第四章 三


今年の元旦、何時ものように早朝ウォーキングへと出た。初日の出を迎えるため、若干遅めの時間調整をしてである。毎日歩いているコースで、入間川沿いの土手を安比奈グランドや西武文理大学そばを通り入間川大橋まで行き、そこから同じコースを戻って来て、八瀬大橋の途中まで行き、そこで初日の出を待った。

ご来光の時に手を合わせての願いごと。家内安全、無病息災、それに家族の一年間の健康を、心内で祈願した。

それに学業は、ざっくり言って後一年三か月程あるが、シニア青春をどう謳歌するか、願いごとの後つらつらと考えてみた。さして特別なことは浮かばず、充分楽しもうとの結論に達した。

つらつらと思いが巡る。川越学園時の一班の学友との親睦会での団欒。そして現在学ぶ東松山学園での美術工芸科仲間との学習やクラブ活動など。いろいろな場面が思い巡らされてきた。そんな時、ふと浮かんだのはつい最近のことだが、我がクラスの新年会のことだ。全員参加とはいかなかったが、ほぼ揃った学友との今年初めての懇親会である。

昨年末に忘年会を行なおうとしたが、各自予定が詰まっていて日程の調整がつかず、年明け早々の授業日に開催する運びとなった。三学期初めの一月九日(水)である。始業式での学園所長による年頭挨拶や通常通りの授業、そしてウクレレクラブでの初練習をこなして、学校を引けてから新年会へと突入した。場所は一度クラスの親睦会を行なった「田園」である。

今回の幹事班は三班となった。班長以下班員が、昨年より開催が決まってから準備を進めてきた。千倉さんが司会進行役買って出て、和やかに始まった。カラオケが用意されており、順次得意曲を披露していた。当然俺もリクエストして、一曲目といっても、隣に座った福田さんとデュエットでの熱唱となった。

今回の新年会で、開催が決まった時から、ウクレレクラブで練習をしていることから、その成果を披露しようと密かに決めていた。勿論、皆には公言していずにだ。皆が唄っている間に準備をする。チューニングはクラブ活動の際に合わせておいたので、そのままにした。楽譜立てを組み立てて用意するが、切り出すタイミングがなかなか掴めず、いざ演奏となればどうも気持ちが揺らぐ有様である。

そんな時司会の千倉さんから声が掛かった。

「組長、準備は出来ましたか?」

 関口が息を吐き告げた。

「はい、大丈夫です」と言い、ウクレレを持って立ち上がった。

 それを見て、皆に向かって千倉が続ける。

「お待たせいたしました。それでは組長が演奏いたします。ところで、演目はなんですか?」

「はい、それでは……」と言い、ウクレレを抱え楽譜立てを持ってステージ前へと向かった。そして、赤くなった顔で皆に告げる。酒を飲んでの演奏など今回が初めてである。弾けるかどうか少々不安を感じながら、

「それでは、日頃クラブでの練習の成果を披露させていただきます。曲目は日野てる子の『夏の日の思いで』を演奏しながら歌います」

「それでは、お願いいたします」

千倉の進行で、関口がウクレレを弾きながら唄いだした。この曲は自宅で何度も練習したもので、それなりに自信があった。ただ練習時は素面で行なっているせいか、酔いの回る中では勝手が違い、数か所間違えていたがどうにか弾き歌い終えた。

ところで、出来栄えは如何だったかって。また、皆の反応は?と問われれば、自分なりに乗って行なえたと思うし、皆の喝采も多かったから良しとしよう。

そこで、「アンコール、アンコール」の声が上がる。それに千倉が反応し、関口に促した。

「よかったですね、組長。皆さんからアンコールが上がっていますが、次になにを演奏して貰えますか?これだけ要望されていますから、やらないわけにいかないでしょう」

酒が入っていたせいもあり、すんなりと引き受ける。

「有り難うございます。それじゃ、私一人だけじゃなく、どなたか一緒に演奏しながら唄いませんか?」

 関口が返すと、「それじゃ、私も一緒に弾きます」と言って、久木が平田のウクレレを借りて前に出てきてチェーニングし出した。さらに、「私も一緒に唄いたいな」と言いつつ、会沢と伊瀬が立ち上がり関口の周りに集まってきた。するとさらに、女性陣から島川、河村が参加した。

 譜面台の前に立つ関口を中心に、参加者全員が輪になり唄う準備を始める。そこに千倉が参加者の面々を覗い告げた。

「随分集まりましたね。組長と久木さん選曲はなににするか決めて下さい。それとも参加者の希望はありますか?」

すると、座っている仲間の中から声が飛ぶ。

「選曲は任せるから、この場に合う曲目にしてくれないかな。そうすれば我々も一緒に唄えるからさ」

「分かりました。それじゃ、この前の学園祭でBグループが熱唱した曲で『知床旅情』にしましょうか?」関口が楽曲を選びながら返した。

「それがいいわ。私は賛成です」と、平田が声を上げ頷いた。

「それじゃ、これで決まりです。皆さん宜しいですか。私も弾き唄いますから、久木さんも楽譜を見ながら同様に弾き唄ってください。皆さん、この曲を全員で唄いましょう」

関口が参加者に促した。そこで司会の千倉も入り、皆で唄った。これには座る皆も盛り上がり、途中から全員が唄いだす有様となっていた。

唄い終ると大喝采である。

俺も、これだけ盛り上がるとは想像していなかった。酔いの中から気軽に、皆に声を掛けたことがきっかけで全員での大合唱。これには俺自身、ウクレレの日頃の練習成果を発揮出来たことに内心満足である。演奏の途中で幾度か指が動かなかった場面もあったが、なんとか最後まで演奏し唄うことが出来た。

人前で弾き唄うのは、学園祭以来今日が二度目であるが、これで多少なりとも人前で弾く勇気が出来たように思う。これからこのような機会があれば、積極的にウクレレを弾き唄ってみたいものだ。

そんなことで、美術工芸科の新年会も盛況のうちに終わった。最後に四班の幹事責任者の瀬下の音頭で、一本締めが行われた。

「それでは、関東一本締めでお開きと致します。よっ!」

 全員が立ち上がり、瀬下に合わせて勢いよくシャンと手を合わせ締めた。

「お疲れ様です。駅まで送迎バスが行きますので、お乗りの方は玄関へお集まりください。また、車で帰る人は運転に気を付けてください。お疲れ様でした!」

 気づかう瀬下に、関口がバス内から声を掛ける。

「瀬下さん、幹事役ご苦労様でした。瀬下さんも、車の運転気を付けて返って下さいね」

 走り行くバス内の座席に座る関口が、心内で呟いた。

和気あいあいと過ごせ、学友たちとの絆もさらに深まったし、三学期も好スタートを切ったみたいだ。まあ、美術工芸科は個性集団の集まりだから、都度気負っても纏められん。これからも、今夜の新年会のように気張らずやってゆくか……。

そんな思いが脳裏をかすめた。

そんなこんなで、東松山学園での学生生活はまだまだ続いて行きます。二年制の学業で一年を二つに割れば、四分の一程度経過しただけで、まだ先が長い。クラスの授業や自治会活動、それにクラブ活動が続いて行くが、どのような展開が待っているか楽しみだ。

おっとそれに、川越学園の校友会活動と一班の仲間との交流も、これからまだまだ続くわけで、それを考えればなにかと忙しい、シニアにとっておちおち呆けていられんな。

「なんて……」気忙しそうに、翌週の授業内容をチェックしながら、「そうか、次は臨床美術の授業か。しかし、なんだい臨床美術って、あまり聞いたことがないな。どんなものか、前もってインターネットで検索してみるか……」

 関口が漏らしながら、パソコンの電源を入れ、インターネットに繋ぎ検索していた。

                                       完


追記

あれから、何年経っただろうか……。

皆様にお届けできる日に振り返れば、早十四年の月日が経過し、ただ今、七十四歳。当時、毎週一回川越学園(一年制)と東松山学園(二年制)を、年を変え、其々過ごした大学生活の一コマです。

尚、大学名も令和二年に埼玉未来大学へと名称変更されています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただ今、シニアの大学生 高山長治 @masa5555

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る