22:意見交換

 観光地としての側面も持つだけあって、龍閨鍾乳洞の内部はすでに大部分について整備が整っている。ただし今回の調査は、観光用の通路を外れた場所で行われる。

 永遠はキョー都大学教授能呂のろ謙三けんぞうと、その研究室の助手と学生、そして兎束家の不忍数名とともに目的地を目指していた。

 整備が行き届いていないため足元が滑りやすく、みな慎重に歩を進めていく。相応の装備で身を固めていることも相まって、一年を通して快適な温度を保つ鍾乳洞であってもじんわりと汗が滲む。

 それでも永遠は歩くだけですんでいる。後ろを振り返れば、兎束家の不忍たちが研究に必要な資材を運んでいる。永遠の荷物といえば、スマホと『陰陽薬餌録・中』の原本と翻訳資料くらいなものだった。

 永遠はわずかに緊張を感じながら、前を歩く梓馬蓮真に声をかける。人見知りもあるが、彼のソフトモヒカンやピアスといったいで立ちは、すぐに慣れるものではなかった。

「あの、梓馬さん」

「なんだい?」

「不忍って本来、こんなことしないですよね?」

「護衛って意味ならなくはない。まあ、善治さんのお客さんじゃなきゃ、荷物運びにまで人員は割かないけどな」

「そうですよね……」

「気にすることはねえよ、永遠ちゃん。俺たちはちゃんと仕事と認知してる。雑用だなんて思ってないからさ、必要なことはなんでも言いなよ」

「……ええ、わかりました」

「はは。遠慮してるなぁ。ま、いまは遠慮してても、研究がはじまれば大丈夫なんだろ? そんな子だからって、夏穂から聞いてるよ。それと遠慮取り除く材料をもう一つ提供してやると、いまラビがいないのは学校行ってるからだろ?」

「はい」だからこそ少しばかり心細くもあるのだが。

「つまり、ここに来てるのは暇な奴らだ」

「蓮真さん」後ろから笑い含んだ声が飛んでくる。「暇ってなんすか」

「そうだ。さっき仕事っていってたやんか!」

「おい、おめえら」蓮真が笑い返す。「永遠ちゃんが萎縮すんだろ。黙っとけ」

 そりゃそうだ。不忍の誰かが応えると鍾乳洞に笑い声が響いた。それを諫めるように、先頭の方から嫌悪のこもった大声が届いた。

「おい」

 小太りで、顔は脂ぎってテカリを見せる四十前後の男。教授の能呂だ。拠点を設営する目的地となる開けた場所に立ち、永遠たちを半ば睨むように見ていた。

「遊びで来てるんじゃないんだぞ。ったく、雪那博士からの依頼と聞いて受けたが、当の本人はいないし、助手は不忍をはべらせる始末。舐められたもんだよ」

「教授、それは聞き捨てならないな」能呂のところまで到達すると、蓮真が反論する。「場を和ませる冗談もわからないんですか?」

「なぜ和ませる必要が? 我々は研究に真剣に取り組むためにここに来てるんだ」

「わたしも真剣に科学に向き合っています」永遠は思わず口を挟んだ。「それに、肩肘張った緊張状態だけでは、研究はうまくいかないことが多いです。リラックスすることが重要になってきます」

「知った風なことを。いや、そうか……」能呂はだらしなく歪ませた顔で永遠を舐めまわすように見た。それから納得したようにうなずいた。「なるほど、リラックスね。雪那博士もやり手だ」

 言っている意味がわからず永遠は問い返す。「なんですか?」

「しらばっくれなくてもいい。わかったから」

「なにが――」

 能呂が永遠の発言を手で制してくる。「はいはい、もういいから。どうせ博士もいないし、君は邪魔にならないようにどこかに座って待ってなよ」

「わたしも調査に参加するんですけど」

「じゃあ、必要になったら呼ぶよ。リラックスのね」

 能呂はにやにやしながら永遠たちから離れていった。それから、学生やあとから続いた不忍たちに、拠点設営の指示を出しはじめた。

「まるで自分のチームのように。雪那さんと永遠ちゃんの研究なのにな」蓮真が呆れたように息を吐いた。「俺がガツンと言っとくよ。永遠ちゃんは調査に専念していいからな」

「……はい」

「あれ、もしかして自分で殴りたいとか思ってたり?」

「え? いえ、そこまでは。一応協力してくれているわけなので。でも、博士を馬鹿にされたように思えて。嫌味を言われたんだろうなってことはわかるんですけど、理解できなくて、どう反論するべきかわからなくて」

「ああ……」蓮真は苦笑して首を横に振った。「品のない嫌味。俺もそれ以上の説明はしたくないな」

 蓮真は教授の言葉を理解している。しかし説明したくないと言っている以上、節操なく問うのは憚れる意味合いだったのだろう。そうだということだけ、永遠は頭に入れておくことにした。

「……そうですか」

「まあ、気にすることはないさ。そんなこと気にして、やるべきことを疎かにしたら本末転倒だからな」

 たしかに蓮真の言う通りだった。ここには調査のために来たのだ。知りたいのは言葉の真意ではなく、四季澱の新たな可能性だ。

 ここから先は科学の時間。悩むのは未知に対してのみだ。


 拠点設営が昼頃に終わり、その場で昼食をとった。それから調査・研究がはじまり、いまは夕方になっていた。

 当然、鍾乳洞の中で陽光を目にすることはない。制服の下に不忍襦袢を着たラビが姿を見せたことではじめて、それだけの時間が経っていたことを永遠は知ることになった。それだけ没頭していた。

 調査開始当初は能呂が永遠のもとを何度も訪れ、作業を覗いていた。永遠も最初こそ気になって、視線を向けるなどの反応を見せていた。しかし次第に思考を巡らせることに集中しはじめると、そばに来た気配を感じるだけにとどまっていった。永遠からの反応がなくなったからか、自分の作業で暇がなくなったのか、それとも永遠を護るように目を光らせている不忍に怖気付いたのか、理由は定かではないが途中から能呂が近づいてくることはなくなっていた。

「それはなにしてるの?」ラビが永遠の手元を覗き込む。「てか、なにか収穫はあった?」

 永遠は作業の手を止めて、少し離れたところにある鍾乳洞内の地下水の池に目を向けた。

「そもそもあそこの水に四季澱は含まれてなかった。けどとりあえず、『陰陽薬餌録』に書かれてる通りに、汲み上げた水を火にかけてみたけど、普通に炭酸カルシウムの沈殿だけ。完全に水を蒸発させて加熱し続けても、当然、酸化カルシウムが出来あがるだけだった。どこにも四季澱の反応はなし」

「うーん、収穫はなかったってこと?」

「なにかが違うってって収穫があったってこと」

 二人の会話に背後から男の声が割って入ってきた。「いま人夢さんはそのなにかを探ってるところだよ、ラビ」

 永遠とラビが振り返ると、派手な開襟シャツの上に白衣を羽織った青年がいた。学生にも見えるが、能呂の研究室に助手として勤めている男だと記憶している。

「んっぱ! あはれくんじゃん」ラビが表情を明るくして、青年に問いかける。「なんでいるの?」

 青年もラビの名前を呼んでいたところを見ると、二人は知り合いのようだ。青年が近づいてくる。

「なんでって、そりゃ秘密だ」

「秘密って、どうせ潜入でしょ?」

「わかってるならいちいち聞くな」

 永遠は思わず口を挟んだ。「あの、能呂研の助手の方ですよね?」

「あー、ほら。ラビのせいだぞ」

「えー、普通に助手って答えればよかっただけじゃん。秘密って自分で言ったのあはれくんでしょ」

「あーはいはい、そうですね」

 青年は永遠に改めて向き直ると、名刺を差し出してきた。受け取って、視線を落とす。『探偵 狐塚こづか面白あはれ』とあった。

「改めて、俺は狐塚面白。探偵ってのは内緒で頼むよ、人夢さん」

「わたしには、話していいんですか?」

「まあ君は不忍の協力者って位置づけで、俺と同じ立場のよしみさ」

 ラビが永遠の耳元で小声で言う。「あはれくんはね、不忍の情報屋なんだよ」

「そういうこと」狐塚も声の音量を下げる。「で、いまは能呂研に潜入してるってわけ。理由はもちろん言えないけど」

「それで、あはれくんはなんで永遠のとこ来たの?」

 狐塚が永遠の作業台を覗く。その視線が一転に定まった。『陰陽薬餌録・中』だ。「それが俺たちに配られた資料の原本?」

 能呂の研究室には、調査にあたって翻訳資料のコピーを複数部配布してあった。狐塚は原本を確認しに来たのだろうか。

「はい」永遠は名刺を白衣の胸ポケットにしまい、狐塚に作業台から取った古文書を差し出す。「読みますか?」

「ほんと?」受け取ると、さっそく狐塚は本を開いた。「実は、翻訳資料だけじゃ理解できない部分があってさ」

「どこですか?」

 翻訳資料しか見ていない科学者が、どこに疑問を抱くのか。それを知ることには意味がある。研究の手がかりが潜んでいるかもしれない。

「まあ原本を持ってる人夢さんが結果を出せてないみたいだから、あんまり関係ないのかもしれないけど……」狐塚のページをめくる手が止まった。「ああ、これこれ」

 狐塚が開いたページを永遠の方へ向けてくれる。今回の目的である、若返りの薬に関する記述があるページ。永遠が麝香霊示に最初に見せられた、文章と絵図が記されているところだ。

「そもそも原本でも書かれてるわけじゃないみたいだね。鍋と祈りについては」

「鍋と祈りですか?」

「そう。それと……これ」狐塚がページの一部を指さした。「『季節をもたらす素』が溶けた水。これについても、翻訳の漏れがあるわけじゃなさそうだな」

「その三つが狐塚さんが気になったところですか? どう気になったのか、詳しく教えてもらえますか?」

「もちろん、意見交換は研究のうちだからね。えーっと鍋と祈りについてだけど、これは、翻訳の漏れとか省略とかがあったのかなって思ったんだ。鍋だったらどんな種類だったのかとか、祈りだったら、一言にまとめてるけど手順とか書かれてるのかなとか」

「なるほど」永遠は言われてはじめてそこに考えが至った。「加熱できる器ならなんでもいいと思ってましたけど、たしかに鍋の材質によっては成分が溶けだす可能性もなくはないですね。それに祈り。儀式的なものだと思って考えから省いてました。けど、もしかしたら陰陽師が陰陽師にしかわからない形で、情報を残した可能性もありますよね。わたしたちがそうであるように、部外者が簡単に真似できないようにするために」

 永遠が言い終わると、狐塚が少し驚いたような顔で永遠を見ていた。永遠は窺うように見返した。

「ああ、ごめん。否定しないんだなって」

「否定なんてしませんよ」

「麝香霊示に若返りの薬の話をされたときは、滋養強壮の薬がオチだって言ってたし。鍋の種類とか、特に祈りなんて非科学的なことに疑問を持ってるなんて、笑われるかと」

「あらゆる検証を重ねたうえで、はじめて否定できる。なにもかも否定してたら、科学に進歩はありませんよ。麝香霊示の時も興味深いとも思ってましたし」

「そっか。じゃあ続いて、水のことだけど。俺は当時もここの水に四季澱は溶けてなかったんじゃないかって考えてる。それこそ鍋から溶け出したりとか、祈りに集約された作業のなかで沸騰する水に加えてたとか、とにかく別のところから四季澱を加えてるんじゃないかって。当時の陰陽師が四季澱を検知するすべを持ってたのかも疑わしいし、そもそも四季澱の発見は、陰陽師の活躍してた時代よりかなりあとのことだし」

「四季澱発電が発見されるまでは、まったく見向きもされない物質でしたからね」

 ラビが少しばかり退屈そうに永遠に尋ねてきた。「そうなの?」

 永遠はラビに笑いかける。「わたしたちにとっては、もう当たり前にあるものだしね。不思議に思うのも無理はない」

「陰陽師だけが四季澱の存在を知っていて、秘密裏に活用して地位を得たってことも考えられなくもない。それなら身内以外に広まらないような書物の残し方にも納得できる」

「ちゃんと書かれてないんじゃ、研究は無理なの?」

 ノートを覗き込みながら言うラビに、永遠は首を横に振る。

「そんなことない。わからないとか、引っかかるとか、そういうのが糸口になって急に道が開けたりすることだってある。これは過去の科学者からの挑戦状。いまを生きる科学者として解明できなきゃ、負け」

「狐塚くん!」狐塚を呼ぶ声が鍾乳洞に響いた。能呂の声だった。「どこだい、狐塚くん!」

「ああ、呼ばれてる。俺は戻るよ。読ませてくれてありがとう」

 永遠は狐塚から『陰陽薬餌録・中』を受け取った。「こちらこそ、狐塚さんと意見交換できてよかったです。また議論してくれますか?」

「もちろん。俺も人夢さんの考えに触れられてよかった。じゃあ、また。ラビ、人夢さんの邪魔するなよ」

「しないよ」去っていく狐塚に対し、ラビは大げさに鼻から息を吐いた。「まったく。あたしをなんだと思ってるんだか」

「仲いいんだね。まあラビの場合は大抵の人がそうだけど」

「あたしが小さい頃からうちによく情報をくれてるから、半分家族みたいな感じ?」

「ラビが小さい頃からって、狐塚さん若く見えたけど、結構年上だったんだ」

「あー言われてみれば、昔からあんまり変わってないかも。若返りの薬飲んでたりして」

「それならわざわざこの研究に参加する?」

「だよねー」ラビは短く笑うと、なんの脈絡もなく永遠の手のなかで開いたままの古文書を指さした。「そういえばさ、この鍋って透明なんじゃない?」

「え? どういうこと?」

「あたしトールの家で透明なお鍋料理食べたことあるよ」

 透明な鍋。たしかに古文書の中の鍋は輪郭しか描かれていない。鍋の中に液体が入っていることをわかりやすくするため、塗り潰さなかった。そういった表現の一種だと永遠は考えていた。

 いましがた狐塚と話したこともあって、ラビの言葉は簡単に無視できないものになっていた。検証の余地がある。

「いまから十亀とがめくん家、行ってもいいかな?」


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