35:不忍装束

 薄曇りで滲んだ夕日が差す兎束家の道場。永遠はラビと夏穂の組手を観察していた。今日の目的は鍛錬のための見学ではない。永遠の隣には徹もいる。

 不忍襦袢のうえにジャージを着た夏穂。彼女は普段通りだ。違うのはラビのほう。見慣れたランニングウェアではなく、フードのついた白いジャージ姿で夏穂を相手取っている。いまはそのフードを被り、トレードマークのリボンとポニーテールを隠している。

 あれが不忍のための戦闘服。不忍装束と銘打ったものの試作品だ。

 アンダーウェアの不忍襦袢ほどではないが、体にフィットする伸縮性の高い生地。不忍襦袢より織り込まれている人工筋肉の束が太く、四季澱繊維とは別に炭素素材の衝撃吸収材を層状に内包させている。

 徹の迅速な対応にはさすがの永遠も驚いた。早くとも二日はかかるだろうと予想していたが、そうはならなかった。徹に設計図を渡したのは、麝香霊利に襲われた翌日の放課後、能呂研で狐塚とともに薬を作りはじめる前だ。徹が学校にも普通に登校していたことを考えれば、実際の作業時間は一日にも満たない。

 襲撃直後、病院で治療を受けるラビのもとへ徹は駆け付けた。ともに治療を受けていた永遠は、その段階で不忍装束についての考えを徹に話しておいた。設計図を受け取る前から準備をしていたのだろう。加えてラビの傷つきようがいままでにないものだと、徹自身が零していたところを見ると、一大事だと理解するのは一瞬だったに違いない。

 育んできた技術に気持ちが乗った。徹のラビに協力したいという想いが、ゾーンと呼ばれる、目の前のことに最大限のパフォーマンスを発揮する集中状態をもたらしたのかもしれない。

「やばいわ」組み手を終えた夏穂が、腕を軽く揺する。「腕がジンジンする。怪我人とは思えないんだけど」

「怪我は見た目より大したことないんだって」ラビが被っていたフードを頭の後ろに下げるとリボンが跳ねた。「まあそれでも、たしかにいつもより体が軽かったけど」

 試作品ではあるが、身体能力向上の補助はうまく機能しているようだ。永遠はスマホを取り出し、出てきた意見をメモしていく。

「衝撃吸収はどうだった?」永遠はラビに歩み寄って聞く。「自分が打撃したとき、夏穂さんからの攻撃を防いだとき、受け身を取ったとき、それぞれどんな感じだった?」

「え、えっと……全部、よかった? と思うよ」

 つまるところ、服による衝撃緩和の効果も高いと考えていいのだろうか。もう少し詳細を知りたい。

「どれぐらい痛くなかったとか、感覚でいいからちょうだい、ラビ」

「うーん……そうだなぁ、痛さはねえ、手だけ痛かった、って感じ」

 言いながら、手を開閉するラビ。たしかに手に関しては素手のままだ。手袋の制作も視野に入れるべきか。ひとつの案が生まれたが、永遠がより知りたいことはほかにある。

「麝香霊利に攻撃されたって考えてみたら、どう? 計算上だと、あの力の衝撃はさすがに吸収しきれないんだけど」

「え、じゃあそうんなんじゃないの? 永遠が計算してるんだから、それが正しいよ絶対」

「ラビ」徹が真剣な表情でラビを見た。「いまはラビだけだけど、ゆくゆくは不忍みんなの命を守るものになるんだ。真面目に人夢さんに意見を出さなきゃだめだよ」

「う、うーん」ラビが小さく唇を鳴らした。「そっか、そうだよね。ごめん永遠、あたし、いまの組手、ちゃんと思い返してみる」

「お願い」

 その場で胡坐をかいて小さくうなるラビ。それを見た夏穂が小さく笑う。「ラビが考えてる間、相手をした感想で場を繋いどこうか」

 永遠はスマホを構える。「お願いします、夏穂さん」

 夏穂が腕をさする。組手が終わった後に揺すっていた腕。組手のなか、ラビの蹴りを受け止めていた。

「普段のラビを知ってるからこそわかる。蹴りの威力は五倍くらいにはなってると思う。五回連続で同じとこ蹴られたらこんな感じだろうなって。ウチも不忍襦袢は着てるわけだけど、それでも二回は受けたくないから、受け流そうって考えに変えたよ」

「なるほど。じゃあ、攻撃を当てた感じはどうでしたか?」

「硬さはなかったけど、布団とかマットレスみたいな、厚い布とかスポンジの塊を攻撃してるみたいだったかな。おかげで、攻撃したこっちの手とか足とかも痛くなかったけど。それからさっきの受け流すって話に通ずることなんだけど、ラビの機敏さも上がってたよ。本人も体が軽いって言ってたけど、二倍まではさすがにいかないけど、一割増しくらいかな、体感だけど」

「いえ、貴重な意見ですよ」

「はいはい!」ラビが跳び上がって立ち上がった。「あたしも、あたしも! 今度はちゃんと役立つようにやるから」

「もちろん、お願い」

 ラビは最初に聞いたときより具体的になるように努力してくれた。粗くもあるが、その粗さが論理的な考え方では触れられない部分に手をかけてくれる。永遠もラビの言葉に合わせて質問を投げかけていく。今度は手ごたえのある返答が多く、今後の改善に繋がりそうだった。そうして満足のいく回答を得られたところで、永遠は最後の質問を口にする。

「ほかになにか気になったところとかある?」

「なにか? そうだなぁ、リボンが隠れちゃうとこ?……っていうのは冗談で、フードを被ると、音の聞こえてくる方向が少しわかりづらくなる、かな? まあ、いまは永遠に言われて被ってただけだから、これからは被らなければいいだけだけど」

「駄目」永遠は間髪入れずに否定した。「音の聞こえかたについてはちゃんと改善するから、戦闘時は必ず被って。ほかの部分なら平気ってわけじゃないけど、頭はしっかり護ってほしい。ラビが戦っているところをたくさん見てきたわけじゃないけど、だからこそ、その数少ない場面のなかで、頭を狙われてる印象が強かったから」

「……そっか」ラビがフードを再び被った。「まあ頭巾よりお手軽だし、そうする!」

「うん。でもラビ、それでも麝香霊利の攻撃は可能な限り避けて。さっきも言ったけど、あそこまでの力は吸収しきれないから」

 ラビが力強く頷く。「わかった」

「それにしても」夏穂が言う。「ラビの怪我を見ても、まだ信じきれないよ。人間離れした力なんてさ。てか、不忍装束は十分な強化だと思うけど、実際、ラビだけで制圧できるものではないよね?」

 夏穂の指摘はもっともだ。想定を超えたものに対して全くの無力ということにはならないが、襦袢や装束の補助はあくまでも、訓練された極道への対抗ができれば充分なものとして設計している。襦袢の開発の際に善治が、不忍を護り、かつ相手の命を奪わないよう制圧できるのが目的だと提示した。より強力なものではあるが、装束もそれに倣った形になる。

 麝香霊利のような敵と戦うことを想定したものを作るべきかと、永遠も考えなかったわけではない。狐塚とも話したが、今後のことを考えれば必要になるだろうとも思ている。しかしそうなると、いまは時間が足りない。麝香霊利はすでに強大な力を振るっている。だからいまは、力だけに頼らない方法を使うべきだと判断した。

 すでに霊利の情報は兎束家に留まらず、各不忍家に渡っている。合わせて不忍襦袢も、時期を早めて兎束家から提供することが決まった。

 それでも不忍たち返り討ちにあってしまうのは目に見えている。兎束家の夏穂ですら、いまだに霊利の力を信じていない節があるのだから、他家の不忍ならばなおのことだろう。その状態で霊利に挑んでいき、無駄に命を散らすようなことがあってはいけない。対処法は周知しておかないといけない。

「すでに善治さんには相談してあって、これを各家の不忍たちに使ってもらおうと思ってます」永遠は白衣のポケットから小さなスプレー缶を取り出した。「作れる薬の量には限りがあるので、ラビをはじめとした兎束家の数人だけしか持てないですけど、これは違います」

 ラビがフードを取って永遠の手から缶を取った。「なんなの?」

「ラビ、勝手に」徹が諫める。「ちゃんと説明を聞いてからにしなよ」

「別に押したりしないよ。あたしだってそれぐらいわかってますー」

 夏穂がラビから缶をさっと掻っ攫った。「で、永遠ちゃん、なんなの? ただの痴漢撃退の催涙スプレーじゃないんでしょ」

「中身はただの空気です。四季澱濃度が高いだけの」

「確かに四季澱入りの空気なら薬なんかより簡単に手に入るだろうけど」夏穂が缶を眺める。「これがなんの役に立つの?」

「わたしたちが助かったのは、この空気のおかげなんです」

「あ!」ラビが思い出したように声を上げた。「あのパイプから出てた空気! 麝香霊利、あれを浴びたあと苦しそうだった!」

「そう。鬼になった人間は、崩壊した四季澱粒子に対して重度のアレルギー反応を起こすの」

「なるほど」夏穂がスプレーから数回、空気を噴射させる。「空気中の四季澱と反応させて粒子を崩壊させて、それで麝香霊利を怯ませるってことね」

「はい、ほかの不忍家の人たちには、一般の人たちの安全を護りながら、霊利を足止めしてもらいます。装束を着たラビが一番望ましいですけど、薬を持った誰かが到着するまで、不用意に制圧しようとしない。そうするように、善治さんには伝えてもらいます」

「うーん」夏穂が悩まし気に唸った。「ほか家の不忍がどこまで言うこと聞くかだね」

「……善治さんも似たような反応でした。同じく街を護る目的を持っていても、全員が協力的ではないって」

「利権争いとか、市政からの助成金とか、街の人からの人気とか、いろんなベクトルで競い合ってるからね、不忍って」

 徹が頷く。「僕たちみたいな不忍をサポートする職業も似たようなもんだよ」

「大丈夫だよ永遠!」ラビがにこやかに言う。「みんな街を護りたい気持ちは一緒だもん。いざってときはどこの家かなんて関係ないんだから」

 夏穂がラビの肩を抱き寄せ、頭をぽんぽんと叩いた。「みんながみんな、ラビみたいだったらいいんだけどね」

「ですね」

「ね、それよりさ」夏穂の腕のなか、ラビが楽しそうに口を開く。「早く不忍装束をもっとすごくしに行こうよ! いざって時に間に合わなかったらいやだよ、あたし」

「もちろん。それはわたしだって同じ気持ち」永遠は徹に視線を向ける。「徹くん、これからお店に行っても大丈夫?」

「当然だよ。向かいながらどんなふにするか聞かせて」

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