19:友達
初日の検証は雪那が伝えた通り、現象が引き起こされる状況を確認するに留まった。許される限りの時間を使い、あらゆる状況を試した。
ノートは無地で、未使用のものに限り、未使用であれば新品である必要もない。古く黄ばんでいたり、コーヒーなどの色のついた液体のシミがついていても問題ない。ただし、上から文字を書いた場合に、判別ができなくなるほど濃いシミの場合はその限りではなかった。
ノートのページ数には条件があった。答えが導き出せれるまでに必要な筆記量。それが確保されていないものでは、能力の発現はみられなかった。大きさについては制限はないようで、破損があった場合も書ききることができれば問題ないようだった。
形状も一つの条件らしく、コピー用紙の束の角だけを留めたものでは駄目で、一辺を留めたものであれば発現した。ルーズリーフも試したが、これは対象外だった。
そして、やはり発熱などの症状は能力の発現に関係しているらしい。
無地のノートを見ただけでは、永遠に発熱も現象も起こらなかった。必ず能力に付随して、発熱、大量の発汗、不明瞭な焦点、異常な挙動、意識の途切れが現れた。
永遠の知的欲求が明確になっていることも条件だと思われた。永遠が知りたいと強く思っていない事柄ではなにも起こらなかった。それゆえか、既知となった事象については、再び能力が発現することはなかった。
永遠に疲労の色が見えはじめたところで、初日に検証を終わりにした。初日にしては上々の結果が得られたと雪那は思う。
この能力がどこまでの範囲に及ぶのか、発熱などの症状は抑えられるのか、要する知的欲求の程度はどれほどか、なにかほかにメリットやデメリットはないのかなど、それらの検証は翌日以降となった。
その日、永遠は病院に泊まる手筈になっていた。能力を使った影響が後々に出る可能性を考えての、検証の一つでもあった。
雪那は永遠とともに真鶴に連れられ、一つの病室に入った。ここが病院だと認識してなければ、一般家庭の広めな一部屋だと間違えてしまうような、まったく病室然としていない部屋。床にはポップな絵の花柄絨毯。窓を覆うカーテンも同じもので統一されていた。壁際には棚があり、本やぬいぐるみがきれいに並んでいた。
唯一病院を思い出させるのが、清潔感のある医療機器に囲まれたベッドと、その上で体を起こしている、ニット帽を被りパジャマを着た少女の姿だった。
真鶴の娘、円だ。
雪那は彼女の病気の研究に協力しているため、この部屋を訪れるのは初めてではない。しかしこれまでと変わったところがある。ベッドが二つに増えている。どうやら真鶴は、永遠をこの部屋に泊まらせる気らしかった。
「永遠ちゃん、娘の円だ」真鶴が永遠と円に交互に視線を向ける。「円、こちら人夢永遠ちゃん。言ってた通り、少し一緒に――」
「永遠ちゃん!」
円が父親の言葉を遮って、嬉々としてベッドから降り、永遠の前まで駆け寄ってきた。その手が永遠の黒髪に伸びる。
「はじめまして! 綺麗な髪だね、永遠ちゃん」
「……えっと、ありがとうございます」永遠は両親について告げられたときよりも戸惑っているようだった。一歩身を引いて、小さく頭を下げた。「はじめまして、真鶴円さん」
逃さんとばかりに円が一歩踏み出して、永遠の顔を覗き込む。
「なんでそんな丁寧に話すの? 大人じゃないよ、わたし」
「……子どもなのは、わかります」
「そうそう、大人にはなれないからね、わたし……って、初対面でかなり踏み込んでくるねぇ、永遠ちゃん」
「い、いえ、わたし、そんなつもりでは……」永遠が困ったように雪那を見上げてきた。「雪那さん、わたしやっぱり帰りたいです」
「ごめんね、永遠ちゃん」雪那の代わりに真鶴が応えた。円の脇を抱えて持ち上げるとベッドまで運びはじめる。「静かにするように言って聞かせるから」
「ちょっとパパぁ。女の子が同じ部屋で寝るってなったら、それは寝ないでガールズトークってことでしょ! ね、永遠ちゃん!」
真鶴の陰から覗く円の視線から逃げるように、永遠は雪那の後ろに隠れた。
「円。永遠ちゃんの事情は話しただろ。迷惑かけないって約束が守れないなら、永遠ちゃんには別の部屋を勧める」
「いや」ベッドに乗せられた円が頬を膨らませる。「永遠ちゃんはわたしとこの部屋で寝るの、絶対に。ね、永遠ちゃん!」
同意を求め、円が永遠を見る。永遠は少々嫌がっているようだが、円のことも知っている雪那からすれば、その気持ちもわかる。それに円と永遠を同室にしようとする真鶴の親心にも察しが付く。病室から出ることのできない円に、同い年の友人を作る機会を与えたいのだろう。雪那は膝を折り、永遠と目の高さを合わせる。
「永遠ちゃん。いまはちょっとはしゃいでるけど、いい子だよ円ちゃんは」
「ちょっと、雪那博士!」円が目を輝かせる。「ちょっとなんかじゃないよ、わたし、すんごく、わくわくしてるんだから! はじめてのお友達ができるかもしれないって、昨日から楽しみだったの。ね、永遠ちゃん!」
「……わたしはいまはじめて知ったので」
「永遠ちゃん。僕も昔はひとりでいいることが多かったんだ。けど、真鶴とか同世代の友人と交流を持つようになって、何事もうまく転がるようになった。説得のための嘘じゃない、本当のことだよ。研究ばっかりで凝り固まった思考を、他愛のない話でほぐしてくれたりとかね。リラックスできる関係は、結構重要だと僕は思うんだ。だから、無理にとは言わないけど、とりあえず今夜だけでも、どうかな?」
永遠は雪那を真っすぐ見ていた視線を円に向けた。雪那もそちらに目を向けると、真鶴が肩をすくめて笑ったのが目に入った。
「たしかに雪那は研究馬鹿で、俺が連れださなきゃ外にも出やしなかったからな。なのに永遠ちゃん、こいつときたら、俺と遊ぶようになってから、逆に研究が捗っちゃってね。余計外に出なくなったんだよ。だから俺も意地でも、遊びに連れて行ったよ。そしたらまた、って感じだよ」
雪那は苦笑気味に頷く。
永遠はそれを見ると、しばし考えてから、気は進まなさそうだが小さく頷いた。「わかりました」
「やった!」
短く喜ぶ円。再びベッドから降りて、永遠のもとへ来た。永遠の手を取って、自身の隣のベッドまで引っ張っていく。それから真鶴と雪那を続けて見上げる。
「パパ、雪那博士、ここからは女の子の時間だから、出てって」
「永遠ちゃんが嫌がること、するんじゃないぞ」
真鶴が円に釘を刺し、扉の方へ向かいはじめる。雪那もそれに倣う。病室を出る間際、雪那は一度永遠を振り返った。
「じゃあ、永遠ちゃん。また明日ね。しっかり休んで」
「はい……」
心細そうな声が消え入るのを待って、雪那は扉を閉めた。
翌日の昼前、円の病室を訪れた雪那は面食らった。
永遠が五歳の女の子らしく、声を上げて円と笑っていた。円のベッドに二人並んで、ベッドテーブルに載せたノートPCを見ている。
「点Pは回遊魚の仲間なんだよ。動かないと死んじゃうんだ。そうでしょ、永遠」
「マルちゃん、回遊魚の全部が泳いでないと死んじゃうわけじゃないんだよ。マグロとかが有名でみんな勘違いしてる。止まっても死なない種類もいるんだから」
口調も敬語ではなくなっている。たった一晩でこれほどまで打ち解けたというのか。
「仲良くなったんだね」雪那は二人に近づきながら、声をかける。「なにをしてるんだい?」
「はい」永遠がいままでにない笑みで雪那に応える。「数学の問題をプログラミングで可視化していました。マルちゃんに教わりながらですけど」
「マルちゃんっていうのは、円ちゃんのことかな?
「さすが雪那さん。正解です」
「独特なニックネームだけど」雪那は尋ねる。「いいのかな」
「かわいくないですか? わかってないですね、雪那博士」
「そうなんだね……それにしても、円ちゃんはプログラミングができたんだね。初耳だ」
「部屋から出られないわたしの友達はコンピューターだけ」円が芝居ががった落ち込みを見せたかと思うと、一変して笑顔で永遠に抱き着いた。「それも昨日まで! いまは永遠がいる!」
「わたし、マルちゃんと約束したんです」円にゆったりと揺さぶられながら永遠が雪那に告げる。「わたしがマルちゃんの病気を治すって」
「うん、それはいい心がけだね。でもその前に、自分自身ことを知らないとだね。検証、行こうか」
「はい!」永遠はベッドを降り、円に手を振る。「じゃあ行ってくるね、マルちゃん」
「いってらっしゃい」
その日の検証で得られたものは、初日に比べて少なかった。ただそれは昨日の検証で、すでに多くのことを解明できたことを意味していると、雪那は考える。
能力が発現しているとき、永遠の脳は異常な活発を見せた。体温も頭部が体の他の部位に比べて高くなっていた。独特な知恵熱。真鶴は冗談交じりにそう言っていた。
その発熱も含め、ともに起こる症状は、永遠の頭が冷えることで収まる。頭を冷やしながら、無地のノートを見た場合、現象が終わりを迎えるまで、永遠が感じる苦しさが緩和した。
能力はノートを書き終える、または永遠が気絶するまで続いた。無理に永遠をノートから引き離すと、書き込んでいるとき以上の苦しみが襲う。その苦しみ方は、筆舌に尽くし難いものだった。これに関しては雪那は二度としないと、永遠に誓い詫びた。
検証の時間は昨日より短く終わった。永遠にこれまでにない苦痛を与えてしまったこともそうだが、研究する対象の消費が激しかったのも理由の一つだ。
新しい事実事象、問題解決のすべが必ず発見される。
永遠が求めた答え。それを求める能力なのだろうから、当たり前なのだろう。検証中、これが覆ることはなかった。当然、永遠が興味を持ち、知的欲求があるものに限られたが、この検証で発見されたものは、本来ならば世にいる科学者たちが心血を注いで見つけ出すものだった。だからこそ、科学への冒涜だと雪那は思っているのだが。
だた正直なところ、雪那の好奇心も未だくすぐられている。ノートの能力の現象が、永遠だけに起こることだと断定することはできない。報告がないだけで、もしかしたら世界のどこかに、同じ現象を引き起こす人物がいるかもしれない。この能力自体が人類史に刻まれる発見になるかもしれない。
そこまで考えて、雪那は自制心を強めた。永遠に考えさせておきながら、自らがそれを破るような行動をするのでは示しがつかない。
概ね、能力についての理解はできた。もう検証をやめにしてもいいだろう。まだ科学への向き合い方の答えを探している永遠に、どう伝えるのが成長を阻害しない方法だろうか。やはりそれを含めて伝えるべきなのだろうか。
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