23:セレンディピティ

 石畳の通りに面して、びっしりと町屋が並ぶ。日の光はわずかとなり、橙色や乳白色の光が店頭に灯り出していた。

 通りには海外から訪れている人を含め、観光客の姿が多く見受けられる。市街地とはまた違う活気を持ち、いかにもキョー都といった情景だ。

 そんな通りに対し、広く間口を開けた呉服店『四季織々』。そこが十亀とおるの家だった。

 着物や帯、それから反物や装飾品が丁寧にレイアウトされた店内。永遠はラビの後ろに続き、店の奥へと直行した。バックヤードには織機が二台置かれていて、その一方を手ぬぐいを頭にかぶった徹が、なにやら弄っていた。

 永遠は織機に違和感を覚えたが、言い出す前にラビが徹に声を掛けた。

「トール、来たよ」

 十亀徹。ラビの幼馴染で同窓生。『四季織々』には四季澱繊維の開発に協力してもらったこともあり、永遠とも知り合いだった。緊張はなかった。

「十亀くん、急にごめん」

「問題ないよ」

 作業の手を止めて、立ち上がる徹。頭の手ぬぐいを外すと、少し潰れたマッシュヘアが露になる。その髪を少々乱暴に手櫛で整えながら、徹はバックヤードのさらに奥へと永遠たちを誘う。

「こっち、もう準備してある。それからラビさ、メッセコミュ障そろそろ治そうよ」

 徹に続くように歩き出しながら、永遠はラビに問う。「ラビ、なんてメッセージ送ったの?」

「んっとね……」ラビがスマホを操作する。「これ」

 見せられた画面にはラビと徹のトーク画面が映し出されていた。さっき龍閨鍾乳洞を出るときに送った最新のものを見る。

『トーる透明なベト輪使う』

 直近のもの以外も同じようにおかしな変換で埋め尽くされていた。徹の返信に問い返しはない。苦言を呈しつつもかなりの理解があるようだ。

 それにしても、どうすればこうも正しい変換がなされないのだろうか。もはやわざとやっているとしか思えなかった。

「……わざと?」

「じゃないよ。あたしは普通に打ってるけど、スマホが勝手に」

「そんなわけないでしょ」

「そうそう。人夢さんからも言ってあげて」徹が前からため息交じりに言う。「ラビはさ、変換を面倒がるんだよ、見ないで確定する」

「変換機能は優秀だよ。さすがにここまでひどくなることはない。ラビ、どういう打ち方してるの? 句読点も接続詞もないし」

「あたし電話の方が得意だからさ。最悪電話すればいいやって。でもね、永遠。いままで電話で確認されたこと一度もないんだよ! ちゃんと伝わってるってことでしょ」

 徹が呆れた声を漏らす。「みんなが優しいんだよ」

 バックヤードのさらに奥に着いた。上がりかまちで靴を脱ぎ、十亀家の住居スペースへと入る。板間の廊下を進み、畳敷きの居間。中央に掘り炬燵ごたつがあり、その上に目的のものが置いてあった。

 分厚いがしっかりと透き通った鍋。近づいて観察すると、いくつかの層や、ところどころに雲のような白い筋が見受けられる。触ってみる。思った通り、ひんやりとした。熱伝導率の高さの表れだ。

 永遠はつぶやく。「天然水晶」

「さすが、わかるんだね。うちに昔からある水晶鍋。けど、鍋の時期には早いと思うけど」

「違うよ徹。永遠が使うんだって」

 永遠のなかにためらいが生まれる。それを正直に口にする。「いまやってる研究で使わせてもらおうと思ったんだけど、結構高価なものだし、ちょっと遠慮しておこうかなって思いはじめてる」

「僕は構わないけど。親も貸していいって確認済みだし」

「それはたぶん、普通の使い方を想定してだと思う。うーん」

 悩ましい。そもそも水晶の主成分である二酸化ケイ素は水溶性がない。仮に陰陽師たちが水晶鍋を使ったからといって、鍋からなにかが溶けだした可能性はほぼないといっていいだろう。かといってなにも試さないのは、永遠の好奇心の許すところではない。

「じゃあ今度、水をここに持ってきて実験させてもらっていい。運ぶのはちょっと恐いから」

「人夢さんがそれでいいなら、こっちは問題ないよ」

「ありがとう、十亀くん」

 会話の終わりにラビが聞いてくる。「じゃあ、もう帰る?」

「ちょっと待って」永遠は改めて徹に尋ねる。「十亀くん、さっき触ってた織機、調子悪いでしょ」

 徹が驚きの表情で言う。「すごい、どうしてわかったの」

「へへん」ラビが得意気に返す。「トール。永遠はね、なんでもわかって、なんでも直せちゃうんだよ!」

「なんでもじゃないって、ラビ。えっと、十亀くん、あの織機さ、普段とは違う使い方したんじゃない?」

「え……本当になんでもわかるの?」

「いや、だからなんでもではなくて……とりあえず、お鍋のお礼に直していくよ」


 違和感の消えた織機を前に、永遠は高く手を上げ、体を伸ばす。そんなに時間はかからなかった。直すとは言ったものの、ほんの些細なずれを戻していく作業を数回、繰り返しただけだ。

「それで、どんな使い方したの? 普段かからない力が、ちょっとずついろんなところに負担をかけてたみたいだけど」

「実は新しい織り方を考えてて。絡繰からくり織りって、名前はもう付けてるんだけど」

 言いながら徹は近場の作業台から、二つの生地を手に取った。それを上下に重ねるようにして永遠とラビに示す。それを裏返す。

「二つの柄が、仕掛けひとつで入れ替わる。けど、リバーシブルとは違って、着たままで変化するものを作りたいんだ」

 ラビが聞く。「小さい子の服のキラキラのやつ? 絵が変わるあの」

「リバーシブルスパンコールね。たしかにイメージはそんな感じ。だけど撫でただけで変わっちゃうのは違うんだよね」

 二人の会話の最中、永遠はスマホで話題に上がっているリバーシブルスパンコールを調べる。子供服に関する動画があった。五歳前後の女の子が、自身が着た服の胸部から腹部にかけて施された、キャラクターのプリントを下から上へ撫でる。すると別のキャラクターの絵に変化する。そして反対に上から下に撫でおろすと、最初のキャラクターに戻る。そんな動画だった。

「たしかに」永遠は動画を見終わると会話に加わる。「子どものためのおもちゃに近いね。わたしはファッションには明るくないけど、大人が日常的に着るとなると、実用的じゃない」

「そう。僕もじゃらじゃらと装飾をつけたいわけじゃないんだ。あくまでも着る人が自分のタイミングで柄を変えられて、かつ外的要因で簡単に変わらない。それでいて、一回限りじゃなくて繰り返せる。そんな生地を作りたいんだ」

 永遠は少々興味が出てきた。「たとえばどんな方法を考えてるの?」

「柄を出してる糸の一か所をまずはずらす。そのずれが次の糸をずらすきっかけになる。そうすれば大きな仕掛けを必要としないんじゃないのかなって考えてる。これなら仕掛けは一か所ですむし、誤って変わる可能性も低くなると思うんだ」

「詳しくないから聞くんだけど、前例とかは?」

「僕も業界全部を把握してるわけじゃないけど、聞いたことはない」

「そっか……例えば――」

 永遠と徹の間にラビが唇を鳴らして割って入ってきた。

「ねえ、ちょっと待って。もしかしていまから難しい話しようとしてる? あたしもいるのに」

「別に難しい話はしないよ、ラビ」永遠は笑って返す。「徹くんの絡繰り織りに興味があるだけ。それにラビのためでもあるんだよ」

 ラビが首をかしげる。「どういうこと?」

 これには徹も疑問に思ったようで、尋ねるように視線を向けてくる。永遠は二人に答える。

「不忍襦袢の改良になにかいい刺激になるかもって」

「おおっ、そっか!……デザインが変わる不忍襦袢ってことだね!」

「それもいいけど、わたしはもっと可能性を感じてるよ、徹くんの絡繰り織り」

「そう、なのかな?」徹は少し照れながらも腑に落ちていない様子だ。「人夢さんが可能性を感じるほどのことだとは思えないけど。なによりまだ考えだけだし」

「可能性は考え出した瞬間に生まれる。人間が生み出した技術はそうやって発展してきたんだから」

「うんうんっ! トール、頑張って!」

「ラビ」徹が呆れて笑う。「勢いだけで反応してるな?」

「んっぱ。まあね」ラビが開き直る。「あたしは永遠とトールを信頼してるからね。難しいことはわからなくていいの。お腹も空くし」

 まるで示し合わせたかのようにラビの腹の虫が鳴いた。恥ずかしげもなく、ほらっと肩をすくめたラビ。バックヤードは和やかな笑いに包まれた。

「もう夕飯時だね。帰ろうか」永遠はラビに言うと、徹に向き直る。「徹くん、わたしも色々考えておくよ。お互い、ラビのために頑張ろう」

「そうだね。人夢さんのほうも研究、進むといいね。鍋はいつでも使えるようにしておくから」

「ありがとう」

 じゃあ、また。徹に店先まで見送られ、永遠はラビとともに「四季織々」をあとにした。

 訪れた目的からは外れたが、なにも得られなかったわけではない。絡繰り織りの考え方もそうだが、水晶鍋を目にしたことは永遠にとって意義のあるものだったと感じる。

 思いがけず価値ある発見をする。そういったことをセレンディピティと呼ぶが、これもそうなり得るかもしれない。そんな予感が永遠の中に生まれていた。

 二酸化珪素。ケイ素の酸化物。雪那と議論を交わす価値がある。

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