第四章 二


ところで、ここでがらりと話題を変えて、学びし東松山学園のカリキュラムを紹介してみよう。すでに終了した一学期の学習日程だが、四月の始業式と全体オリエンテーション、五月一週目の授業で、午前が四科合同学の大東文化大学講師によるボランティア概論。午後の美術工芸科は、美術の基礎で元中学校長による講義。二週目と三週目の午前がクラブ編成会議があり、五月末には、学生自治会の設立総会。この総会で美工の級長となった俺が、副会長兼広報委員会の委員長になった。その日の午後には、環境美化運動(ゴミゼロ運動)にクラス全員で参加した。

六月の一週目は自治会の活動課外活動として、美工科はクラス内で話し合い、上野の美術館巡りを行なった。また、各授業日の合同学習では、介護予防の推進や広報誌の作り方を学び、午後は元中学校長によるデッサンとスケッチ。七月に入り午前は、和算の仕組み、食事と健康・衛生管理。午後は教室内と屋外で、それぞれスケッチブックに静物、校舎外の風景を写生した。正直言って、このデザインとスケッチの違いなど考えたこともなく、また知らないまま講義を受ける有様で、戸惑いながら思いのまま描くため、ど素人丸出しで、さぞや講師には驚きであったに違いない。それもこの講師、美術が専門とくれば、むしろ呆れ果てたのではないか。それでも注意を受けつつ描いてみたが思うようにいかず、難しさが少々解ったような気がする。

それでも授業以外で、スケッチを自宅で新聞写真などを参考に描いてみた。それも一枚ではなく何枚描いた。予習や復習などやらない俺には、異例ともいえるものであるが、描いた対象は、ちょうどロンドンオリンピック最中であったため、新聞写真はそれに係わるものである。出来栄えとしては、素人目で視る限り、それなりに描けたのではないかと自負している。勿論、講師に見せたわけでもなく、学友にも公表していない。

さらに授業後のクラブ活動だが、これは必修となっており、選択した理由は如何な理由でも、俺はウクレレクラブに入部した。勿論と言ってはなんだが、一念発起とか決意を持っての入部ではないし、ウクレレや他の楽器に触れたこともなく、まったくの未経験者での参加である。と言う優柔不断なモチベーションなれど、まあ、入ったからには一生懸命頑張ろうと思う。何故かって、そりゃ決まっているだろう。入部してしまったのだからな。今さら白紙の戻して選び直すことなど面倒だ。そんなんで、まずは初歩の初歩として音階を覚える。そう、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」が弾けるようになることから始める。ところで、クラブでの指導者は、ウクレレ歴四十年ある生徒が、立ち上げと講師を引き受けてくれた。まずは基本からということで、ウクレレの弦の音階を調整することから始まった。耳慣れぬ言葉が飛び出してくる。彼にとっては至極当然のことらしい。それなくして始まらないと言うが、果たしてどのようなことだろうかと真剣に受け止める。弾くピアノの音に合わせ弦を強めたり弱めたりを手早く調律し弾き始めた。なんと手慣れた動きであろうか。そして奏でられるウクレレの音色がリズミカルに響いてきた。ウクレレを片手に木田講師が語り始めた。

「どうですか、皆さん。まずはチェーニングから始めます。これから配るペーパーに書かれている音階に四本の弦を合わせるのです。やってみてください」

すると、戸惑ったように平田が告げた。

「はい、でも。そう言われましても、ピアノの音階とかまったく解りません。どのように合わせたらよいのですか…」

「そうですね、もう一度弾いてみますのでよく聞いてください。こうです、平田さん解りますか?」

ソ・ド・ミ・ラの音階を弾くが、皆の顔がぽかんとするばかりである。木田講師が再び尋ねる。

「この中で、ウクレレをやっている、あるいはやっていた方はいますか。経験年数は問いませんが、如何ですか?」

すると、吉田が応えた。

「いや、まったく未経験の素人ですから、チェーニングと言われてもどうやっていいのか解りません。それに、そのチェーニングとやらはなんですか?」

講師が困惑気味に弾きだし応える。

「そうですか、チェーニングとは各弦を決められた音程に合わせることで、この音ソが一弦目の音です。解りますか。この音に合わせて、後ろのギア・ペグを締めたり弱めたりするのです。その際、気を付けなければならないのは、あまり強く締めすぎると弦が切れてしまいますからね」

と注意を促した。すると、吉田が躊躇いつつ告げた。

「いや、そう言われても。どの程度締めればいいのか、皆目見当がつきませんが。しかし難しいな。俺みたいな素人には、チェーニングをするのが無理ですよ」

 木田が柔和な顔で説明する。

「ギターなども弾き始める前に、必ず必要な作業なのです。ピアノや管楽器などはチェーニングがありません。楽器と言うものはそういうものなのです。ウクレレは弦がビニール線ですので、室内の温度さや少し置いておくと音程が違ってきます。ですから弾く前にチェーニングが不可欠な作業ですので、皆さんは必ず調整出来るようになってください」

「参ったな、ウクレレはチェーニングをしないと始められないのか……」

吉田が嘆いた。と同時に、戸惑う表情が皆の顔に現われていた。意を決したのか、関口が背筋を伸ばし、眉間に皺を寄せて調整し出す。

「とにかく、やるっきゃないか」と始めたが、慣れないせいか上手くいかず、つい弱音を漏らしながら、つい弱気の虫が這い出す。

「今日のところは、先生にチェーニングして貰おうかな」

皆の困った顔を見て、木田が告げた。

「それでは、私がチェーニングしてあげます」と、一人づつ持ち寄るウクレレの調律を手早く行っていた。

そんなこんなで、初めてウクレレを手にした者は、講師にチェーニングして貰った。全員の新米生徒が準備できたところで、講師が告げた。

「それでは練習を始めます。先に配ったハ長調のコードF、Bb、C7を記載したペーパーを出してください。それで実際に弾いてみます」

そう説明してから、おもむろに弾き始めた。その手慣れた音響に聴き入る。

「すげえな、やはり四十年やっているキャリアの腕前だ。上手い」

 関口が驚きの表情で、感嘆の溜息を洩らした。

すると、至極当然のように、「まあ、こんなものです。皆さんも六カ月もすれば、弾けるようになりますから頑張ってください。年齢とか不器用と言うのは関係ありません。誰でも練習すれば出来るようになるのです」説く講師に、

「そうかな、俺なんかまったくの素人だから、そんなに上手くいかな。なんせ楽器を持つのは初めてだし自信がないですよ」と、関口が弱気になった。そこで木田講師が尋ねる。

「ところで、この度発足したウクレレクラブのメンバーは十四名ですが、教える方としては調度いい数ですね。それと、この中でウクレレやギターなどの弦楽器をやっている人はいませんか?」

問われて、松本が手を上げた。

「はい、私はギターを三年程やっています。ですから楽譜は読めますし、チェーニングも慣れています」

「そうですか、他の方はどうですか?」

 おずおずと長沼が口を開いた。

「あの、私はウクレレを週二回で六カ月ほど教室に通っていますが……」

「ほう、それはいいですね。それで他の方は?」

「・・・・・」

応ずる者がいなかった。

「そうですか、いませんか。これは教え甲斐がありますね」

 木田が顔に表さず。大変だ、先が思いやられる。と内心思いつつ笑顔を振りまくが、未経験者の部員は不安の色を隠せない。そこで、木田講師が追い打ちをかける。

「勿論、皆さんは弾けるようになりますけど、週一回のクラブでの練習も大切ですが、自宅で毎日三十分は練習してください。とにかく練習が必要です。一にも練習、二にも練習を心掛けてください。何でもそうですが、基本は練習すればするほど成果が現われます」

皆に向かって真剣に説いた。関口が納得する。

「やっぱり、そうですよね。練習せずに上手くなる方法などありませんよね」

「そうです、小学生の高学年や中学生、さらには高校生の音楽クラブでも練習せずして、演奏会での聞かせる音など出ません。勿論、プロの演奏者でも練習を積み重ねてきたからこそ、お金を取って聞かせる演奏会が出来るのです。歳など関係ありません。だから皆さんも同じですから頑張ってください」

 熱弁をふるう木田の熱が伝わるのか、皆が真剣な目をして聴き入り、不安を抑えやる気がみなぎっていた。さらに今後の行事に及んだ。

「まずは、十一月に行われる学園祭で演奏することを目標に取り組みましょう。選曲は、皆さんの意見を取り入れますが、最終的に私の方で決めさせていただきます。まあ、そんなことで頑張りましょう」

 一部の者を除いての素人集団が真剣に目を輝かせる。それぞれが、夫々の意図を持って必須のクラブ選択を、ウクレレクラブに決め部員になった。クラブ活動初日に言い含められた言葉の重み。皆の心にずしんと来たであろうことは想像がつく。

俺とて、当初のクラブ選択では、マジッククラブに入ろうかと考えていた。選択理由は簡単だ。人前で披露出来たら、さぞかし鼻が高いだろうとの思惑だけだった。けれど最終的に、ウクレレクラブに入部を決めた。変えた理由など大したものではなく、むしろ聞かせる意味もないので割愛する。とにかく入ったからには、真面目にやろうと思う。

ところで、ウクレレは持っていなかったので、皆と同様に講師の計らいで、買い揃えてのスタートである。ゆえに、揃えたからには途中で投げ出しては、お金をどぶに捨てるようなものだし、シニアの年金暮らしからそれも勿体ないので、じっくり取り組んでみるつもりだ。とまあ、取り組む姿勢も高尚な考えもない有様だ。

そんなことで、学園生活が始まったが、さてどうなることやら。夢と期待が膨らむ今日この頃である。

さて、それからどうなったかって。そりゃ勿論、東松山学園でのクラス運営やクラブ活動であるが、川越学園の趣とは違った様相が六月から展開されていった。一学期が終了して長い夏休みを過ごし、その間、木田講師からきっちり宿題を仰せつかった。勿論、ウクレレの練習である。やはり二か月近くの休暇で、一学期の約三か月間クラブ活動で基礎を教えて貰ったことが、ウクレレに触りもせずぐうたら過ごしたのでは、上達どころか元の木阿弥になることが必修だ。それを見越しての宿題である。

一学期の終業日でのクラブ活動で、きっちりと講師が釘を刺した。

「今日で、一学期のクラブは終了となりますが、ウクレレの練習に夏休みはありません。この休み期間に、毎日三十分はウクレレを弾いてください。草臥れるとか面倒だなんて考える暇があったらウクレレをチェーニングして、今まで勉強してきた曲を練習することです。四十年弾いている私でさえ、毎日必ずウクレレを手に取ります。これは皆さんがゴルフのスコア―を維持するために日頃練習をとぎらせないの同じではないですか。ピアノ、ギター、それに他楽器のプロは、毎日練習を欠かしません。宜しいですか」と、真剣に説いていた。

そんなことで、俺もやはりやらねばと意を新たにした次第である。そこで、言われる通り毎日練習することに決めた。内容はいたって簡単である。今まで教えて貰った曲を一曲三回唄いながら弾くというもの。楽譜が都度配られ八曲になっており、それと曲ごとのコードを紙片に書き写し、始める前に指慣らしで順繰りと弾いてから始めることにした。これで大体一時間ほどの時間を要した。

夏休みに入り、とにかく続けた。だが、次第に慣れてくると飽きが出てくる。マンネリと言うやつだ。俺も強情な性分なので、一度決めたら何がなんでもやりとおす。そこで思いついたのが、八曲以外に好きな曲を追加して行けばいいと考えた。インターネット検索で曲の歌詞とコードを調べ加えて行った。これがまた新鮮でいい。見る見るうちに曲が増えて行く。この間、検索しても曲によっては、コードが調べられないものが出てくる。それは木田講師にメールで歌詞を送って、コードを付けて貰い送り返していただいた。

夏休みはいる前に、木田さんが「解らないことがあったら、いつでも連絡ください」と言っていたのを思い出してのことである。夏休みの間に増えたのが十曲ほどになり、練習時間も一時間半ほどに増えていた。とにかく、毎日朝飯を食ってから取り組んだ。それが日課となり、最優先事項となった。

そして、九月から二学期が始まった。授業の方では、午後の専科授業もデッサンから水彩画へと進んだし、このカリキュラムが終われば陶芸へと進む。ここは俺の得意としている分野だ。なんせ自宅で初めて三十年は経っている。余談だが、この陶芸も今まで何度も失敗し現在に至っていることを顧みれば、ウクレレも相通じるところ大ありだと、改めて認識し直した。

また、自治会活動では十一月に大きな催事として、我ら二十八期と二十七期、それに専科四期の合同学園祭が開かれる。準備は六月頃から始まり、十月には本格的な段階へと進み、十一月十七日~十八日が本番となる。夏休み明けした段階で、クラスでの出し物の話し合いが本格的に始まり、さらにクラブでも今まで練習してきた曲の中から、これも話し合いで三曲選択し正式に決まった。それぞれ早朝練習としてクラスの演奏曲、そしてクラブ活動時間に三曲の練習と余念がない。今はこの学園祭に向けた活動が、最大の課題となっている。

それが終われば平常に戻り、午後の美工の専科授業も油絵と移るのか。はたまたクラブ活動は、どんなものに変わって行くのか楽しみである。

ところで、学園祭でのクラス、クラブの演奏は如何な結果になったか、知らせておきたいと思う。我が美工科は二グループに別れて、それぞれ演目を決め披露した。クラブでは、三曲を二日目に演奏した。出来栄えだが、両方とも旨くいったのではないかと自負している。特にクラブの演奏では、終了後アンコールの声が起きたのが嬉しかった。とは言うものの、事前の日々の練習では主に三曲しか練習をしていなかったこともあり、アンコールに応える曲も用意していず引き下がったのが実情である。演奏終了後控え部屋に戻っての、木田講師からの労いの言葉が印象に残る。

「いや皆さん、上出来ですね。我々の前に、二十七期のウクレレクラブの演奏がありましたが、出来栄えでは負けていませんでしたよ。それに、アンコールが出たのはこちらだけです他の演目でもおきませんでしたからね。クラブ編成から六カ月間、皆さんよく練習に励み頑張りましたね。これぞ、やればできるというお手本ですし、『素晴らしい』の一言に尽きます。皆さん、本当にご苦労様でした」

 控室で撮った、集合写真の満足気に映る皆の笑顔が物語っていた。

そして、一週間が過ぎた。慌ただしかった一大イベントが終わり、ようやく通常の学生生活へと戻る。朝の全体朝礼では、教務の大杉さんのほっとした顔に無事終えた笑みが漂い、受ける学生らの顔つきにも成し得た充足感が消えずに残っていた。

「おはようございます、皆さん学園祭が成功裏のうちに終えましたことに感謝いたします。また、天気予報では初日が雨の予報でしたが、なんとか曇りながら降らずにすみましたこと、皆様の日頃の行いがそうさせたのではないかと思います。……伝々」

午後のクラスホームルームで、関口がクラスメイトに告げていた。

「先週行われた学園祭では、美術工芸科の二グールプの演奏は成功裏に行うことが出来ました。これも、夫々のチームが夏休みや早朝に練習を積み上げてきたことが、成果に結びついたのではないかと思います。本番では、ともに練習以上の出来栄えでした。本当にご苦労様でした」

 すると、一班の古山が声を上げた。

「級長、俺らのAグループでは夏休みは完全休暇だったし、早朝練習も全員が揃ってやったのは何日しかないぜ。それに比べ、Bグループは夏休み練習や早朝練習も真剣に取り組んでいた。だから俺らはぶっつけ本番に強く、上手く出来たのもまぐれじゃないんかな。Bグループは努力のたまものだな、そんな気がするよ」

Bグループの森本が、鼻をつんと上げ得意気に喋り出した。

「そうですの、夏休みには何日練習日をこさえたかしら。結構皆さん真剣に取り組んでいらっしゃったのよ。だから私、皆のためにご飯を炊いて持って来て上げたの。おかずの空揚げや野菜の煮つけなどは、主人が作ってくれるから助かるわ」

 すると、同じBグループの松本が感謝の意を表した。

「そうなんですよ、練習日のたびに森本さんが持って来てくれたんで有り難かったです。練習が終わった後、皆で美味しくいただいた。これで、グループの結束が密になりましたよ。森本さん、本当に有り難う」

「どう致しまして。私はなにも苦にならないんですよ。私の参加している他のグループでは、しょっちゅうやっていることなんですから。このお米や野菜は私のところの農地で採れるものばかりなので、買うことがない食材なのです」と、森本がケロッとした顔で応じた。すると、Aグループの会沢が羨ましげに漏らした。

「いいなBグループは、俺らのグループではそんなのないもんな。羨ましい限りだぜ。森本さん俺らのグループに移籍しないか。平山グループ長、宜しいでしょうか?」

そこに、松本が口を挟んだ。

「駄目だよ!」

「けちっ、それなら俺らのところへもお裾分けしてくれねえかな。今度真面目に早朝練習をするからよ」

「そんな付け焼刃みたいなこと言っても、駄目なものは駄目だ!」と、松本が手を横に振り否定した。こんなホームルームでの打ち解けた談笑に、皆の顔がほころんでした。





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