第二章 二

 長い一か月間の夏休みが過ぎてみれば、あっという間だった。九月に入り、また久々に一班の仲間と顔を合わせた。皆元気でなによりだ。授業前のひと時、雑談に花が咲く。石田、瀬川、小倉、海原、坂本、山中、阿部の女性陣。それに田畑、佐竹、佐々木、戸田の男性陣も相変わらず変わりない。一班全員の元気な笑顔が振りまかれ、若干懐かしさも手伝ってか、俺の顔にも安堵の表情が漂っていた。

それでは二学期も無事始まったことで、ここで若干嗜好を変えてみるといたしましょうか。

我らの通う川越学園での活動状況がいかなるものか。また我々の行動が、興味あるシニアの方々や現役学生、あるいは社会人の皆さんに、どのように映っているだろうか。はたまた社会人の方々には、昔の己の学生生活にいろいろ思い出があろう。会社をはねた後の居酒屋の片隅で、仕事の憂さを晴らしながら、ひとしきり感慨深く懐かしむ当時の授業やクラブ活動。あるいは女子学生との合コンと、過ぎ去りし日々を振り返り、我らシニア学生の活動と比べてみるのもいいのではないかと、深く考えもせずそのように勝手に解釈し、我らの川越学園での活動を覗いてみることに致します。

あまりにも強引な手法に、何故そんなことをするのか理由を聞かせろと、ねじ込まれるかもしれない。特に現役の学生の方々には、シニア学生が学ぶことなど興味がないし、どうせ学校側のスケジュール通り学ばされているだけじゃないかと思われがちだが、我らとて入学当時は、事実誰もがそのようになろうと、早とちりした諸シニアも数多くいたが、あにはからんや、現実はそんな甘いものではなかった。

皆様方には、いかに映るだろうか。これから我らシニア学生の、学園活動状況を記した日誌を辿って、有体を説くとご覧いただくべく紹介させていただきます。但し、私、若干ルーズな一面もあり、入学当初から日誌を書いていたわけではありません。結局、言い訳になりますが、何十年と離れていたというか、ほとんど忘れてしまった時代のことで、一学期目は慣れぬ学生生活の中で多忙を極めたせいもあり、二学期になってから書き始めたのが現状ですので、そこのところは寛大なご理解を賜りたいのです。まあ、能書きは後にして、内容については「ほう」と意外に思われるかもしれませんが、「まあ、ご覧あれ」と関口が、表紙に「いきがい大学第三十五期川越学園」と記された薄汚れたノートの一ページ目を開いた。そこには、やはり判読しづらい乱雑な走り文字が、行間など構わず躍っていた。



九月八日(木)

二学期の初めての授業日である。自宅を出る前に、ノートの最終ページに記録しておいた市バスの時刻表を見直す。長い夏休みのブランクで、何時出発したらよいか忘れてしまっていた。

「何時のバスに乗ればいいのか。それに間に合わすには、的場発のJR電車は何時だったっけ……」と一人呟きながら、JRの時刻表と見比べ、自宅を出る時間を再確認していた。

電車とバスを乗り継ぎ、小一時間で川越市民会館に着いた。教室に入ると、すでに一班の仲間が来ていた。「おはようございます」と声をかけると、瀬川、小倉が「おはようございます」と返してきた。直に他の仲間が次々に来て席に座った。皆元気そうな顔である。一時限目の授業は「地域のコミュニティづくりを考える」そして二時限目は「食の知識と健康管理」と題する講義だが、あまり興味が湧くものではなかった。それより我らが担当する卒業懇談会や、学園祭での一班の出し物の方が気になり、授業中もそちらに考えが及ぶ始末となった。それはそれで仕方ないことだと思うが、終わってみればせっかくの講義をもっと真剣に受けねばと反省しきりである。



九月十五日(木)

早九月の半ばになるが、今日は課外授業だ。鴻巣市にある埼玉県防災センターで、防災に備えての体験学習となる。一班のジジイ連は大宮駅で集まり行くことになった。とはいっても、五人中二人は欠席である。そこで授業日が限られている関係で、今回の参加者だけで学園祭に係る打ち合わせを、当センター内で十二時から予定した。班としての出し物を何にするかを決めることになるのだが、果たしてどうなることやら。気負わず、皆の意見を聞き纏めて行きたい。

選抜制にするか全員参加で行なうか。さらに演目をどうするか。また練習日を何時にするかも決めなければならない。原則、練習を授業日とするなら限られるので、その辺も意見を集約したい。

ところで前回の授業は、一か月間の夏休みがあったせいか、活動リズムが狂ったような気がする。副班長とも意見が合わず、気負わずと決めて臨んだが、少々苛立って対応してしまった。それゆえ、意見の集約も出来ないまま課外授業へと入ってしまったが、実際のところ、課外授業の始まる前の限られた時間での打ち合わせであったため、やはり纏めるには無理があったのか、最終結論を出せぬまま時間切れとなった。

それでも皆から意見を出させたことが、一歩前進ではないかと思う。そう焦っても、意見の集約が出来なければ前には進めないのだから、大らかな気持ちを持って次回の打ち合わせに繋げて行きたい。

ところで、今回の体験学習の内容を紹介すると、地震体験では阪神淡路大震災のマグネチュード七の揺れの実験装置に乗り、激しい揺れを体験し実感が伝わった。さらに暴風では、風速三十メートルの強風を体験するがなんとも凄まじい。それに消火器の使用訓練を行った。夫々インストラクターの指導により体験したものである。

この学習、高校生や大学生が受けることは稀で、精々中学生以下の体験学習授業のようである。我らシニアとして初めて味わったが、地震の揺れや強風の体感から、実際に起きた時を想像してみると、恐怖心すら生じるものとなった。そう思うと、我らの体験など、東日本大震災での地震や津波を経験された人々に比べたら、非にも及ばぬことであるに違いない。それゆえ、自然の脅威を甘く見てはいけないと、今更ながら悟った。それゆえ、今回の課外授業は、被害を最小限に防ぐための、年齢を超えた体感訓練であったと改めて感じた。



九月二十二日(木)

一週間振りの授業日だ。一時限目の授業内容は、真寿会施設長萩野常務理事を招いての、「介護サービスの基礎知識」なるもので、我らには身近な関心ごとである介護保険制度の内容や、人口高齢化連動、人口高齢率比較の国際比較等、さらに身近なものとして、都道府県別高齢者(六十八歳以上)人口推移での埼玉県の状況等々の講義を受けた。

己自身を考えた時、尤も身近なことゆえ真剣に考えねばならないことと受け止める。特に、他人の世話にならないためには、なにが必要か。それは元気でいることと言う。どうしても介護が必要になった時は、介護保険制度を活用すること。但し、活用するには元気なうちから、この保険制度がどのようなもので、どう活用すればいいのかを勉強し理解しておかなければならない。さらに、介護を受けるための資金をどう確保しておくか。など裏付けを作っておくことが重要と認識した。

まあ、講義を受けていて重要性はわかったが、今すぐに必要ないものゆえ、どうしてもまじかな問題ごとに目が向いてしまい疎かになっているのが現実ではなかろうか。

それはさておき、やはり気になるのが卒業懇談会の件だ。今日はこの全体打ち合わせと各実施担当班単位の打ち合わせがある。全体打ち合わせで、必要書類を参加者に配布し趣旨と現状の進捗状況を行ない、続いて各実行班内にて打ち合わせを行って貰うこととした。俺の役割は全体打ち合わせまでで、後は副委員長が受け持つ各実行班内にて詳細に打ち合わせを行って貰うことである。

ここでの要点は、前回の打ち合わせで漏れがないか。さらに実行班単位での協調体制と連動をお願いした。その前に、前回時の予算配分を変更しているため、その辺も検討材料として貰うよう、実行班ごとに見回り検討状況を覗くが、結構真剣な討議を行っていた。その中で、飲食班の清水副委員長より、予算を増やし紅白饅頭を追加する案が浮上する。ついては資金が不足するとのことにて、急遽総務、会場班担当の副委員長に予備費を削って貰い、食料班に五千六百円を回した。

今日の実行班単位での打ち合わせで、総務、飲食班はほぼ纏まったようだ。あとは会場班がどれだけ話し合っているかだ。まあ、ここのところは急かせても駄目なので見守ることにした。それに蛇足だが、一班は学園祭出し物の段取りを石田副委員長に一任しており、これも見守りたい。



九月二十四日(土)

午前九時過ぎに、石田さんから携帯に電話がかかってきた。要件は十一月十日にある学園祭での一班の出し物の件であった。坂本さんと連絡を取り合い、九月二十九日に打ち合わせをしたいとのことである。今まで何度か皆で打ち合わせ、意見を集約しようとしたが纏まらない状態で、石田さんに一任する形となっていたことから、急で全員集まれるかわからないが、とりあえず連絡を取り合い集まることとなった。そこで連絡網を使い、俺は男性陣を、石田さんは女性陣に連絡することになり、早速俺は佐々木さんへ連絡する。要件を伝えるとオーケーだった。集合場所を川越駅西口に、時間を午後一時集合とした。連絡網なので次の佐竹さんへ繋いでもらうことにする。初めての連絡網使用なので、どんな案配か様子を見ることにした。午後になっても返ってこず、どんなものかと思っていたが、午後五時過ぎにふたたび石田さんから電話があった。どうですかとの内容である。そこで、まだ返ってこない旨を伝え、明日確認し連絡することになった。



九月二十五日(日)

午前八時三十分に、佐竹さんへ電話をかけ要件を伝えると、昨日佐々木さんから連絡があったとの返事。ちょうど囲碁クラブへ行っていたので、次に廻せなかったとのことで、それでは俺の方から、次の戸田さんに連絡することを告げ、直ぐに戸田さんへ連絡し要件を伝えるとオーケーの返事を貰った。そこで佐々木さんに連絡し、車の手配をする。男性陣は佐々木さんの車で、打ち合わせ場所の川越南文化会館へ行くこととなった。

以上段取りを取り、午前八時三十分に石田さんへその旨電話で伝えた。結局、集合できるのは九名となった。田畑、瀬川、小倉はクラブ活動の遺跡巡り、山中さんは旅行とのことにて欠席となる。一連のことから連絡網は男女ともスムーズに行かないことが、初めて試みてわかった。いずれにしても、九月二十九日に新河岸にある南公民館通称ジョイフルで、一班の出し物の打ち合わせをすることになった。

今回は石田さんを中心に進めてゆくことになり、一班全体の活動として、考えていた通りの展開になったようだ。また別件で、九月二十二日の授業日には、前々から提案していた蕎麦打ち会の行事も十二月二十四日に決まった。蕎麦打ちについては、瀬川さんに段取りをお願いしていたが、どうやら田畑さんを中心に、海原さんが東秩父の「和紙の里 そば・うどん体験施設」を探してきてくれた。ちょっと早い気もするが、忘年会を兼ねて行くことで決まった。この辺もいい感じである。



十月六日(木)

とうとう十月になり秋の気配を感じる季節だが、もうこんな時期か、という気持ちで一杯である。一週間ぶりの授業だが、講義中もやはり卒業懇談会や学園祭のことが頭をよぎる。もちろん授業を受けることで、知識の習得をすることが目的で入学したはずだが、どうしても役柄纏めて行かねばならず、そちらに気が向いてしまう。少なくとも授業時間は講義に集中しなければと、少々反省しているところである。行事も大切だが、受ける授業もしっかりと理解したい。気負い欲張るも、まあ、あまり真剣に考えることもあるまいと思い到ると、一班の仲間の顔が浮かんできた。

それはさておき、今日の授業内容だが、一時限目は伊藤司法書士による「成年後見制度について」、二時限目は消費生活コンサルタントの永田氏の「悪徳商法への対応」と題するものであるが、一時限目はあまり興味が湧かなかったが、後半の講義は高齢者への警報と捉えると、まさしく我らシニアが、悪徳業者の最大のターゲットになるとの趣旨から、注意を促す目的で組まれた講義であるように心得た。高齢者の持っている三つの不安として「お金」「健康」「孤独」、これにプラスされるのが「判断力の低下」だそうである。また、「悪徳商法からあなたを守る十ヵ条」は、ずばり的を得た内容であったため、昼食後の講義にも拘らず居眠りなど起きないものであった。

今日は授業後のクラブ活動が終わった後、学園祭の練習にかこつけ、一班の仲間が居酒屋で一杯やる予定だ。どうなることやら。じつは失敗したことがある。俺は一班が今朝の教室内の机並べ等の当番であるにも係らず、朝の集合時間を間違えてしまった。本来であれば、当番はいつもより一時間早く行かなければならないところ、それを通常通りに家を出て、暢気に川越の旧市街地の街並みの写真を撮っていた。教室に着いた頃には、すでに作業が終わっていたのだ。一班の皆に平謝りした。もちろん、これで皆が許してくれるわけではない。夕方から始まった飲み会で嫌味を言われ、散々な目に遭ったのは仕方のないことだ。でも、飲み会は皆との絆を深めるには、大いに盛り上がり大成功だった。ただ、酒が飲める者ばかりではないので、その点は配慮が必要な気がする。まあ、それでもカラオケで唄ったり、反省を込めて俺が馬鹿を演じたりして、皆が楽しんだのではないか。



十月十二日(水)

自宅で明日朝の理事会用に、卒業懇談会実施案等の書類を再チェックし印刷した。印刷の途中、黒インク切れを起し、やむなくヤマダ電機へと買いに行くが、年間商品割引券を持ってゆくのを忘れてしまった。そのまま買ったため、なんだか損をした気分であるが、これは単なる私的な感情であり、学園のこととは無関係である。



十月十三日(木)

週に一度の授業日である。今日は授業の始まる前に、自治会の理事会合があった。ここではかねてから発表することにしていた、卒業懇談会の実施案について、資料を配布し説明した。質疑を問うが異論は出ず、すんなりと承認された。これで実施案も正式な実施計画書として、本格的な準備作業に入れるわけで、理事会に出席した実行委員のメンバーも心新たにしたのではないかと思う。もちろん、この実施計画書は実行委員会の中で取り決め作成したものを、一、九班全体の打ち合わせ会で全員に説明し、コンセンサスを得たものである。 

この実施計画書の基になる実施案作成でも、たたき台となる素案を作り、クラブ活動終了後や授業日以外でガスト等に集まって、数度の実行委員の打ち合わせで、喧々諤々と意見を交わし作り上げたものである。これに自治会から割り振られた卒業懇談会支出予算と、参加学生から参加費を集めた原資を基に、決められた三部門による詳細な支出計画書を添付した。この支出計画書も、各実行担当班内の打ち合わせで討議された案を、実行委員の打ち合わせで激論の上承認したものである。



十月二十七日(木)

今日は十月最後の授業日だ。通学前に自宅で、早朝理事会や一班に対する卒業懇談会の連絡事項。それに卒コンの実行委員傘下の各実行班の進捗やら、実行委員メンバーになにを伝えるか。さらには、十三日の理事会で承認された実行計画書に含まれる会計担当正副の選任・決定等、あれこれ考える。

さらに前回の理事会で実施案が承認されたことで、実施計画書に基づき、卒コン参加出欠席及び会費案内、各班宛の発表者依頼案内、班及びクラブへの展示写真の依頼案内等を何時発送し回収するかを、作成担当する三部門の実行担当班に振り分けるべく、そのスケジュール表を事前に作成しておいたものにも思考が及んだ。これは今後行われる実行委員会打ち合わせで披露する予定である。

また、一班の皆には当面の学園祭での出し物関係。特に今日クラブ終了後の練習以外の練習日設定を話し合うことなど、やることが満載だ。まるで高速の走馬灯のように、頭の中でぐるぐると駆け巡っていた。本来授業日ゆえ、授業内容が一番大切であるが、どうしてもそちらに意識が向いてしまう。登校すべく家を出て電車やバスの中でも考え続けた。ともかく朝から忙しい。

ところで、一時限目の授業は川越城の歴史と相成った。講師は川越市立博物館の尼島職員によるものである。「川越城本丸御殿の修理」と題する講義で、結構興味を引いた。授業後のクラブ活動での、学園祭への各自展示品の選定要請で、俺は「色」と言う漢字を色紙に書き野沢部長に提出した。もちろんクラブ活動で何度も書き、さらに自宅でも認め書いたものの中から、気に入った文字の色紙である。

また、クラブ終了後一班全員で出し物の打ち合わせと「いい湯だな」の振り付けの練習をした。この練習は初めてでもあり、当初は多少抵抗感があったが、直に慣れた。学園祭の演目順位は、朝の理事会で一班は二番目と決まった。さらに班内で話し合い、十一月二日の水曜日(登校日以外の日)九時三十分から、一班全員で練習することになった。場所はコープ川越二階会議室を借りて行なう。



十一月二日(水)

授業日外であるが、一班全員で学園祭の出し物の練習を行った。場所は、前もって石田さんがコープ川越の会議室を借りたものだ。本番に合わせた練習を行なう。始めに佐々木さんのギター演奏の「ともしび」ソロに合わせて全員で唄う。そして、決めておいたセリフを各自が言う。俺は二番目で、一番の戸田さんが欠席認め調子が狂うが、ひっかかりつつも演じた。さらに、かとうちゃん役の石田さんのリードで、「高校三年生」を皆で唄う。但し、歌詞上の高校三年生の箇所をいきがい大学と変えて唄うことにした。その次にリハビリ体操と称して、「いい湯だな」を振り付けして全員で踊った。

これら一連を何度も繰り返した。当然、衣装も決められた服装とした。何度かの打ち合わせで決めた、本番で着る服装を着用してである。ただし、坂本さんが集合日を間違えてしまったため、持参予定のバンダナを着けられずスタートした。その後時間遅れで坂本さんが参加し、全員がバンダナを着用して練習した。途中休憩を挟み十二時半で終了するが、

皆、結構本気モードで取り組んだ。六十過ぎのシニアで物覚えが悪いが、一生懸命に取り組む姿勢は美しいものだ。特に、高校三年生の歌は、各自若き頃と重なり、選曲としてはベストと思う。とにもかくにも、当日本番を控えての練習で熱が入ったせいか、時間もあっという間に過ぎた。終了後俺と佐々木さん、佐竹さんの三人で川越駅へと向かう。仲町から歩き丸広百貨店の前を通り過ぎて、駅近くの讃岐うどんの丸亀製麺に立ち寄り、うどんを食って帰った。一生懸命練習したせいか、腹が減っていたこともあり、じつに美味かった。



十一月九日(水)

学園祭前日で、川越西文化会館メルトにおいて、全体のリハーサルが行われるなかで、舞台に立ち一班の演技を再確認するが、全員参加とはならず、用事があって佐々木、田畑、瀬川が欠席となった。なかなか全員が揃うと言うのは難しいが、ともかく明日の本番ということで熱が入った。しかし、シニアの我らにとって、欠員でのリハーサルは想定外で、隣にいる者がいないとどうにも調子が狂うものだ。練習の時は上手くいっていたことが、意識し過ぎて手や足が動かず、仲間とのテンポが狂う場面も見られた。それは俺だけではなく、佐竹さんや山中さんにも表れた。仕方ないことだが、明日の本番では頑張ろうと思う。

ここでまったく別の話が、卒業後のことを考えると、一班の皆が長く付き合うためには、いろいろ工夫が必要ではないかと思う。例えば飲み会や昼食会などの行事は自由参加とし、強制しないこととすると云った強制的にならないものが、結果的に仲間との付き合いも長く続く秘訣になるのではないか。ふと、そんなことが練習中に頭をよぎった。なぜだかわからぬが生じたのも、本番前日前のリハーサルという大事な時でも、人によっては万難を排して参加することが出来ない場合もあることから、そのように感じたのかもしれない。



十一月十日(木)

学園祭の当日となった。あいにく坂本さんが風邪をこじらし、体調不良で不参加となったが、他のメンバー全員で、班別演技のトップで佐々木さんのソロギター「ともしび」演奏に合わせた合唱と石田さんのリードで皆のセリフと、いきがい大学に変えた高校三年生を合唱。さらに、かとうちゃんに扮した石田さんと、全員でのドリフの「いい湯だな」を振り付けつきで、リハビリ体操と称して演技した。練習の成果もあってか、皆楽しげにというか、めいっぱい演技が出来たように思う。ところどころ間違えはあったが、それをカバーする勢いのある演技が出来ていたので、それでもよかったのではないか。

演技し終えた後の我らは、後は他班の演技を鑑賞するだけである。観客席に陣取り、皆充実感の漂う客席で鑑賞した。学園祭終了後、メルト内で一班メンバーが集まり談笑をしたが、皆の表情が晴れやかだった。

また、昼休み時間に卒業懇談会の実行委員が集まり、前回打ち合わせ時に発表漏れとなった会場班の進捗を石田さんより説明して貰った。さらに、今回の学園祭でクラブ活動の発表が各部長からあったため、石田さんから卒業懇談会では外そうと提案があった。懇談会の限られた時間取りから、実行委員全員が了承する。

この学園祭が終了すると、卒コン実行スケジュールも第三クールが始まるため、次の授業日である十一月十七日の昼休みに、一、九班全体の打ち合わせを行なうことを、実行委員長より提案された。これは、学園祭が区切りと捉えて、卒業懇談会の準備を進めてきており、ここからがいよいよ本番まで本格的な準備に入るからだ。それゆえ全員に徹底することが必要と、改めて全体打ち合わせを行い、意識の徹底と高揚を図るため組んだものである。いかんせ、我らシニアにとっては、大事なことが終わると、若者とは違って直ぐに意識を変えることが難しい。そんな傾向があるため、必然的に切り替えのインパクトが必要になる。その目論みとして、次の授業日の昼休みに、再度卒業懇談会実施計画書を全員に配布し、全体打ち合わせを行なう次第である。




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