第一章 二


「さてっと!」

清々しい気持ちか、また久し振りと言うか、野沢の褒め言葉に気分を良くしてか。はたまた、これから皆と酒を飲む先に向かうことへの楽しみか。少々高ぶる面持ちで教室を出た。

七月の半ばを過ぎ、台風六号が関東平野に接近し、東に急カーブしていったことから、北太平洋高気圧から吹き出す涼風で、つい最近まで熱帯地獄にすっぽりと覆われていたのが、嘘のように涼しい陽気に包まれ、西に傾き始めた太陽にも慰められるように、皆と伴に校舎を後にした。

ただ校舎と云っても、我らの通う大学は、四年生の大学や短期大学ではない。「それじゃ、どんな大学か」と、問われるに違いないのでお答えしましょう。唐突にこんな展開になったが、順序立てて説明するとこうだ。

まずは校舎だが、いきがい大学は独自の建物がない。教室はと云えば、川越市にある川越市民会館の大会議室が我らの教室となる。授業日にその大会議室を、まる一日借り受け机を並べ講義を受け、さらには、クラブ活動としても使用する。授業日には、各当番班が机の配置から片付けまで行う。当然、一二五名分と講師用の机と椅子もセットする。これらすべて、学生の自主活動となる。

とりあえず、校舎の実情が解ったので、次に進めよう。

それでは大学の実態だが、どのようなものかを説明すると、今年の四月から埼玉県下の財団法人で、「いきいき埼玉」と云う公益法人がある。その傘下に我らの大学「いきがい大学」が存在する。この大学の特徴は、年齢が六十歳以上の入学資格で、書類選考により合否が決定される。パスすれば入試もなく入学できる代物だ。

俺も、今から大学に入って、なにをするのかと真剣に考えもせず、書類を提出し運よく入学できた輩である。勿論、男性だけではなく女性もおり、むしろ新入生の女性比率が六割と、オバタリアン軍団のような体をなしており、我ら男性たちジジイ連は数に圧倒され、教室の片隅に追いやられる傾向にあるが、ところがどっこい、意に反して虚勢を張り背伸びをしているのが現状だ。が、あまり背伸びをするので、女性軍団の二重三重の勢いにたじろぐばかりである。

まあ、それはそれとして。この「いきがい大学」は埼玉県下に七学園あり、そのうちの川越学園に俺は入学したと言うわけだ。生徒数は一二五名で一〇グループに班決めされており、その中の一班に籍を置く。毎日授業があるわけではなく、年間三〇日程の通学である。授業は、通常大学の教授を講師に招き講義を受ける。学習時間は午前と午後の二時限制だ。

その内容はと、平成二十三年度一年制課程学習日程表に目をやる。今年の四月から来年三月までの学習日のテーマが記載されている。四月に入学式があり、全学園の新入生千五百人が「さいたま文化センター」に集結し、「健康長寿で生きる秘訣」と題した、首都大学東京大学院教授による講義を受けた。まさしく我らを対象にしたテーマで、大いに満足のいくものだった。

それ以降の川越学園での授業日程は、五月には二日程授業日があり、これからの大学生活に対するオリエンテーションも聞かされ、さらにコミュニケーションについての授業。それも班単位でのディスカッションが組まれていた。

この辺は、俺としても予想外である。と云うのも、我らシニアを対象にしたものなれば、入学式の際の受講形式がすべからくあるものと考えていたからだ。それがまったくの想定外となった。

すなわち、それはいきがい大学が生徒を中心とした運営を目的としており、授業の外に通常の学生と同様に、学生の自治会活動があることだ。シニアを対象にした受け身の活動だけでなく、まさしく中学や高校生活での自治会活動と同じものがあるのだ。それとクラブ活動だが、当初は安易に考えていた節もあったが、あにはからんや、意外と中身の濃い活動となっている。

ここで話しを戻すが、六月の授業内容は「地元埼玉の歴史と文化財」の授業を受ける。講師を招いて行う内容であり、それに授業以外で、学生自治会活動総会、さらに県民活動総合センターでの宿泊学習と、結構有意義なものとなっていた。

さて、今月七月授業さらにはそれ以降の講義内容を見ると、「心と身体の健康管理」「自然保護について考える」、「防犯の街づくり」と、高尚なものばかりだ。七月二十一日の午後受講した講義は、「現代社会と経済」と云う、国際ジャーナリストによる難しい内容だったが、日本経済の現状と将来を易しく解説していたし、借金大国日本の将来で有望な儲け話が飛び出し、少々硬いと云うより大分硬い頭で消化不良になりかけ、ちょうど腹の皮が緩み、皆船を漕ぎ出すところでの投資話に、すわっと目が輝きだし授業が湧いた。

八月は、一丁前に夏休みで激暑にはシニアとしてもいい案配である。九月から後期が始まるが、「介護サービスの知識」とか、「成年後見制度を学ぶ」、「悪質商法への対策」、さらには「遺言と相続」、「認知症に関する知識」等々、多彩な授業が組まれている。

考えてみれば、なんと言うことはない。我らがこれから必要になることばかりだわな。

と納得しつつも、 呆けたら役に立たねえんじゃねえか?と意固地になり、なにがなんでも受ける講義は役立てたいと、年甲斐もなく頑張ろうと思っている。

さらに大学の催し物だが、通常大学と同様に学園祭や社会見学、自主学習発表会、学生会報誌の発刊と、大学生活の締め括りの卒業懇談会とあり、すべて学生自身の手で企画され構成してゆかなければならない。それらを学生自治会で運営するのだ。

頭が固く融通の利かぬこの歳になって、やらねばならぬ状況で、果たして乗り切れるのか心配だが、乗りかかった船ゆえ身体はシニアでも、心(思い、気概)は新入生ゆえ、大いに頑張ろうじゃないかと、気負っているのが現状だ。

この際、老体に鞭打つ気概で乗り切りたいと思う。ところで俺ら一班は、九班と合同でフィナーレを飾る卒業懇談会を受け持つことにした。

回らぬ頭をフルに活動させ、なんとか成功裏に仕上げたいものだ。なんと言っても、オオトリを務める。最後がつまらぬ結末になっては、大学生活も後味の悪いものになりかねない。そこのところは、慎重に且つ大胆に企画を練り実施しようと、班員全員で目論んでいる。

そんなことで、まだ開催まで大分時間もあり、ゆっくりと段取りを取って行きたい。

まあ、俺自身深く考えてもこの歳だ。疲れるし粘りが利かぬので、適当に酔いの回る油を注ぎながら、取り組んでいこうとの考えを示したら、全員が諸手を上げ乾杯する仕草で賛同した。

目を輝かせ小倉が訴える。

「いいんじゃない。私、もうくたくたよ。普段使わない頭をフル回転させてきたのよ。ここで油を注がなければ、もう限界だわ。ねえ、あなただって。私と大して変わらない歳だもの同じよね」

同調して貰いたさそうに、小倉に振った。

「ええ、異議なし。今宵は皆さんと親睦を兼ね一杯飲みたいわ。班長、皆で飲みに行きましょうよ」

関口を促した。そしてさらに、隣に座る田畑を誘う。

「ねえ、田畑さん。出席するでしょね。まさか奥様が恋しくて、帰るなんて言わないでしょ!」

「ああ、決まっているだろ。反対する理由はないからな。それによ、女房が恋しいと云う指摘は訂正させて貰うよ。古女房の顔見て酒を飲むのは、美味くもなんともねえからな。そのつまらんことを、毎日やってんだ。たまには皆のような美人妻相手に飲みてえよ。さぞかし美味いだろうな」

片目をつぶり返した。

「あら、そんなこと言っていいの、奥さんが聞いたらどうなるの。……もしかして、家から締め出されちゃうんじゃない?」

そう言い、勘ぐった。

「そんなことあるもんか。こう見えても俺は亭主関白なんだ。上げ膳据え膳、顎で指示してんだ。女房なんぞ、最初からそうなるよう教育しておくことが大切だ。俺が帰れば、ご苦労様と三つ指ついて挨拶すら!」

酒も入っていないのに、田畑が大法螺を吹いた。

「ああ言っちゃた。小倉さん、聞いたわよね。今、田畑さんが腹にもないことを吹いちゃってさ。いいのかしら」

「ええ、聞いたわ。私が証言してあげるわよ。でも田畑さん、あまり無理しなくてもいいのよ。今なら、訂正が効くから。万が一、この戯言が元で奥様と裁判沙汰になったら、絶対不利だからさ。この際、『今の戯言は事実ではございません。つい口から出た真っ赤な狂言でございますので、訂正させて頂きます』と、素直に謝りなさい」

すると、田畑がマジ顔になり告げた。

「あの……、大変申し訳ございません。本当は立場が逆で、常に女房の尻に敷かれておりまして、帰宅した時も、また晩酌も女房の機嫌をとり、神経をすり減らし飲んでおります。この身体の痩せ具合を視れば、察しが付くと思いますが」

深々と頭を下げ言い訳した。さらに、

「そんなことですから、皆と飲む時ぐらいは、その憂さを晴らしたく、つい大法螺を吹いてしまいました。そんなことで、さっきの放言は撤回し無かったことにしていただけませんでしょうか」

しおらしく頭を下げた。

「やっぱりそうなんだ。田畑さんの痩せこけた身体を視れば、想像つくわ。それに動きがどことなく鈍いもの、ろくすっぽご飯食べさせて貰ってないんでしょ」

石田が茶々を入れた。

「ああ、現実は厳しいよ。一生に一度でいいから、こんな気分味わってみたいもんだぜ」

溜息交じりに、田畑が願望を漏らした。その仕草を視て、余りの違いに皆が一斉に笑い出していた。

「とほほ……・、男は辛い生き物だ。この歳になると、あっちの方も役立たずじゃ。どうにもならん」

傍で佐々木が嘆いた。

「あら、佐々木さんもそうなの?」

疑惑の眼差しで、石田がへつらうように嘘ぶいた。

「どおりでねえ。背中が丸まっているのは、そのせいなんでしょ。家じゃ随分虐げられているみたいね。田畑さんと同様に、ご愁傷様。本当に大変ね」

海原が見下げるように慰めた。

すると、田畑が頓珍漢に応ずる。

「やっぱり、慰めてくれる同期がいると云うのは嬉しいもんだな」

訳の分からぬ感謝の意を表すと、佐竹までもが同調する。

「ごもっともだよ、女房怖くて男がやってられるかって、そう啖呵を切りたいところだが、現実はそうもいかねえ。そんなことしたら、飯抜きになって日干しになっちぃまうよ。とほほ……」

「まあまあ、男性陣も大変なので、それじゃ今夜はじっくり可愛がってやるから、大いに甘えてちょうだい。一班の仲間として付き合ってあげるわ!」

小倉が締めくくった。一段落したところで関口が告げる。

「さてっと、大学生活のあれこれを長々と話したし、皆の意見も聞いたことだし、少々疲れたんで、ここいら辺でひと息入れに行きますか?」

指で盃の形を作り一班の面々に示すと、皆の顔が緩み目が輝きだした。

「それじゃ、全員の賛同を得たので、クラブ終了後に集まって、出かけようじゃありませんか?」

田畑の顔が、満面の笑みに包まれる。

「いいね、いいね。今からでもクラブさぼって行きてえくらいだぜ!」

「なに、言ってんの。クラブも授業以外の活動でしょ、大切なんだから。それと、飲みに行くからと休んだら、なにを考えてんだ。まじめに取り組めって、部長に叱られるわよ。少なくとも、書道部の部長さんは嫌味が多いんだから、そんなこと出来ないわ。ねえ、関口さん?」

「うんまあ、たしかに、そんな理由づけじゃ、嫌味どころか書道を行う資格がないとまで言われるような気がするな。それだけうちの部長は、書に関してはプライドが高けえからよ」

すると、そこで山中が尋ねる。

「班長さん、飲みに行くのはいいけれど、どこに行くのかしら?」

「おおそうだ、どこか居酒屋を決めねえといけねえわな。はてどこにするか。市民会館からだと、そうだな本川越駅近くがいいんじゃないか?」

「そうですね、私は所沢なんで、本川越駅を使っているので都合がいいです」

戸田が告げた。

「あそこら辺なら、チェーン店の居酒屋が多いと思うから、誰か幹事をやってくれる方はいませんか?」

関口に尋ねられると、皆の顔が下を向く。

「それじゃ、佐々木さんはカラオケクラブで、居酒屋を使って活動しているとのことなので、幹事に指名します。それと副幹事には、佐竹さんになって貰います。ご両人で宜しいですか?」

皆に振った。

「異議なし!」

全員が強引に賛成した。

「それでは、全員一致のご使命ですので、クラブ活動が終わる時間までに、幹事さんは本川越駅近くの居酒屋に予約を取っておいて下さい。お願いします」

「うへっ、なんだこれは。有無も言わさぬ、強制裁判みてえなもんじゃねえか。なあ、佐竹さん?」

「そうだよ、これじゃ意見もなにもねえ」

弱々しく皆の顔を覗う。

「あら、佐竹さん。なにかご不満でもあるんですか?この決定は一班全員の総意ですよ。逆らえばどうなるか、責任持ちませんから。それでもいいなら、反対なさったら?」

石田の声が高らかに響く。

「いや、そんな。反対なんかするわけないですよ。喜んで副幹事をやらせて頂きますから、ねえ、佐々木さん」

「おお、決まってんじゃねえか。皆が決めた幹事役だ、逆らうことは致しません。今宵を楽しく過ごせるよう、クラブ活動を放ってでも探しますから。まあ、本来カラオケクラブも飲みながらやるのが通例なんで、探しやすいことは探しやすいから、任にあたらせて頂きます」

佐々木がころっと変わり、大袈裟に見栄を切った。

「そうですか、佐々木さん宜しくお願いしますね。ところでカラオケクラブと云うのは、飲むのが優先ですか、それとも歌うのが先ですか?」

関口が茶化す。

「いいや、どちらも一緒なんですよ。それじゃなければ、マジで唄えませんから。潤滑油があるから、スムーズにいくと云うもんです」

「あら、そうなの?カラオケクラブって、お酒が付き物なのね」

石田が不可解そうに呟いた。

「まあまあ、それはそれでいいじゃありませんか。我ら書道部と違い、そのクラブの流儀と云うものがあるんじゃないですか。ねえ、佐々木さん」

関口が茶目っ気たっぷりに振った。

「そうなんですよ。まあ、伝統と云うもんですかね」

佐々木が額に皺を寄せ応えた。

「それでは皆さん、そういうことでクラブ終了後集まって下さい」関口が告げると、皆が応じた

「はい!」

返事をした後、夫々がクラブ活動を行なうべく散って行った。そしてクラブ活動が終わり、教室に集まる。時計の針が午後四時半を指していた。

「早速、出発しますか!」関口が告げた。

一班の面々が市民会館を出ると、太陽がまだ高く夕闇迫るどころではない時間帯である。が、我らシニアの特権と大手を振って、川越の繁華街へと繰り出して行った。




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