13:侵入

 市街地を離れた山間部。周囲に建造物の見えない森の道路、ラビを乗せたバイクがスピードを緩めていく。家を出て三十分くらい経っているだろうか。

 路肩にバイクを寄せながら夏穂が言う。「ここからは歩きになるよ」

 ラビは返事をしながら気を引きめる。バイクのエンジン音に混じって、断続的な発砲音を耳が捉えていた。

「夏穂姉、もうはじまってるみたい」

「マジで?」

 エンジンを止める夏穂。かすかに吹く風によって起こされる葉擦れの音。発砲音はまだ聞こえているが、これはラビの耳だかららしい。夏穂が苦笑する。

「ラビといると耳が聞こえなくなったのかなって思っちゃうよね」

 ラビはヘルメットを夏穂に返し、先だって移動をはじめた。

「ちょっと、ラビ? 場所わか……るか、聞こえてるもんね」

 後に続いてくる夏穂とともに、道から外れた森林へと足を踏み入れる。ぬかるんだ地面。白とピンクのランニングシューズが泥にまみれていく。お気に入りだったが、親友の無事には変えられない。同じものをまた買えばいい。一つ問題になってくるのは、まとわりついた泥のせいで移動が制限されることだ。

 夏穂が横から親指サイズの通信機を差し出してきた。ラビは受け取って右耳につけた。音量を最小まで引き下げる。ラビの場合はそれで充分聞き取れるし、周囲の音を聞くためでもある。

「夏穂、ラビ」通信機から蓮真の声が聞こえてきた。「聞こえるか?」

「聞こえるよ」ラビはすぐに聞き返す。「永遠と博士は無事?」

 笑いを含んだ声が返ってくる。「せってるな、ラビ」

「だって――」

「安心していい。目視確認はできてないけど、なぜだか外で仲間の死体処理してたやつとっ捕まえて、無事は確認した。所在地も吐かせたから、近くで戦闘が起きないようにもしてあるし、移動されてもいいように周囲の監視もしてる」

「わかった」夏穂が応える。「それでウチらはどうすればいい?」

「当然、ラビに花を持たせる。二人は博士と永遠ちゃんの救出に直で向かってくれ。場所はスマホに……送った」

 ラビはすぐにスマートフォンを出し、不忍専用の通信アプリを開く。蓮真から送られてきた情報を頭に入れる。

 簡素な直方体の画像はビルだと思われる。内部が透過されていて、五階建てだとわかる。その二階の角の近辺に赤い点が一つ示されている。赤い点からは線が伸びていて、同じ階を進んだのち、中央付近の階段を降りてから、ちょうど赤い点の下に位置する一階の北側の壁から外に出ている。そこには「Enter」とある。ここから入れということだ。

「あくまで聞き出した情報から作った簡易的なマップだ。内部の詳細はわからないし、敵がいないとも限らないから気を抜くなよ。それとビル本来の入り口がある南側が戦闘区だ。近づくなよ」

「わかった。ありがとう、蓮真兄」

 通信を終え、しばらく黙ったまま進んだ。靴がだいぶ重くなっていた。

 木々が少なくなってきて、視界が開きはじめる。ビルの姿が見えてきた。もう夏穂の耳にも銃声は聞こえているだろう。

 森林の際で一度足を止め、木陰からビルを観察する。ビルは画像と同じといってもいいほど、ただの直方体だった。キョー都の市街地ではまず見ることのない、無機質で無彩色な箱状の建築物。

 ラビと夏穂がいるのは北東側。ビルの向こうは確かに騒がしい。マップにあった北側の壁を見る。入口はない。あるのは横に連なった窓。角の窓を割って入ることになる。

 一階はどの部屋も明かりが点いていない。二階のマップに記されていた部屋の明かりは確認できた。入り口で戦闘が行われているからだろう、周囲に敵は見当たらない。動く音もない。夏穂に目配せする。頷きが返ってくると、ラビが先んじてビルに近づく。夏穂がすぐ続くのを後ろに感じる。

 窓際に到着すると、ラビは旋回しながら脚を振り上げ、踵で窓を打った。盛大な音を立てて割れるガラス。窓枠に残った破片を取り除いて中に入る。襲撃の時に撃たれた脇腹に走った痛みに、膝を折りそうになったが、なんとか耐える。

 暗い。奥の扉の隙間から漏れるわずかな光だけが頼りだった。光は整列した影を浮かび上がらせている。棚だ。棚が並んだ部屋。段ボールが所狭しと収められている。備品倉庫だろうか。箱の中身が真っ当なものとは思えないけれど。

「暗っ」続いて入ってきた夏穂が小声で言いながら靴を脱ぐ。「てか泥やばっ」

 ラビは首から下げていた兎のお面を顔につけてから、夏穂と同じように靴を脱いだ。泥が動きの邪魔をするのを防ぐのもそうだが、足音を小さくする意味合いもある。潜入しているという状況だ、なるべくバレることなく永遠たちのもとへ辿り着きたい。

 お面をつけ、ジャージの上着を脱ぎ、不忍襦袢を露にした夏穂。脇の下にはホルスターがあり、収まっているハンドガンを抜く。マガジンに装填されている弾は実弾ではなく、制圧用の硬質ゴム弾。

 護るべき市民への被害を極力控えるため、不忍は銃火器を使うことを控えるのが常だった。ただ、極道にそんな常識はない。体を鍛え、近接格闘のエキスパートである不忍とはいえ、その間合いに入れなければほぼ無力だ。

 間合いを詰めるため、集団の銃火器持ちへの対抗のため、そして極道の命さえも可能な限り守るため、低致死性の遠距離武器は必須だった。ただ、所持が許可されるのは成人を迎えている者のみ。ラビは訓練で数回だけ握ったことがある程度だった。

「ラビ、音の警戒頼んだよ。援護は任せて」

 ラビは夏穂に頷き、ともに部屋を進みはじめる。光が差し込む扉を目指す。

 扉の前まできて、外の音に集中する。足音も衣擦れもない。遠く銃声が聞こえるだけだった。

 ラビが扉の脇に立って取っ手に手をかけ、目配せしてから素早く開け放つ。夏穂が先に飛び出て、左側へ警戒の銃口を向ける。ラビも後れを取らずに部屋を出て、右側を警戒する。誰もいない。

 安全と分かれば、すぐに移動だ。コの字に折れる廊下の東側を進む。右手に二つの扉を通り過ぎたところで、左手に壁の切れ間を迎えた。敵が潜んでいる可能性を考えながら角を折れ、階段を発見する。明るい廊下とは打って変わって、非常灯だけが灯っていた。

 階段では基本的に上に立つ人間が有利な状況になる。上に注意を向けながら、慎重に進む。踊り場を挟んで、二階に到達した。やはり入り口での戦闘に人員を割いているのだろう。すぐに救出に迎えるのはありがたい。このままなにも起こらないでほしい。無事に二人と帰りたい。

 再び照明のもとに出る。二階の廊下でも敵に出くわすことなく、目的の赤い点の地点と思われる角部屋の前に到達した。この部屋の中に二人がいる。永遠と博士には監視がついているかもしれない。扉の前で一度止まり、音に集中する。

 部屋から物音はしなかった。明かりは消えていないが、誰もいないのだろうか。ラビは扉に手を伸ばす。だが触れる前に止めた。夏穂の訝しむ視線を感じる。

 ラビは伝える。「階段の方から足音」

 足音は徐々に大きくなっていく。いま、階段を降りてきて、廊下に出てきた。その瞬間、ラビは体を反転させて階段の方へ駆け出した。

 廊下に顔を出したのは体格のいい男。入れ墨の確認はできないが、麝香組の組員なのは間違いないだろう。ボディアーマーこそ着ているが、武器は腰にハンドガンを携帯しているだけだった。

 男はラビたちがいると予想していなかったのか、驚きの表情を見せた。だがそれも一瞬で、男はすぐにハンドガンを構えようとする。

 発砲音が廊下に響く。撃ったのは夏穂だ。正確に放たれたゴム弾が、男の手を弾いた。男は苦痛に顔を歪め、体を無防備に開く羽目になった。すでにラビの目前だ。

 ボディアーマーの上からだろうと関係ない。それを見越した打撃を不忍は鍛錬する。ラビは移動の勢いを殺さずに、倒れ込むように男ので身を沈めた。痛みを主張する脇腹を無視して、体を捻って床に両手をつくと、右脚で男の腹部を強かに打った。

 さっきの夏穂の発砲音に似た音が、廊下に響く。もちろんラビの打撃によるものだ。苦悶に歪む男の顔。けど、まだだ。戦闘不能にしないといけない。

 ラビはお面のなかで歯を食いしばり、さらに体を捻る。敵に背を向ける形になるが、男は反撃できる状態にない。男の側頭部目掛けて、ラビは左足で足刀を放つ。足を振り抜くと同時に、ラビは立ち上がり、男は床に横たわった。

 体全体に嫌な汗が滲むのを感じるなか、ラビは男の様子を確認する。動く気配はない。注意しながら、男の呼吸を確かめる。息はあった。極道相手の場合、不忍が職務のなかで相手の命を奪ってしまっても、罪に問われることはない。だからといって、人の命に変わりはない。命は大事なんだ。

 男のボディアーマーを外し、ポケットの中身をすべて投げ捨てる。それから横向きに寝かせた男の枕にした。今度は男のブーツから靴ひもを外す。

「手伝うよ」夏穂が駆け寄ってきて、男のもう一方のブーツから紐を抜きはじめる。

「ありがと」外した靴ひもで男の手を後ろで縛りながら、夏穂に言う。「ナイスアシスト、夏穂姉。百発百中だね」

「ラビこそ。コニーさん譲りのいい蹴りだった。けど、撃たれたとこ大丈夫なの?」

「んぱっ」ラビは唇を鳴らした。「大丈夫、大丈夫」

「……ならいいけど。無理させたら善治さんに怒られるからさ」

「あたし連れてきてる時点で、帰ったら怒られると思うけど」

「あぁ、それもそっか」

 二人して笑みを零す。ただそれも一瞬、夏穂が男の脚を縛り終えると、二人でさっきの部屋の前まで戻る。

 到着するとすぐに、部屋の中からうめき声が聞こえた。「ぅぅ……」

「声っ」ラビは思わず声を上げた。「さっきはしなかったのに」

 注意を払いながら扉を開けた。すぐに倒れる雪那の姿が目に入った。駆け寄って状態を確認する。

「博士!」

 すごい怪我だ。顔は血まみれで、腫れぼったい。腕に内出血もある。暴行から身を護ったのだろう。

 割れた眼鏡のレンズの向こう、わずかに開いた雪那の目がラビを見た。「ぅぁ……と……ぁ」

「……永遠? 永遠がどうしたの! どこにいるの! ねぇ、博士!」

「ちょっと、ラビ」夏穂がラビの肩に手を置く。「博士の体に障る」

「ごめん」ラビは改めて雪那を見る。今度は声を抑えて聞く。「博士、永遠がどうしたの?」

「移動、すると言ってた……」

 どこに。そう聞こうとしたが、雪那は目を閉じてしまった。これ以上、会話は無理だろう。

「夏穂姉、博士をお願い」

「もちろん。気を付けて、ラビ」

 夏穂に頷きを返し、ラビは部屋をあとにした。

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