第二章 一
川越学園に通いだしてから、一学期の授業プログラムが七月で終わった。これから一か月間の夏休みに入るが、一班の仲間も随分打ち解け親しくなるのと同時に、学友としての絆もそれなりに築かれてきているように思われた。
「班長さん、これから夏休みですよね。一か月間、なにをするんですか。学校へこないから暇じゃないですか?」と、一学期最後の授業前のひと時、石田が尋ねた。
それに関口が応える。
「そうですね、皆の顔が見られないと思うと寂しい限りですよ。でも、二学期が始まれば、また一緒に学べるじゃないですか」
石田が頷く。
「それもそうですね。私は、秋の川越祭りに備えて、第九の練習があるから忙しいわ」
「ほう、第九ね。それって日曜大工のこと?金づち持ってトンカチやるさ」
「なに言っているの、そんなんじゃないわ。いま流行っているベートーベンの第九よ。定期的に東京駅の丸の内広場でやっている、あれよ」
「そうか、俺もそうだと思ったよ」
そこに、佐々木が首を突っ込んできた。
「石田さん、すごいね。でも君の性格から、あっていると思うよ。俺も若干音楽をたしなんでいるもんで、第九と聞くとなんだかぞくぞくするよ。なんといってもソウルだよ、ソウル」
「なに訳の分からねえこと言ってんだ。ソウルだとか、韓国だとかさ」
関口が茶化した。
すると、瀬川が乗ってきた。
「まあ、いやだ。関口さんって、音楽が解っていないわね。それに、佐々木さんも同類だわ。二人とも頓珍漢なんだから」
「まあまあ、そう言うな。俺は音楽に馴染みがねえ。でも、カラオケで唄うのは結構いけるんだぜ。この前、居酒屋で披露しただろ」と関口が惚けると、
「まったくもう、貴方たちと話していると、どんどん飛んでゆくから、とてもついていけないわ」
石田が呆れ顔で愚痴った。そうこうしているうちに、一時限目の授業前のホームルームの時間になっていた。
「さあさあ、一学期の最後の授業が始まるわよ」
海原の促しで、皆席に着いた。事務局島津さんの連絡事項の後始まった。
一時限目は「防犯のまちづくり」と題して、埼玉県県民生活部防犯交通安全課から職員の方が来て、ハンドブックが教材として配られ講義が行われた。埼玉県の犯罪情勢や全刑法犯の認知・検挙状況、さらには市区町村別犯罪率などが披露された。また最近多いというか、話題となっている振り込め詐欺に対する対策など。この犯罪の発生率、いわゆる騙され率で埼玉県がワースト三位という事項が紹介され関心を引いた。被害に遭わないためのポイントも紹介されたが、なんということはない、我らの様なシニアが最も被害を受けていることから、この授業を通じて注意を喚起しているのだ、ということがわかった。我らみたいな自己権欲の強い人間は、自分はそんなものにひっかからないと思っている輩が多い。ここが犯人の尤も組みやすいところらしい。
授業の最中に、うむうむと頷いていた石田が、尤もらしく隣の戸田に話しかけた。
「ねえ、戸田さん。今の先生の話をどう思う。埼玉県が振り込め詐欺のワースト第三位だって。そんなにひっかかる人が多いのかしら。信じられないわ」
戸田が感心しながら応える。
「私もまさかと思ったけれど、そんなに被害に遭っているのかとあらためて感じたよ」
「そうよね、それで埼玉県の中でどの市が多いのかしら。そこいら辺も知りたいわね。そうでしょ、例えば、私の住んでいる川越市は多いのか。それとも戸田さんの住む所沢市が多いのか。それが問題よね。それとどうなのかしら、県の西部か東部なのか。同じ埼玉県でも、それによっては違いがあるように思うけど」
「確かに埼玉県全体で捉えてもね。それよりも石田さんの言うように区別できれば、犯人のターゲットが明確になり、住民としてもそれなりに対策が立てやすいんじゃないか。先ほどの防犯のまちづくりのガイドブックも活用の仕方が違ってくるよな」
「それで、どうなのかしら。このハンドブックには、そこいら辺の分析が載っていないわね。聞いてみようかしら」と、石田が挙手しそうになるが踏みとどまる。
「そういえば、さっき市別の犯罪率資料は、今日持ってきていないと言っていたわね。それと埼玉県警のホームページに、詳しくは載っているから検索して欲しいと付け加えていたわね」
戸田が頷いた。
「そう言っていたな。それじゃ、今日帰ったらどんな案配か早速調べてみるか。石田さんもインターネットで検索してみろよ」
石田が戸惑う。
「そうしたいけれど、私の家のパソコンはインターネットの接続がされていないの。まったくこんな時は不便よね。戸田さんお願いがあるんだけれど、次の授業日でいいから、とはいっても次の授業は、卒業懇談会がある日よね。でも、プリントアウトして持って来ていただけないかしら」
「わかったけれど、調べるついでにメールで送ってやってもいいがな。おっとそうか、インタ―ネットの接続がないんだっけな。石田さん、いまどきインターネットが使えないなんて、時代遅れが甚だしいぞ。そういう人間が、振り込め詐欺のターゲットになるんじゃないのか。それは別として、こんな接続なんか簡単だから繋げろよ」
「そうなの、インターネットって難しいんじゃないの?」
「そんなことあるもんか。プロバイダーと契約すればいいんだからさ。息子や娘さんに手続して貰えばいいんだ。まあ、馬鹿にされるかも知れないが、ぐっと耐えて頭を下げて頼むんだな」
戸田の勧めに渋々応じ、
「そう言われちゃ、仕方ないか。ところで、関口さんはどうなの。インターネットを使えるようになっているの?」
関口に話を振った。すると当然のごとく言い、石田を貶した。
「決まっているだろ。そんなの常識だからな。いまどきインターネットが繋がらないこと自体、パソコンをやる資格がないと言っても過言ではないからよ。それにしても、石田さんは時代遅れの最先端を行っているんじゃないか」
すると石田が、授業そっちのけで反論した。
「なにを言うの。時代遅れの最先端だなんてさ。悔しいけれど、事実だからしょうがない気もするけど。それにしても、そこまで言われちゃ、是非がひがでもインターネットを繋げないと、私の女がすたるわね」
「まあまあ、気負いなさんな。それより授業の方に集中しようや」
戸田が、石田をなだめると、それを機に講義に耳を傾けていた。
それに先週の授業であるが、国際エコノミストの今井氏がきて「経済社会の現状と展望」と題する講義が行われた。エコノミストだけあって講義内容が難しい。東日本大震災後の日本経済はどうなるのか。世界の政治、経済の流れは。日本の再建と資源国日本の夢など、居眠りが出る講義ではなく、流暢な話し方で関心を引き、むしろ大いに参考になるものだった。
そして、講師の自己紹介をした時である。聞き及ぶ瀬川が目をくりくりしながら、驚きの表情で漏らした。
「へえ、今井先生って七十八歳だって、本当かしら。私たちよりも十歳以上年上よ。それで、こんな難しい話をしているんだもの。驚いちゃうわ」
すると、小倉が同様に驚く。
「本当よね。私たちよりもひと回りも違うのに。難しい内容の話ですもの。びっくりしちゃうわ。それにしても、国際エコノミストって、頭の構造が違うのかしら。年をとっても呆けないというか、立派よね」
感心しつつ、関口に振った。
「ねえ、関口さんはこんな難しい話についていけるの。世界の政治とか経済の流れなんてさ。それに日本の国って資源がないから、ほとんどを他国からの輸入に頼って成り立っているんじゃないのかしら。それがどうして資源国日本なのよ。おかしいと思わない、それともなにか資源があるのかしら?」
「まあ、俺も小倉さんと同じだと認識していたが。それがこんな話になっている。でも、講義の内容を聞いていると、一概に否定できない部分もあるよ。例えば海底資源が資源国日本の夢として、海底資源の次世代エネルギーと期待されるメタンハイドレードの海洋算出実験に乗り出すとなればな。LNG熱量等価換算でメタンガス百二十兆円相当で、日本の天然ガス消費量の四十二年分。さらにマンガン、コバルトは国内消費量の二百年分などと説明されちゃよ。まったくもって、これが産出されれば、我が国は安泰そのものだぞ。特に最近、原油に代わるアメリカのシェールガスの話など品評性があるからな」
聞く小倉が、複雑な顔になった。
「なんだか難しくて、頭が痛くなっちゃうわ。しかし、とても七十八歳には見えない学力よね。やっぱり頭の構造が、私たちと違うのね。この先生は呆ける訳ないか」
「そりゃそうだ。さっき講師の金儲けの話を聞いていただろ」
関口が講義内容を振り返ると、思い出せないのか戸惑った。
「え、なんだっけ。そんな話していたかしら?」
関口が得意気に話し出した。
「ああ、まさしくこういう難しいことを知っているということは、当然自分の金儲けに役立てないわけないだろ。人間、己に利益があることを、ただ他人様に講義するわけがない。決まっているだろ、もし俺が同じ立場なら、当然のごとく金儲けにかけるからな」
「たしかに、そう言われれば。私だってお金儲けに知恵を働かせるわよ。呆けている暇なんかないんじゃない」
「言われる通りだ。今井先生の投資先を言っていただろ。三井海洋開発、原油資源開発、それに国際石油開発ってな。俺も軍資金が在ったらすぐに乗るのにな。いかんせ預金がゼロでは指をくわえているしかないか。どうだい、小倉さん、俺に乗らないか。まあ、多少の危険は伴うが、財テクに役立つからよ。たんまりとへそくり持っているんだろ。俺に投資してみないか」
にやつきながら勧めると、小倉が断りつつも、若干興味を持つ。
「なに、おかしなこと言っているのよ。へそくりなんかないわ。それに関口さんなんかに投資したら、危険が一杯だもの迂闊に乗れるわけないじゃない。それに、さっきの今井先生の投資先ってなにかしら?」
「ああそれはな、株式だよ。さっきの銘柄が、資源開発をしている会社だから、開発し当たれば株価がうなぎ上りになる。安く仕入れて高いところで売り、莫大な利益を得るという方程式さ。どうだい俺に投資してみないか。儲かるぞ」
助平そうなにたり顔で唆した。すると、小倉が呆れ顔で否定する。
「まったく、しょうがないんだから。そんな話に乗る人なんかいないわよ。いい加減にしなさい」
「しかたねえ、それじゃ他の相手を捜すとするか。儲かる話だがなあ。俺に投資すれば得するのによ」と、関口が本気か冗談かわからぬが、それでも未練たらしく呟いていた。
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