増しで金額請求する様に伝えて」
「了解しました」
「しかし間にダミー企業挟んでいるとは言え、お互いが同じ企業から商品を買って戦争してると言うのも中々間抜けな話ね」
「それだけ、リネイ主任の手腕が素晴らしいと言う事です」
「どうかな…」
それからも端末に届いている内容について確認し、次々と話を進める。途中別の人からも声を掛けられ、そちらの方への対応も行っていたが概ね予定通りに片付いていた。あちこちに寄り道しながらでも、私の話の内容を理解し正しく整理出来ている彼はやはり優秀だ。残件を確認すればもう残り僅かになっている。
「後はそうですね、”帝明”から会談の申し入れが来ています」
「”帝明”?また?」
「はい」
「あの無能集団と話しするとか、時間の無駄にしか思えないんだけど」
「恐らくは難民受け入れの件ではないでしょうか?」
「あぁ、それの話か。こっちの要求受け入れる気になったのかな」
「兎に角、『直接話を会ってさせて欲しい』の一点張りですので…」
「なにそれ、面白いね。流れを完全に読み違えて、国民に負担を強いて、最終的に自然消滅しかけている国の癖に対等な気でいる訳か。じゃあ、それは当分無視して放っておいて良いよ」
「…無視ですか?」
「そう、放置で良い。そうすれば帝明の無能達も多少、目が覚めるでしょう」
「了解しました。では担当にその様に伝えておきます」
全ての内容を片付けコッパ―君と別れた私は、自室に戻り紙袋から紙束を取り出して、内容を確認する。ハセガワの纏めた資料は時々こうして紙束で送られてくる。彼が紙を使う時は重要な物である事が多く、文章と所々に存在する図も含めて全て手書きで記されていた。相変わらず仕事が早く、正確だなと感心しながら紙束を捲って行くと走り書きで『Air』と題された小さなノートが出て来た。他の書類は殆どがついでで、本命は此方のノートの方。ダミーのページをさっさと捲って内容を確認する。
『(略)観測機器に異常は見られず。意図的に開けた穴から、やはり外部アクセスの形跡を確認。肝心の対象については現在特定不可となっています。外部について大体の目星は付いていますが、相手も馬鹿では無いので証拠の抑えに至っていません。調査は継続して行います。また此方の内部に他所からの侵入者がいる可能性も否定出来ませんが、状況を見るに居たとしても当分は放置で良いと思われます。(略)本来なら存在しない要素が発生している形跡も無いので、恐らく既に存在している要素を被っていると推定し、(略) ”N²4”を除外した、患者への接触について、多少順序を見直した方が良いのではないかと意見が出ています。此方の方で選出したリストは後のページを参照。(略)特に現在SERENにて研究されている、症状(略)についての早期解決に向けて彼らの引き上げは早い方が良いかと。(略)切り離している部分以外にて、申告無しの積極的な取り出しが行われている形跡も有り。彼らについては元々あちらの所属なので、注意・警告に留めておいて問題無いと判断しました。(略) (略) (略) (略)以上が依頼されていた仮想(略)システム (略)の調査結果となります。別件ですがあの人が様子を見に行きたいと、駄々をこねているので対応をお願いします』
細かい文字で長々と書かれた内容を確認し終えると、私はノートを完全に燃やして捨てた。調査結果の大半が予想していた通りではあったが、一部の意見については私としても納得する所だ。今”こっち”で起きている事に対して、優先しなければならない事は幾つかある。それらについての対処は、またメンバーを集めて意見を聞いてみるとしよう。どれだけ経っても私のやる事は一向に減らない。きっと減る事は無い。それでも昔よりは今の方が遥かに楽しい時間を過ごせていると感じている。考えを纏めると私は自室から出て行った。
目的の場所へ行く前に、寄り道として通路奥へと向かって行く。そこは医療区画で、そこに居る多くは怪我人であったり、病人であったり、医療関係者や研究者が大半である。その中に特に厳重に封鎖された扉がある。私はその隣の部屋に入ると、モニターに映っている映像を確認する。そこには変わらずベッドに固定された人物の姿があった。
「あぁ主任、いらしていたんですね」
「”こっち”に戻って来ていて、別の用事迄少し時間があったから見に来ただけ。相変わらず何も起きては無さそうね」
「はい、以前からの状態と殆ど変化はありません」
「まだまだ掛かりそうかな…」
「恐らくは…何か切欠などあれば良いのですが」
「そこを見つけるのは私の仕事でもあるから、君達は気楽にね。もしも変化があったら私に直に連絡して」
「分かりました」
「じゃあ、後よろしく」
私はそう言うと部屋を出て行った。
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厳重に封鎖されている扉の奥は1つの病室となっており、複数の機械とベッドが安置されている。ベッドには1人の人間が様々な計測器に繋がれながら眠っている。外傷も無く、只々静かに眠り続けている。黒と赤が混じった髪の毛は伸び放題となっており、何年も眠り続けているのが見て取れた。この部屋に人が入るのは機器の点検時のみであり、その時ですら寝ている人物に触れる事は無い。まるで世界から切り取られているかの様に静かな時間を刻んでいる。
封鎖している扉に刻まれている文字は、”特別隔離室:N²4”。
部屋の主である彼女は、ある事件以降ずっとここで静かに眠っている。
Entangled-W.a/W.b- 千羽もろこ @senba_moroko
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