第一章 三



本川越駅の近くにある三菱東京UFJ銀行を通り抜け、ネオン輝くとは言い難いが、雑居ビル前へと来る。とは言え、今頃の五時半はまだ西陽が燦々と輝き、我らが昔通った繁華街とは大違いだ。当時、仕事が終わるのが午後八時頃で、それから繰り出せば、たしかにネオンが輝き呑み助らを歓迎してくれる。

そんな雰囲気は、今の俺らには全く無関係だ。でも気おくれすることなくエレベーターに乗り込み、三階にある居酒屋「赤のれん」へと入った。勿論、一番客である。雑居ビルの狭いエレベーターに関口ら四人が乗ると一杯だ。三階の店に入ると、まだ店が始まっている気配はなく、それでも部屋に通されると、すでに石田ら三人がテーブルを前に座っていた。

関口が、それを見て発した。

「おお、もう来てたんか。早いな!」

「ええ、クラブが終わって早々に自転車で来たから直ぐに着いたわ。どう、迷わなかった。このお店は直ぐに分かった?」

石田が応じた。

「ああ、海原さんらと来たんで大丈夫だったよ」

関口が返し、佐々木が居るのに気づき声を掛ける。

「幹事さん、ご苦労様です。ところで幹事長、カラオケクラブはどうしたの。クラブ活動をしたら酒が入っているんでしょ。出来上がっていないみたいだけれど?」と茶化すと、悪びれず佐々木が応じる。

「今日はクラブ活動中止になったんで、早めに来たよ。電話で予約しておいたから、宴会場所の確認も兼ねてね」

「ええ、中止って。欠席したんじゃないの?」

「ああ、中止になったんだ。なんせ部員が少ないんで、誰か一人でも休むと中止にすることに、部則で決めているんだよ」

「へえっ、そうなんだ」

意外と云う顔で言った。すると、佐々木が平然と釈明する。

「まあ、クラブと云っても。活動は酒飲みクラブだもん。中止にしても皆と飲めば、クラブ活動と変わりねえんだ」

「そうかい、カラオケクラブと云うのは酒飲み集団かい。これじゃ唄うのが優先か、酒を飲むのがメインか分からんで。そうか、佐々木さんらにはどちらでもいいことか。要はクラブ活動と云う名目で酒が飲めればいいんだ」

戸田が貶すように言った。すると、反発するのではなく、至極当然のように佐々木が告げる。

「そうなんですよ。部員は皆、酒が好きでね。昔から飲んだ後には唄いに行っていた連中ばかりさ。だから我らのクラブは、歌を唄うだけじゃない。口を滑らかにするのに、一滴の酒薬が伴うのさ。まあ、これも。上達するために必要な、謂わば道具と同じ意味合いのもので、必要不可欠と云うところかな」

なんの躊躇いもなく、平然とのたまわった。すると、佐々木の能書きに、石田が噛みついた。

「なに、言ってんのよ。そんな屁理屈言ってさ。それじゃ、クラブ活動じゃなく、ただの呑み助の集まりじゃない。私たちの書道部のような高尚クラブと、一緒にされたら大いに迷惑だわ。ねえ、関口班長。私たちの所属するクラブは真剣そのものよね。海原さん、そうでしょ」

同調して貰おうと、海原に振った。すると、頷き応える。

「そうよ、書道部は姿勢を正し、筆に含めた墨を半紙の世界に、文字と云う生き物を描くの。だからカラオケクラブのような、者わな心構えじゃ文字に勝てないわ。心が乱れていては、筆に反発されて下手くそになっちゃうもの」

一応の能書きをたれた。すると、佐々木が反発した。

「まあまあ、いいじゃないか。俺らのクラブのことは放っておいてくれよ。それで満足してるんだからさ。ストレス解消になれば、古女房の虐待に耐える勇気と云うものが湧くんだからな。そのために週に一度あるいきがい大学へ来ることが、唯一の心の慰みになってでよ。だから、好きにさせてくれや」

「そうなの、それは大変な人生ね。四六時中辛い思いをしているんだったら、大学活動日ぐらいは羽を伸ばしたらいいわ。私なんか、うちの旦那をそんな粗末な扱いしていないから、よく解らないけれど、現実がそうならせめてもの慰めね」

憐れむような眼差しで、小倉がわざとらしく庇った。

そんなこんなで、どちらかといえば劣性気味の男性群を尻目に、オバタリアン軍団はここぞとばかりに目を輝かす。全員が揃ったところで、関口が声を上げる。

「それじゃ、全員にビールが行き渡りましたよね。暑気払いを兼ね、我ら一班の親睦をより深めるために乾杯します。それでは、乾杯!」

全員がビールジョッキーを掲げ、互いにグラスを併せ、一気に喉の奥に流し込む。

「うひゃっ、美味めえな!」

「初めの一杯は美味めえ!」と、口々に皆が応じる。夫々好きな肴を注文し、ひと息ついたところで、山中が窓越しに外を見て、しみじみと漏らした。

「私も今まで、会社勤めしていた頃はよく飲みに行ったけれど、こんな早くから飲みに行かなかったわね。ほら、観てよ。まだ明るいし、太陽が輝いているもん。それがどう、こうやって昼間から居酒屋に来て、お酒を飲んでいるんだからさ」

「そうよね、私だって同じよ。そう思うわ、よく飲みに行ったけれど、こんなの初めて。こうやって、いきがい大学に入って一班に所属したおかげね。皆に会えなかったら実現しなかったもの。感謝しているわ、有り難うございます」

ぺこりと山中が頭を下げた。すると、田畑が惚ける。

「それはそれは、今宵は充分楽しんで頂ければ幸いです。さらにこの後、しっぽりとしたくお誘いいたしますが、いかがですか?」

惚け顔で手を差し出すと、そこに佐竹の声が分け入る。

「あれれ、何時もの手だな。女をたぶらかす常套手段を使いやがって、山中さん、気をつけろ。新種の詐欺行為だからな。年寄り相手に甘い言葉で誘い、高額な壺を買わせる魂胆だ。それも偽物のがらくた壺で、金を騙し取る輩だぞ」

「おいおい、年寄りを騙す詐欺とは聞き捨てならねえ。お主、そこに直れ。成敗してくれるわ!」

田畑が歌舞伎調に睨みを利かすと、佐竹が惚け応じる。

「ははっ、これはお代官様。とんだご無礼を申し上げ、誠に相すまぬことでございます。どうぞ、お手打ちだけはご容赦下さいませ!」と、テーブルに両手をつき頭を下げた。

すると、小倉が貶す。

「あらあら二人共、なにくだらない田舎芝居やってんのよ。もっと、恰好よくできないの。そんなどんくさいもの見せられたら、せっかくのビールが不味くなるわ。まったくも……」

「なに、謂いやがる。場を盛り上げようと熱演しているのに、田舎芝居はねえだろ。本来ここで、うけなきゃならんのだぞ!」

田畑が意気込んだ。

「まあ、なにを言うかと思えば、そんなこと言って。まったく分かってないわね。ほら、見なさいよ。皆白けているじゃない。ねえ小倉さん、気分悪いでしょ」

「ううん、そうね。もっと若くてイケメンなら許してあげるけど、シニアの同期じゃね。どうにも、言いようがないわ。まあ、田舎芝居じゃなんだから。伸びたラーメン芝居とでも表現しておこうかしら?」

「な、なんだ。その伸びたラーメン芝居って?」

田畑が目を丸くした。

「それは間延びして、味が悪いと云うことかしら……」小倉が応えた。

「ちえっ、ろくなこと言わねえ。まあ、いいや。どうにでも解釈しろ!」

田畑が捨て台詞を吐き、諦め顔で残りのビールを空けた。

「まあまあ、皆さん。今夜は大いに飲んで、親睦を図ろうではありませんか。四月に入学し三か月が経ちますが、一班の飲み会は初めて催したんです。六月の合宿研修では二人が欠席で、今日はやはり全員が揃いませんでしたが、夏休みを控え要望があり、開催することとなり、こうして和気藹々に絆を深めています。その第一弾が、田畑さんと佐竹さんの気持ちのこもった猿芝居、いや、情熱の演技でした。一部不満分子もおりますが、ここは寛大に受け入れようではありませんか?」

その場の雰囲気を和ませようと、関口が気を使った。

「それじゃ、もう一度乾杯しませんか?」

応じて、小倉がジョッキーを掲げると、

「おお、いいんじゃないかい。けど、俺はもうビール飲んじゃったんで、乾杯しようにも出来ませんが?」と、戸田が乗ってきた。

「あら、それじゃ大至急ビール頼んでちょうだい」と、小倉が促す。

「それじゃ、ビールじゃなくて。梅割りサワーにするかな」

戸田が応じる。

「分かりました」と幹事補佐の佐竹がしゃしゃり出て、店員を呼ぶ。直ぐに小太りの店員が現れた。

「飲み物を注文したいんだが」

「はい、かしこまりました。なににいたしますか?」

「ええと、戸田さん。梅割りサワーでしたよね?」

店員が応える。

「あの、梅割りのサワー一つで宜しいでしょうか?」

すると佐竹が皆を見て、確認する。

「どうですか、他に飲み物を欲しい人はいませんか?」

「それじゃ、俺もビール頼むかな」

田畑が注文すると、

「それじゃ、私もビールもう一杯」と、小倉が追加する。

「他には要りませんか?」さらに佐竹が聞き及ぶと、海原が促す。

「あのさ、副幹事長さん。なにか大切なこと忘れていませんか?」

「はあ、大切なことと云うと……」

佐竹が戸惑うと、追い込む。

「今回の責任者は佐々木さんよ。その補佐であるあなたが、幹事への注文を忘れるなんて、注意不足だわ!」

「あっと、いけねえ。肝心なこと忘れた。すみません、幹事長。なにかご注文はありませんですか?」

「いやいや、気にしなくてもいいよ。幹事ったって、場所と時間を決めただけだから」

「なにを言いますか、謙遜して」

「そうよ、幹事は重要な責任を負っているのよ。さっき決めた飲み代、一人当たり予算があるでしょ。集金して支払って貰うんだけど、万が一予算をオーバーしたら、幹事さんが支払って貰えるわけよね。そんな重要な責任があるんだから、大切に扱わなくっちゃ駄目よ!」

「うへっ、なんと言う暴言だ。そんなこと取り決めしてねえぞ!」

佐々木が仰天した。

「あらそう、それは一般常識ではそうなのよね。皆さん、そうでしょ!」と、海原が面々に振った。

すると、全員の視線が佐々木へと向かう。その中から石田が酔った顔をして惚ける。

「それにさ、佐々木さん一人に背負わせるのは酷じゃないかしら。そこは副幹事の佐竹さんにも天秤棒の一方を担がせたらどうかしら?」

予期せぬ展開に驚く。

「なんだ、なんだ。とんだところで俺にお鉢が回ってきているみたいだが、これじゃ俺、副幹事の役降りたいよ」

「あらあら、意気地がない年寄りね。これじゃ、女の子にもてないわよ」

石田が戒めると、さらに海原が続く。

「そうよ、それでなくても胡散臭い爺なんだから。まったくこれがイケメンの男性なら、可愛い言い訳で通用するのにな」

「なに言いやがる、オバタリアンが鏡で自分を見てみろ。よくそんなことが言えるよな。まったく」

「あの……、ご注文の方はどう致しますか?」

痺れを切らした店員が、遠慮がちに話を断ち切った。

「おお、そうだった。変な方向に行っちまったじゃねえか」と佐竹が気づき、改めて皆の飲み物を聞き、店員に注文した。

「しかし楽しいね。こんな雰囲気何年振りかな。会社にいた頃、よく飲み屋に行って馬鹿っ騒ぎしたのが懐かしいよ。こんな悪ふざけと言うか、乗りは久し振りだからな」

「そうよね、私も務めていた頃、同僚とよく池袋へ飲みに行って騒いでいたものね」

戸田と山中の感謝のやり取りが響いた。そして、

「とても嬉しいわ。幹事さん今日は本当にありがとう。感謝致します」

「いえいえ、こうして一班の同期が楽しく過ごせ、絆が深まれば役目を請け負った甲斐があると言うもんだ」

佐々木がしみじみと漏らすと、そこに突っ込む。

「やはり幹事さんは偉い、人間が出来ている。さすがだわ、ついでに勘定の方宜しくね」

山中が持ち上げ落とした。

「うへっ、参ったな。一本取られたよ」

佐々木が惚け顔で返した。

暫く歓談が続く。注文した飲み物と肴に舌鼓を打ち、笑い合う仲間たち。セットしたカラオケから流れるメロディーは昔のものばかりだが、我らにとっての青春そのものだ。時空を超えて歌い聞き入る。時間があっという間に過ぎて行った。暑気払いも佳境を過ぎて頃、関口が突如発する。

「どうですか、皆さん。楽しいじゃありませんか!」

「そうよね、若い頃に戻ったみたい」

小倉が目を潤ませる。

「それじゃ今度は、蕎麦打ち宿泊研修というのはどうですか。今回は残念ながら二人欠席でしたので、今度は一班全員でやりませんか。本当は八月に実施したいのですが、結構皆さん、用事があるようなので九月の頭はどうですか?」

「いいんじゃないか。班長、是非企画して下さい」

小倉が乗り、さらに小倉が意欲を示す。

「いいですね。私、蕎麦打ち是非やってみたいです。絶対参加します!」

「いいね、その案賛成するよ。じつは俺、道具一式持っているんだ。慣れないと結構難しいが面白いよ」

酔い目の田畑が続いた。

「私参加しますけど、蕎麦打ち自信がないんで、出来たお蕎麦をいただきます!」

海原が食べたそうに目を輝かせた。

「それじゃ、この企画進めさせて貰います。じつは蕎麦打ち体験ツアーは、今日不参加の富田さんに責任者になって貰っています。それなんで山中さん、小倉さんのバックアップ頼みます。それと蕎麦打ち名人の田畑さん、講師の方宜しくお願いします」

田畑に振ると、自慢げに頷いた。

それからわいわいがやがや、田畑の蕎麦打ちや幹事の昔の歌が続き、酔ったのか石田が気勢とともに乾杯の音頭が重なり、夢のような飲み会も終焉を迎えた。店を出て変える足取りもなんとなく充実感を漂わせている気がした。

少々ふらつき加減で帰る田畑が、一言漏らす。

「いや、じつにいい夜だ。気持ちが若返るよ。本当に皆と知り合えてよかった。こうして絆が結べて嬉しいし、こんな機械を作ってくれ、班長有り難うね」

「どう致しまして、俺も川越学園の一班に入れたことを感謝しています。これからもどんどん企画して行きますから参加して下さいね」

「もちろんだ、皆、どうだい参加するよな!」

傍にいた小倉が張り上げる。

「決まっているじゃないですか。私たち仲間なんです。なんでも結構ですので手伝いますから言って下さい」

すると、関口が突っ込んだ。

「それじゃ、蕎麦打ち後の飲み会の幹事お願い出来ますか」

「ええ、いいですよ。それで何時、どうやればいいですか!」

突然の指名に戸惑うが、その目はとてもシニアとは思えない輝きを放っていた。

「小倉さん、そんなに入れ込まなくてもいいですよ。宜しくお願いしますね。蕎麦打ちの幹事の海原さんと連携してください」

「わかりました。海原さん宜しくお願い致します」

「こちらこそ、宜しくお願い致します」

 二人の顔が、笑みをたたえていた。

「それじゃ、皆さんお疲れ様でした!」

関口が声を架けると、別れ行く皆が手を振り、「お疲れ様でした!」と返してきた。夜の帳の中で手を振り合う仲間の顔が紅色に染まり、満足げな足取りでネオン輝く街に遠のいて行くが、なんとも言えない充実した後姿だった。




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