14:秘訣

 ラビは階段に到着して足を止めた。

 どこか別の部屋か。この建物を離れるか。兎束家の不忍が攻め込んできている状況で、危険を冒して外に出るだろうか。建物の周囲を包囲されている可能性は考えているはずだ。いや、永遠という人質を盾に避難経路を確保するとも考えられるか。

 極道の思考ならその方が自然か。ラビは階段を下りはじめた。だが、またすぐに足を止める。外の絶え間ない銃声に隠れて、重要な音を捉えた気がする。いま、知るべき音。アサルトライフルが発する連続する音に似た音。けれどその音には、残弾や戦況に応じた音の止む瞬間がない。途切れることなく続くわずかな音。ラビは思考を改める。踵を返し、階段を駆け上がる。

 さっき戦った男の足音は上から降りてきた。そう聞き取ったのは自分自身ではないか。そうであるなら、いま聞こえた音とも辻褄が合う。

 ラビは通信を繋げる。「蓮真兄」

「ラビ、どうした?」

「ヘリコプター、飛んでない?」

「ヘリ?……あ、マジだ。よく気付いたな。銃声ばかりで気づかなかった。見てるのも下ばっかだしな。てか、麝香組がヘリ持ってるなんて情報聞いたことねえぞ」

「そんなこと、いまはどうでもいいっ。永遠が連れてかれそうなの! あたし、屋上に向かってるから、援護してっ」

「わかった、移動する。任せときな。ただ、ちょっと時間かかるぞ、足元悪いしな」

「うん、お願いね!」

 通信を終える。いまは四階の踊り場を超え、五階に辿り着こうとしていた。もうすぐだ。普段より息が上がっている。掴まれるような痛みが、呼吸のたびに脇腹を襲ってくる。

 屋上への扉の前に立つ。プロペラの音はすぐそこまできていた。すぐに飛び出したい気持ちを抑え、乱れた呼吸を整える。

 ここまで呼吸が乱れるのは、稽古中くらいなものだ。それも相撲で知られる、申し合い稽古と呼ばれる、勝ち抜け方式で行われる組手のとき。まとわりつくような汗と脇腹の痛みがなければ、いつもは爽快な高揚感に包まれるのだが。

 ドアノブに手をかけ、ラビは様子を窺うように隙間を覗きながら、ゆっくりと扉を押した。風による抵抗を感じる。隙間からは風とともに光も入り込んでくる。照明がついているようだ。

 視野が広がると、風がヘリコプターによって起こされているものだとわかった。ちょうどヘ着陸間際だ。

 煌々と照らされる屋上。スーツ姿の若い男が永遠の手を引っ張って、ヘリコプターの方へ向かっている後ろ姿を捉えた。ラビは扉の陰から屋上へと躍り出た。後ろで音を立てて扉が閉まる。

 ほぼ同時にラビは叫んだ。「永遠っ!」

 永遠と男が振り返った。永遠の口の動いたが、ラビの選択的注意をもってしても一言も聞き取れなかった。プロペラのあまりの爆音に掻き消されてしまっていた。二人が振り返ったのも、ラビが叫んだからではないのだろう。

 むやみには近づけない。状況を確認する。永遠と若い男のほかにもう一人、車椅子に乗った老人が枝のような腕を顔の前に出しながら、ヘリコプターを見上げていた。写真を見たことがある。後ろ姿だが麝香組組長、麝香霊示だとわかる。

 たったいまヘリコプターが着陸した。前後に一つずつプロペラを持つ、長いヘリコプター。その大口のドアがスライドし、操縦士以外の乗員の姿を三人確認できた。みんな当然に武装していた。ボディアーマーにヘルメットまで。

 乗員のうち二人が屋上に降りてきて、入口にスロープを掛ける。一人が車椅子を押して霊示を乗せにかかる。もう一人は若い男のそばによって、なにやら話しているようだった。若い男の正体も想像できていたが、口元に光るものを見て確信した。牙のような口ピアス。持っている情報と合致した。あの男は若頭の麝香霊利だ。

 霊利がラビに向かって顎をしゃくった。武装した男がラビの方へ歩き出した。ラビの足止めを頼まれたか。

 ラビは敵を改めて観察する。装備は下で倒した男と同じ。しかし迫る男はいくらか細く見える。背丈のせいかもしれない。父の善治を超える長身だ。

 徐々に歩む速度を上げてくる男。ラビも歩き出す。男の後方への注意も外さない。霊利が永遠を引っ張りヘリコプターに乗り込もうとしている。しかし永遠が抵抗を示す。霊利は大きく口を開けて、永遠に怒鳴っているようだ。

 永遠には無茶はしないでほしい。それでいて抵抗を続けてほしいとも思う。矛盾した感情がラビの中で渦巻く。抵抗がなければ、ラビの救出が間に合わない可能性が出てくる。しかしあまりに抵抗する永遠を、若い男が切り捨てるような事態にもなるかもしれない。ともに誘拐した雪那を置いて行っているくらいだ。ありえないことはないだろう。麝香組が永遠を重要に思っていることを願うばかりだ。

「よそ見とは心外だな」

 男の声がすぐそばでした。確かに男のことは視界の端に捉える程度だった。けれど、近づけば体を動かす音が必ず耳に入ってくる。意識の外になど出すはずもない。

「んっぱ。ちゃんと聞いてたよ」

 男が突き出してきた右の拳を、右足の裏を使って左側へ払う。そのまま右足の甲で男のヘルメットから覗く髭面を狙う。それは男の左手ではたかれた。

 男がバックステップで間合いを取った。長身を小刻みに揺らすファイティングポーズでラビの動きを窺ってくる。

「銃もナイフも使わないの?」ラビはその場で繰り返し小さく跳ねながら男に聞く。「おしゃれだったり?」

「煽っても無駄だ」男が首を横に振る。「得意で勝負する。それが勝ち続ける秘訣だ」

「なるほど。じゃあお互いが得意同士のときは?」

「そんなの簡単だろ」男が駆け出した。「実力でねじ伏せる」

「急に卑怯な手は使わないってことだ。そいう考え、好きだよ」

 距離が縮むと、男がフェイント交じりの動きで、ラビに隙を作ろうとする。ただそれはラビも同じだ。相手の動きを観察して、癖を見つけていく。

 小さく前後にステップする男。拳を振り抜くとき、踏み出した足がわずかに捻転して拳の行く先に向く。そのときにブーツが地面を擦る音、ラビはそれに集中した。

 音がした。ラビは男の左拳をくぐるように頭を下げた。男の左側に出て、側頭部を蹴り上げるつもりでいた。が、急に体が止まる。後頭部を引っ張られ、頭が大きく揺れた。顎が上がる。ラビは自分の行動を呪った。敵の罠だった。わざと癖を見せつけて、ラビを誘ったのだ。

 ラビは上がった視界の下方から、男の右拳が飛んでくるのを見た。直後には目の前が火花が散ったように白んだ。次の瞬間、ラビは空を見上げて倒れていた。顔に風があたり、熱が奪われる。すぐそばで軽い、空洞のあるものが落ちた音がした。お面が外れ、飛んだらしい。

 意識は切らさなかった。意地でも切らさない。

「やっぱり、兎束ラビだったか」男がラビのそばに立ち、見下ろしてくる。「そんなデカいリボン、戦いの場じゃただの弱点だろ、もったいねえ」

「……んっぱ」さっきはリボンを掴まれたらしい。「おしゃれだし、トレードマークだから」

「人質は諦めて、そのまま倒れてろ」男が目の動きで後方の若い男を示した。「そしたらあいつも、お前の命を奪うまではしないだろ」

 ラビもヘリコプターの方へ目を向ける。永遠はもうスロープに片足を乗せている状態だった。なんとか体重を後ろにかけて、抵抗している。顔をこちらに向けてなにか叫んでるようだったが、その音は届いてこない。

 永遠がもう少し、耐えてくれることを祈る。まだ時間が欲しい。声を出すことで意識を保ちつつ、蓮真の援護のための時間を作る。

「命令じゃないの?」

「殺してでも止めろって言われてるが、殺さなくても止まるならそれでいいだろ」

「ほんとに極道? どこかの不忍の潜入とか?」

「都合よく考えすぎだ。俺は正真正銘、極道。意義のない殺人はお頭の理念に背く」

「組長を立てるのはいいけど、聞こえないからって、若頭に失礼なんじゃないの? さっき、あいつとも言ってたし」

「勘違いだ」

「言ってたよ」

 男は小さく鼻を鳴らして、それからラビから視線を外すことなく、ヘリコプターへ移動をはじめた。後ろを向いた瞬間にラビが攻撃してくる可能性を捨ててない。抜け目ない。

「ラビ!」通信機から蓮真の声が聞こえてきた。「平気か!」

「蓮真兄……うるさい」

 ラビの口が動いたからか、後退する男の足が止まった。警戒に目が細くなる。

「うるっ……お前なぁ、お前になにかあったら、破門だぞ、俺」

 ラビは唇を鳴らして笑う。「あたしの心配じゃないんだ。お父さんに言いつけちゃおっかな」

「馬鹿野郎、心配したうえでだろ。ふざけてる場合か」

「あたしが永遠を助ける」ラビはゆっくりと立ち上がる。「蓮真兄は、うまく合わせて」

「うまくね、そう言うと思った。任せな、こちとらプロだ」

「ふふっ、さっき夏穂姉はナイスアシストしてくれたよ」

「そりゃ負けてられないな」

「じゃ、いくよ!」

 ラビは走り出した。脇腹は痛むが、忘れる。ここが正念場だ。

「まったく」男が身構えた。「もう命の保証はしな……」

 男の声を止めた。ラビが自身に向かってきていないとわかったからだろう。ラビは虚を突かれて動きを鈍らせた男の横を、全速力で駆け抜けた。男がラビを捕まえようと動く音が聞こえたが、それが小さな粉砕音によって掻き消された。

 蓮真は兎束家で五本の指に入るスナイパーだ。振り返って見ることはできないが、きっと男の足元に牽制の狙撃をしたに違いない。

「おい! なにやってる!」ヘリコプターに近づいたことで、霊利の怒鳴る声が聞こえてきた。「役に立たねえな!」

 霊利が永遠から手を離し、スーツの懐からハンドガンを取り出した。見ただけで一般的なハンドガンより一回り大きいとわかる。装填されてるのは威力の高いマグナム弾。

 ラビがスロープの一歩手前に差し掛かったとき、銃のスライドが引かれ、銃口がラビの方を向く。引き金に指がかかる音。聞き覚えのある音。あの銃が自分の脇腹を撃ったのだと、ラビは気づいた。

「ラビっ!」

 永遠が必死な声を上げ、霊利の腕を左手で掴んだ。よく見ると永遠は紙の束を右腕で抱えていた。あれではうまく力が入らないだろう。

「邪魔だ!」

 案の定、霊利が軽々と永遠を押しのけた。永遠が霊利の左側に出た。いまだとラビは思った。スロープの上の霊利に向かって、脚を畳みながら跳躍した。銃口が向くよりもはやく霊利のもとに到達したラビは膝を伸ばし、彼の体を踏みつけるように足の裏で蹴飛ばした。

 スロープに着地すると、すぐに永遠に飛びついた。体を捻り、永遠の下敷きになって屋上に着地する。

「くそがっ!」

 ヘリコプターの中に倒れた霊利が、四つん這いでスロープに出てきて、銃を向けてきた。途端、霊利のハンドガンが火花を散らして弾け飛んだ。

「ぐっ……」

「うぐっ……」

「狙撃だ! 中に入れ!」二つのうめき声が、ラビと戦った男の声に上書きされる。男はスロープに駆け込んできて、霊利を中に押し入れた。それから仲間とともにスロープを上げると操縦士に向けて叫ぶ。「上げろ!」

 ドアが閉まるより早く、ヘリコプターが浮上をはじめた。しばらく開いたままのドアから、男がラビを見下ろしていた。男が体に力を込めるのが見えた。ドアがスライドしていく。

「じいちゃ――」

 ドアが閉められ、わずかに聞こえた嘆くような霊利の声が途切れた。遠ざかっていくプロペラの音。地上から聞こえる喧騒も静まっていく。

 ラビは永遠とともに体を起こした。見つめた永遠の瞳から涙がこぼれた。ラビはそっと永遠を抱きしめた。

 それから永遠は声をあげて泣きはじめた。この声は、ラビが救った声だ。声が聞ける喜びを嚙み締めながら、ラビも静かに涙を流した。

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