29:お得意さま
「じゃあ放課後、トールの家ね」
キョー都大学構内。再生医科学研究棟の前。永遠は声を響かせ遠ざかっていく制服姿のラビを見送った。
ラビが見えなくなると、永遠は建物の中に入った。今日は大学での研究ののち、十亀家で徹の絡繰り織りの共同開発。毎日ではないが、雪那がいなくなったという事実から気を逸らすために、永遠の方から協力を申し出て、ここ二週間のあいだに行うようになったことだ。
予定していた開発もそうだが、今回はラビからもらった要望をもとに、防寒機能を備えた不忍襦袢についても、意見交換をしたいと思っている。
『四季織々』は呉服の販売や修繕、着付け教室などを行う呉服店だが、十亀家として切り取ったとき、その性質は不忍のための衣料品の製造を行う伝統ある家系のひとつとなる。
過去には多くの不忍家との取引があったと聞くが、いまでは競合することで質を上げることを目的として、衣料系の協力者も多岐にわたるようになっている。そのため十亀家は、実質的に兎束家の専属となっているという。
十亀家を通さずして兎束家の不忍衣装の展開はない。不忍襦袢のときも、四季澱繊維こそスポーツメーカーのヒノとの開発が主だったが、デザインや機織りを含めた製造は完全に十亀家で行われた。
いまは現当主である徹の父親が仕切っているが、ゆくゆくは徹が家業を引き継ぐことになる。永遠の申し出を受けてくれたのも、外部の人間との共同開発の経験を積むという意味合いもあったのだろう。
「おーい、人夢さん」
研究室へと向かっていると、うしろから呼びかけられた。振り返ってみると、白衣に開襟シャツ、狐塚面白が小走りで近づいてきた。どうにも気分がよさそうな足取りだ。
「おはよう」
「おはようございます、狐塚さん」研究の話をよくする狐塚には、すでに気後れせずに話せる。「珍しいですね、いつもはわたしより先に研究室にいるのに。それに上機嫌、ですか?」
「いやぁ、今日は……てか昨日か、昨日の夜から忙しくてね。それが色々成果が出たもんだから、テンションが上がっちゃってるのは確かだね」
永遠は周囲に誰もいないのを確認してから尋ねる。「探偵のお仕事ですか?」
「だとしても言えないよね」
「ですよね」笑って返し、永遠は十亀家について考えたことに起因して気にったことを尋ねる。「そういえば、狐塚さんも兎束家専属の情報屋なんですか?」
「も?」
「えっと、今日、徹くんのところに行く予定があって」
「ああ、十亀家ね。たしかにあそこは仕立て屋としては兎束家専属だ。あ、俺が兎束家専属かだっけ?」
永遠は頷く。「はい。昔から兎束家に出入りしてたってラビから聞きました」
「あいつがちっちゃい頃からね」狐塚は親指と人差し指でなにかをつまむような仕草をしてみせた。「それこそ受精卵になる前から……ってごめん。下ネタになっちゃったね。舞い上がりすぎだね、ほんとごめん」
「受精卵は別に下品なものじゃないですから大丈夫ですよ」永遠は狐塚がしたようにつまむ仕草をした。「受精卵はもっと小さいですよって、言いそうになってましたし」
「あはは、さすがリケジョ。一本取られた。で、俺が専属かどうかだけど、たしかにさ、善治さんはよく俺を頼ってくれるんだけど、狐塚家はどこの不忍家にも贔屓はないんだ。共有しなきゃいけない情報は全不忍家に伝えるし、そうじゃない情報は欲しがるところだけに渡す。頼まれて情報集めたりとかねもね」
「狐塚家って、情報屋も一族稼業なんですね」
「情報屋というか、まあ……ちょっと、話しすぎたな、さすがに。テンションおかしいせいだ。ごめん、ここまでで頼むよ、人夢さん」
家業の性質上、あまり多くを語れないのだろう。永遠も深掘りしたかったわけではない。
「いえ、こっちこそ、すいません。簡単に聞いていいことじゃなかったですよね」
「いやぁ」狐塚が両手を体の前で合わせて、肩をすくめた。「ご理解、感謝します」
それから永遠は狐塚と世間話をしながら、能呂研の研究室へと歩を進めた。
二人が部屋の中に入ると、男子院生がひとりだけいて、数匹のマウスがマウス活発に動き回るケージを眺めていた。
院生が二人の入室に気付き、視線を向けてくる。「おはようございます、狐塚さん。それから人夢さんも」
挨拶を返すと、狐塚が彼に尋ねる。「能呂教授は? まだ来てない?」
「あれ、メッセージきてないですか? 今朝早くに、今日は私用で出てこれないって」
狐塚がスマホを取り出して確認する。「あ、ほんとだ。俺もバタバタしてたからなぁ。見逃したか……ごめん、ちょっと連絡だけしてくる」
そう言うと、狐塚は踵を返して、いま入ってきたドアから出たいった。それを男子院生とともに見送ると、永遠は院生に軽く会釈をしてから自分のために用意されたデスクへと向かった。
永遠のデスクは能呂のデスクのすぐそばだった。助手の狐塚より近く、永遠がパソコンに向かっていると、よく能呂の視線を感じた。あまり気分のいいものではなかった。
陰陽師の薬の精製については評価してくれているようで、研究室で研究をするようになってからは、鍾乳洞のときの嫌味な態度はなくなっていた。だが、やはり部外者と捉えられていて、監視されているのだろうか。
デスクでは研究結果をまとめたり、論文に目を通すなどのパソコン作業くらいしかすることがない。そういったことはタブレット端末でも可能であるため、歩きながら考えをまとめてきますと、あまりに視線が気になるときは離席するのが常だった。
そういった理由で、デスクの一番の役割は荷物置き場となっていた。
椅子の上にリュックをおろし、永遠は男子院生がいた研究スペースに戻る。マウスのケージを通り過ぎ、前面に腕を入れるためのグローブが取り付けられた設備の前の丸椅子に座る。安全キャビネットと呼ばれるもので、無菌状態での実験を行うための設備だ。前面はガラス張りで、中の様子が見えるようになっている。今日はこれを用いて四季澱の細胞への働きかけを観察する。
永遠は白衣のポケットからインフィニティキューブを取り出し、弄りはじめる。
陰陽師の薬によって若返ったマウスの体内から、老化した細胞の消失が確認された。これが若返りの要因のひとつと思われる。
細胞は分裂を繰り返すものだが、それが様々な理由で止まることがある。そうなったものを老化細胞と呼び、そこから出される炎症物質が機能低下などを引き起こしている。
老化細胞は本来、不要なものとして免疫によって排除されるのだが、一部は残り続けてしまう。次第に体内に蓄積されていき、結果として炎症物質も多くなり、老化が進むというのが現代科学での見解だ。
程度をコントロールできるのなら、老化細胞の消失は科学の進歩として喜ばしいことだろう。しかし、現状では老化細胞の減少を思うようにはできない。それに陰陽師の薬はその後に、重大な副作用を引き起こす。
薬を摂取後、しばらくして起こる発作。数回は継続的な薬の摂取によって抑えられるが、限度を迎えたのちは効果がなくなり、摂取対象は命を落とす結果になる。
老化細胞の消失も、副作用も、四季澱に起因していることは明らかだった。
四季澱がどのように作用して老化細胞を除去しているのか、いまだそのプロセスはは判明していない。しかし老化細胞の除去は、マウスの体内の四季澱濃度が高濃度のときに行われ、発作は個体差はあるが、概ね一定の濃度を下回ったときに起こるものだとわかっている。
継続摂取によるマウスの最長生存は九日。マウスの老化速度はヒトのおよそ三十倍。単純な換算になるが、ヒトだった場合270日生きたことになる。
薬の作用がそのまま適用できるかはわからない。それでも雪那が薬を自ら精製し、服用を続けられているのなら、解毒剤か拮抗薬を完成させるまでの猶予はかなり残されていることになる。
永遠は大きく息を吐いて、キューブをポケットにしまった。励まされて吹っ切れたとはいえ、いざ研究室に来れば不安が過ってしまう。自分を一時でも安心させる理由を頭に巡らせ、それから研究に没頭する。ここ最近と同じようにして、永遠は安全キャビネットに手を入れた。
「今日の研究はどうだった?」
夕方、永遠が徹の家の作業場に顔を出すと、ラビが開口一番に尋ねてきた。ラビは制服ではなく、ランニングウェアだった。しかし置いてある荷物を見る感じ、家に帰ったわけではなさそうだ。永遠としては制服よりも見慣れていて、どことなく安心感があって落ち着く。
永遠はリュクをおろしながら質問に答える。
「四季澱がどうやって細胞に作用してるのかは、今日もわからなかったよ。けど、細胞内で四季澱の崩壊と不活性を確認できた。推測が当たってた。空気中の場合は不活性粒子があると、活性状態の粒子も崩壊しちゃうけど、体内、細胞内だと不活性粒子の影響で崩壊することはないみたい。この仕組みがわかれば、もしかしたら発電のほうにも活かせるかもしれない。博士が目指したものに近づけるかも」
「んっぱ!」ラビが唇を鳴らす。「すごいねっ!」
作務衣姿で織機に向かっていた徹が、顔をあげて訝しむ視線を向けてきた。「人夢さん、ラビに話す意味あるの?」
「自分の理解度を試す意味でも、人に話すのはいいことだよ。ラビが理解してないのはわかってる」
「ちょ、永遠ひどいよ! あたしだってちゃんとわかってことあるんだよ。永遠の表情とか、喋ってる声の感じとか、そういうので、研究が進んだのかとか、すごい発見したんだとか、ちゃんとわかるんだから!」
「うん、それはわたしもわかってる。いつも聞いてくれてありがとう、ラビ」
「ふふん」ラビが得意気に徹に目を向ける。「トールもあたしに色々話してみるといいんじゃない? 永遠みたいにさ。そしたら、いいアイデアが浮かぶかもよ?」
「うーん、いまは人夢さんもいるし。ラビより有益な話できるからな」
「徹くん。徹くんの服を一番着てるのはラビでしょ? 邪険にしちゃだめだよ」
「そーだ、そーだ。一番のお客さんだよ、あたしは」
「はいはい、じゃあ一番のお客様」
徹が大げさに恭しく言って、織機から離れて奥の棚から折りたたまれた淡い桃色の織物を手に取った。徹がそれを広げると細長いものだとわかる。そのままラビの首にやんわりと巻き付けた。
「絡繰り織りのマフラー。試作品だけど、お得意様にプレゼント」
「んっぱ! ありがとう」首に巻かれたマフラーを優しく握るラビ。「大事に使うね」
「あ、うん……。それはありがたいんだけどさ、ラビ」
「なに?」
永遠は思わず笑ってしまう。「絡繰り織り、形になったんだよ、ラビ。試してみてあげないと」
「え、え、あ、そっか! って、待って? いつの間に完成してたの? あたし毎回永遠と一緒に来てるのに、聞いてないよ!」
「いや、僕と人夢さんはちゃんと話してるんだけどね。ラビがイマイチぴんときてなさそうだったから、どうせなら試作だけど形にしたものを渡そうってことになったんだよ」
確認の視線を向けてくるラビに、永遠は静かに頷いた。
「なんだぁ~、え、じゃあ、これ、こはどうすればいいの。バッて変わるんでしょ?」
徹がラビの胸元に垂れるマフラーの端の角を指さす。そこには指先が入るくらいの大きさの金属性の輪っかがついている。
「そこにリングがついてるだろ? それを引っ張れるところまで引っ張ってみて」
「こう?」
ラビがマフラーを押さえながら、リングを引いた。リングには平たい紐が繋がっていて、マフラーからその姿をあらわにしていく。マフラーの幅と同じくらいの長さを出し切ると、ラビの手が止まった。
「なにも変わんないけど……」
徹が楽しそうに言う。「リングから手を離してみて」
「うん」
ラビがリングを離すと、衣擦れの音とともに帯がマフラーの中に戻っていく。それに合わせて、マフラーの表面が端から順に色合いを変えていく。開発段階で永遠も目にしたが、その変化の過程はドミノ倒しのように見える。そうやって帯のあった反対の端まで変化を終えると、薄い桃色だったマフラーは跳ねるウサギの柄のになっていた。
「わおっ!」ラビが巻かれたマフラーを首から外して、目の前で広げた。「裏まで変わってる!」
「もう一度引っ張れば元に戻るから」
徹にそう言われると、ラビは手に持ったままリングを引っ張った。そうして薄い桃色に戻ったマフラーを、ラビは再び柄の状態にする。何度も繰り返して、その度に感動の声を上げる姿に、永遠は徹と目を合わせて笑い合った。開発者冥利に尽きる。
「ラビ、さすがにやりすぎ」
「ごめんごめん」ラビはマフラーをスポーツバックにしまう。「もう少し寒くなったら使うよ、ありがとう、トール」
「使い始めたら、使用感とか教えてもらえると助かるよ」
「うん、任せて!……って、待って」ラビはなにかに気付いた様子で眉をひそめた。「ねえ、トールの開発が完成してるってことは、今日は何するの?」
永遠は答える。「もっと不忍寄りの開発」
「不忍襦袢よりすごいやつ!」ラビが永遠と徹の顔を交互に見る。「作るの!」
目を輝かせるラビに、永遠は口角を上げてみせた。「期待してて」
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