39:ボランティア
キョー都府立戯画高等学校は、市街地や住宅街よりわずかだが海抜の高い土地に校舎を構えていた。
校舎と体育館を繋ぐ地上二階の渡り廊下の窓からは、土砂降りの雨に降られる伝統とパイプラインの街並みが見渡せた。台風がキョー都の東側を通過しようとしているからだろう、風より雨の方が強い。俗にいう雨台風だ。渡り廊下の窓を叩くのも風ではなく雨粒だった。
それにしても新鮮味を覚える。渡り廊下を体育館の方へ、ラビの後ろをついていきながら永遠は思う。
永遠にとって学校としてイメージするのは大学のキャンパスだ。数えるほどしか登校せず、研究ばかりしているからだろう。昇降口からここまでの道中にいくつか教室を見たが、似たような部屋が連続していることが目新しく映った。
ただ新鮮さを感じているのは、永遠だけではないようだった。ラビが振り返って興奮気味に言う。
「教室に大人の人ばっかりだった。いつもと違って、なんか変な感じだね」
ここまで見てきた各教室にはすでに避難してきた人たちが休んでいた。ラビがいつもと言うように、戯画高校は彼女や徹が通う学校だ。非日常の光景に平常心でいられなくなる気持ちもわからなくはない。けれど。
「楽しそうに言うことじゃないでしょ、ラビ、みんな心配で避難してきてる」
「うぅ……ごめん、そうだよね」
「それも駄目」永遠は気を落とすラビを一喝する。「ラビがいるだけで、みんな明るい気持ちになれるはずだから、ラビは笑ってなきゃ」
ラビはぱっと表情を明るくする。「そうだよね! うん、そうだそうだ!」
これからラビと二人で体育館に誘導された避難者に対して、支援品を渡したり、荷物を運ぶのを手伝ったりすることになっている。すべての人とはいかないだろうが、ラビに出迎えられた避難者の不安は少しだとしても和らぐだろう。
渡り廊下の角を折れると、体育館の入り口が目に入る。設けられた受付には、首から兎束家のお面を下げた夏穂の姿があった。ちょうど高齢の女性に対応しているところだ。組み手をしているときの気迫は全く感じない。時折女性とともに声を上げて笑っている。まるで旧知の友人のように、砕けた雰囲気が二人の間にはあった。心理学を学んでいることが活きている。はた目から見てそう思えた。
「夏穂姉~! 来たよっ」
ラビは二人が話しているのもお構いなしに、夏穂に抱きついた。場違いにも思えるが、ラビならばそれが許される。女性も夏穂も楽し気に受け入れている。恐るべきコミュニケーション能力だ。
「じゃあ、ウチはおばあちゃん案内してくるから、受付よろしく、ラビ」
夏穂は女性とともに、パーティションが整列する体育館のなかへ姿を消していく。
永遠は受付に立つラビの隣に移動する。ちょうどその時、体育館から知った顔がこちらに向かってきているのを視界に捉えた。
「徹くんも来てるんだね」
ラビにそういいながら視線を向けていると、徹も永遠たちに気付いた様子で、軽く駆け足で近づいて来た。
「トール、なんでいんの?」徹が来ると、ラビが開口一番小馬鹿にしたように言う。「今日学校休みだよ?」
「不忍だけが避難所の支援をしてるなんて思ってないよね、ラビ。生徒もボランティアで何人か来てる。まあ、僕の場合は『四季織々』のほうで来てるんだけどね」
永遠は徹に聞く。「防寒具とかかな?」
「そう。電気が止まってるわけじゃないけど、必要な人はいるからね」
徹はスマホを取り出しながら受付の椅子に腰かける。ラビはそれを見てムッとした表情をする。
「ちょっと、こんなところで遊ばないでよ」
「遊ばないよ。情報収集だよ。避難状況とか、気象情報とか、ちゃんと見ておかないとでしょ、ラビ」
「そっか、ごめんごめ――あ、こんにちわー!」
ラビは音を聞きつけたのか、渡り廊下の角を折れてきた親子に向けて即座に手を振った。親子は驚きを見せたがそれも一瞬で、すぐに微笑みを見せてラビの前までやってきた。
小学生低学年くらいの男の子がラビを見て、嬉しそうに母親に同意を求める。「ラビちゃんだ!」
「そうだね。よかったねぇ」
ラビは受付の机から身を乗り出して、ハイタッチをしたり、頭を撫でたりと戯れはじめて、まるで仕事をする気配がなかった。永遠が徹に目を向けると、あきれた様子の苦笑が返ってきた。ただ徹の反応はそれだけで、動く気配はない。
ラビに声を掛けようとしたが、彼女はいつの間にか机の向こう側で男の子と本格に敵にじゃれ合っていた。
「あの……」
戸惑った様子の母親が永遠に視線を送っていた。係りの人間だと思われている。受付のなかにいるのだから、仕方がないのだろう。永遠は今一度、徹を見た。彼はスマホを注視して、永遠の視線に気づかない。
現地の人間でもないのに。永遠はそう思いながら、母親に対応することにした。受付の仕方はラビが職員室で説明を受けるのを聞いていた。難しいものではない。
「えっと……こちらに必要な項目の記入をお願いします」
避難者の情報を書き込むための用紙を差し出す。永遠の緊張が伝わっているのか、母親もおずおずといった感じでそれを受け取る。それから変な間が生まれた。母親は用紙への記入をはじめようとしない。困った表情で永遠のことを見つめていた。
「あのぉ、書くものは?」
「あ、すいません」
永遠は机の上にペン立てに手を伸ばす。手が震えているのを自覚する。それだけではない、動転してもいた。そのせいだろう、伸ばした手はペン立てを盛大に倒した。
「あっ……! ごめんなさい」
「どうぞ」音に顔を上げた徹が永遠の隣まで来て、ボールペンを母親に渡す。「みんな気が気じゃないですよね。ゆっくり書いてもらって大丈夫ですよ」
徹は手で机の空いたスペースを示して、母親を誘った。それからペン立てを直している永遠のところに戻ってくると笑いかけてきた。
「人夢さんのギャップ、そこまでとは思わなかった」
「ごめん、徹くん」
「いや、人夢さんなら大丈夫だと思って任せちゃった僕こそごめんだよ」
「でも徹くんも受付の仕事でいるわけじゃないでしょ?」
「まあね」徹は肩をすくめ、それからラビに向かって声を掛ける。「ラビ、仕事はちゃんとしなきゃでしょ。遊ぶのはそのあとにしなよ」
ラビが唇を鳴らした。「えへへ……そうだね、ごめん」
またあとで遊ぼうね。男の子にそう言うと、ラビは受付に戻ってきた。ちょうど母親も用紙への記入が終わったようだった。
「あの、頑張ってください」
ラビに渡さられると思っていたが、母親は永遠に用紙を差し出してきた。戸惑いながらも用紙を受け取る。
「あ、ありがとう、ございます」
「じゃあ、あたしについてきて!」ラビが体育館の入り口に躍り出て、元気に手を上げる。「案内しまーす!」
母親は永遠に小さく頭を下げてから、ラビの方へ足を向けた。
しばらくして、ラビは夏穂とともに戻ってきた。夏穂が開口一番、呆れた様子で苦言を呈す。
「ラビったら、なにもわからずに案内しようとしてたんだよ」
「えへへ」気にした様子もなくラビが笑う。「夏穂姉がいたから問題なかったでしょ?」
徹が立ちあがった。「ラビ、二人に迷惑かけちゃだめだからね」
「どこか行くの? トール」
「トイレ」
スマホを操作しながら渡り廊下へと向かっていく徹。その背中にラビが声を掛ける。
「トール、危ないよ、歩きスマホ!」
「わかってるよ」
軽く振り返る徹。再び前を見ると足を止めた。それを見たラビが不思議そうに零す。
「そんなにスマホ見るのが大事なのかな?」
「もちろん使い方には気をつけないとだけど、使いこなせば便利だからね」
「あたしにはわかんないなぁ……うるさすぎない?」
「えっ?」永遠はさすがに驚きを隠せなかった。「もしかしてラビってスマホの駆動音まで聞こえてるの?」
ラビが笑う。「ううん、それはさすがにないよ。音は関係ないと思う。ただ、なんだろう、うまくいえないけど……うるさい」
「耳の病気と関係してるのかな?」
「うーん、どうなんだろうね。永遠、研究してよ」
「困ってたりする? それなら検討するけど」
「別に困ってないからいいや。それより、トーキョーのお友達のこととか、不忍装束とか研究して」
「任せて。今回見送った、麝香霊利みたいな相手に対抗するためのウェア作ってみせるから」
「ほんと!――あれ、徹が戻ってきた」
ラビに倣って永遠も渡り廊下へ目を向けた。全速力の徹が迫っていた。かなり慌てているようだ。受付に辿り着くや否や、机に手をつき激しく肩を上下させる。
ラビが笑って迎える。「あはは、トールどうしたの? 漏らしちゃったとか?」
息を整えることなく、徹は横にしたスマホの画面を永遠とラビに示した。
「あ、ここじゃん」
ラビの言うように、スマホの画面には雨に降られている戯画高校の校舎が映されていた。画面の端にはユーザー名とコメントが流れている。
「なになに」夏穂もスマホを覗き見た。「ライブ配信?」
スマホの映像は二階にある昇降口へ向かうための階段をのぼっていく。永遠もラビとともに通った道順だ。
「あーあ、せっかく新調したスーツが台無しだぜ」
画面の外から声がした。ラビの表情が険しくなる。きっと自分も同じだろうと永遠は思った。
徹が息苦しそうに告げる。「麝香……霊利が!」
ラビが受付の机を飛び越えてた。そのまま一心不乱に渡り廊下を駆けていく。それを見た夏穂が呼び止めるが、ラビの姿はすでに角を折れて見えなくなっていた。永遠も履いている避難者用のスリッパとは違い、不忍用の内履きスニーカーを履いているのも影響しているだろう。
夏穂がじれったそうに耳につけた通信機に手をあてがって、永遠たちから少し離れた。ほかの不忍に連絡を入れるのだろう。
永遠はスマホの画面に集中する。昇降口をくぐったらしい。映像がぐるりと動いて麝香霊利の姿を映した。腕を伸ばした自撮りのようだ。真っ白なスーツは雨に濡れて光沢を持っている。水を含んだ髪を片手でかき上げ、カメラに気障な目線を送ってくる。
「いろいろ考えて純白のスーツにしたんだ。白が好きなわけじゃねえんだけどな。赤く染まってく様子がわかりやすくて、インパクトがあるだろ? このほうが」
霊利の視線がわずかにカメラから逸れた。コメントを読んでいるのだろう。当のコメントは、この配信の目的を理解していない様子で、クエスチョンマークや嘲笑の言葉が絶えず流れていた。コメントほどではないが、永遠にも麝香霊利がなんの目的でライブ配信をしているのかわからなかった。
「麝香霊利は」徹の息は整いはじめていた。「世界中に自分の力を見せつけるって、配信の最初に、言ってた」
「そこそこ人も集まってきたなし、もう一度説明してやる」
画面が大きくブレたり、なにかに覆われたりする。物音もすごい。どこかにスマホを置いているようだとわかる。設置が終わり、固定された画角。霊利がカメラから離れていく。
「俺の名は麝香霊利」霊利は大げさな身振りを交えて語りはじめた。「世界の頂点に立つ男だ。今日はそれを証明してやるための配信だ。誰も俺に逆らうことができないってことをわからせてやる。晴れた日にしたかったが、ちょうど人が集まってたし、この場所、俺の嫌いな奴が通ってる高校なんだよ。自分の学校で虐殺が起きたら、そいつがよ、絶望するだろ? いい気味だと思わねえか?」
下品に笑いながらカメラに近づいてくる霊利。またコメントを見ているのだろう。
「あん? 頭おかしい奴、くさっ? ふんっ、調子こいてられんのもいまだけだぞ。下手なコメントしたヤローは、特定して殺しに行くから覚悟しとけ」
霊利はスマホを手にした。わずかなブレのあと、映像が一定の高さに留まった。スーツの胸ポケットに、カメラを外側にして収めたのだろう。
移動がはじまる。霊利は移動しながらスーツの内側に手を入れたようだった。しばらく衣擦れと映像のブレが続いたのち、映像の端に鈍く光を反射する黒い物体が映った。霊利によって全貌明らかになる。銃だ。麝香組のビルの屋上で見たものと似ているが別物だろう。あの時の銃は蓮真の狙撃によって、銃身が歪んで使い物にならなくなっていた。
「麝香霊利っ!」
映像が下駄箱の間を抜けて廊下に出たところで、聞き慣れた声がスマホから聞こえてきた。カメラが声の主を映した。不忍装束のフードを被ったラビ。
「おっ、さっき話した嫌いなやつのお出ましだ」銃口がラビに向かう。「おい、兎束ラビ! 来るのが早ぇ。お前の出番は最後だ。絶望するまで大人しく待ってろ」
「ふざけないで! なにもさせないからっ!」
ラビが霊利に向かって駆け出した。それを映し出した直後、霊利が鼻で笑った音とともにカメラは全く別の方を向いた。廊下を通る男性とそれを狙う銃身が映る。
「ダメっ!」
映像の外からしたラビの声は、すぐに発砲音に打ち消された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます