12:相似

 物音がして雪那は目を覚ました。自宅のリビング、ソファの上。昨夜、永遠を寝室で寝かせた。物音は寝室のドアの開閉音だったのだろうと、起き抜けの思考が及ぶ。

 体を起こし、テーブルに置いた眼鏡をかける。廊下へ繋がる扉に目を向けると、ちょうど開いて永遠が入ってきた。

「永遠ちゃん、おはよ、う?」

 昨日の服のままの永遠。彼女が抱えていたものに、雪那は目を疑った。確かに雪那の寝室に置いてあったものだが、まさか五歳の少女が手にするとは思わない。

 幼い腕に抱えられるのは、艶消しを施された黒い物体。アサルトライフル。当然、危険はない。雪那が開発した競技サバゲ―用の赤外線銃だ。趣味からはじまったものだが、いまではこれを含めた発明品が、雪那に収入を与えている。

「雪那さん、これ……」

 雪那は慌てて永遠に歩み寄り、赤外線銃を引き取る。「ごめんね、怖かったよね」

「……それ、壊れてます」

「え?」

「引き金を引いてから、赤外線が飛ぶまでの反応速度に乱れがあります。時々反応しないこともあって、連射が機能してません。原因は接点の感度が悪くなってるのと――」

「待って、待って」雪那は驚きを禁じ得なかった。「わかるのかい?……それもそこまで」

 たしかに競技中、相手を確実に撃ったと思っても、相手のセンサーに当たりの判定が出ないことが多々あった。原因は銃の方にあると考えられた。時間があるときに、確認して修理しようと思っていたところだ。

 故障の原因が接点の劣化だということは、おおよそ見当がついていた。だがそれは経験から来るもので、実際に確認するまでは確実とは言えないものだ。それを目の前の五歳児は、起こっている症状から断言した。そもそも雪那の寝室に赤外線を感知できる機器は置いていない。故障をどうやって知ったというのだ。触っただけでわかることではない。

「はい……見たら、気持ち悪くて」

「見たら? 見ただけってこと?」

 頷く永遠。信じられない。ただ、嘘を言っているようには見えない。ますます興味深い子だ。たまたま赤外線銃に詳しかったのだろうか。彼女の家にも、同じようなものがあったのだろうか。教育的にどうなのだろうか。暴力的にならないのだろうか。しっかりと教えれば、逆に多くの知識と手先の器用さを持ち合わせた成長を遂げるのだろうか。

「あの、直してもいいですか?」雪那がひとり思案していると、永遠がアサルトライフルを指さして言う。「道具、ありますか?」


 怪我でもさせたらご両親に申し訳が立たない。そう思い、反対しようとした。しかし、雪那は好奇心に負けた。永遠という少女を推し量るために、彼女に作業部屋を提供した。

 すると驚くことに、彼女は迷うことなく赤外線銃を解体し、故障個所を直してみせた。しかもそれだけではなかった。

 雪那が開発した赤外線銃には、発射の反動を再現する振動装置が備わっている。永遠はその装置の影響で、引き金と赤外線を照射するスイッチとの接点が劣化しやすくなっていると言って、その改良まで加えたのだ。

「まさか振動装置の影響があったなんて」

 永遠が直した赤外線銃を試し撃ちしながら、雪那は感心していた。撃ち心地に変化はない。この改良は今後の製品に生かすことができるだろう。

「すごいね、永遠ちゃん。どこでこんな……ちょ、ちょっと」

 永遠に目を向け、雪那は慌てた。なんと彼女は、作業台の上にハンドガン型の赤外線銃を置いて分解していたのだ。

「それは壊れてないでしょ」

「いえ、壊れてました。赤外線照射装置がちょっとずれてて、上に傾いてます。たぶん使っても影響はないと思うんですけど。気持ち悪くって」

「それも見ただけでわかって言うのかい?」

 なにか悪いことをしたかのように、申し訳なさそうに頷く永遠。

「ちょっと詳しく話してくれないかい」


「悪いね。ご両親を捜さなくちゃいけないのに」

「大丈夫です。警察がすぐに見つけられなかったってことは、簡単にはいかないことなんだろうと思うので。それに修理したり、博士と話したりで気も紛れました」

 仕組みを理解するという、永遠の変わった特技の話からはじまって、小難しい科学の話を絶え間なく、朝食から夕食まで続けた。

 不思議な時間が流れていた。ここまで打ち解け、会話が弾む相手が真鶴以外にいるとは思わなかった。雪那のなかから、永遠を子どもと見る感覚は失せていた。雪那の言葉遣いも大人に対するものと大差なくなっていた。

 永遠の両親の話はしなかった。雪那の科学話を聞く永遠が、笑顔を見せていたからだ。その目の輝きを見て、一時でも好奇心に不安を忘れられるならと、雪那も話題を尽きさせなかった。

「あの、博士」

 食器より学術書のほうが多い食卓を挟んで向き合う永遠が、背筋を伸ばして改まる。深刻な顔ではないが、真剣な雰囲気だ。雪那も居住まいを正す。

「たぶん、時間がかかると思います。お父さんとお母さんを捜すの」

 雪那は小さく頷く。「うん」

「きっと、たくさん迷惑を掛けると思います」

「うん」

「それでも、いいんですか?」

 雪那は声を発することなく、永遠の目を真っすぐと見ながら頷きを返した。すると、永遠が机に額がつきそうなほどに頭を下げた。

「よろしく、お願いします」


 その後の数日で、永遠が社会で生きていくための手続きも順調に進み、彼女が雪那の家で暮らしていく準備も整った。子育ての経験はおろか、女性の生活に疎い雪那にとって、真鶴の妻である志歩しほの手助けが大いに助かった。

 真鶴家には永遠と同い年の娘、まどかがいて、彼女との交流が永遠にとって拠り所の一つになっていた。ことあるごとに彼女のもとを訪ねては、他愛ない会話に花を咲かせる。二人は気の置けない友人となった。

 一転、永遠は学校へ通い出しても友人を作る様子がなかった。元来、大勢の人と関わることを苦手とする性格だったのかもしれないが、どこか一歩引いているようにも見て取れた。当初、気になった雪那が尋ねてみると、雪那や真鶴家との関りがあれば充分だと答えた。雪那も友達は少数だと反論すら、付け加えられる始末だった。

 最低限の社会生活と雪那との研究、円をはじめ真鶴家との交流、そして両親の捜索。これが雪那のもとにやってきてからの、永遠の十二年間だった。


「博士」

 不意に呼ばれて、雪那は目を開けた。ひび割れた眼鏡の先、十七歳の永遠がいる。感慨に耽ったまま、いつの間にか寝てしまったようだ。

「永遠、悪いね。寝てしまったみたいで……実験は――」

 雪那は言葉を止めた。かすかにだが、外が騒がしい。それに断続的な音も聞こえてくる。

「博士」永遠の視線が部屋の入口の方へ向いた。「外でなにか起きてるみたいです。監視の人が無線で話したと思ったら、慌てて外に出ていきました」

 言われて目を向けると、確かに監視の男の姿がない。たった一人の監視の目を外してでも、手が欲しい状況に陥っているということか。

「僕たちは、動かずここにいよう。救助かもしれないし、そうじゃないにしても、逃げようとしたところを見つかったら立場が悪くなる」

 頷きを返してくる永遠。踵を返し、テーブルに戻っていく。

「やっぱり四季澱は全部飛んじゃってますね」

「予想したとおりだね」雪那も永遠の隣に移動する。「じゃあ可能性が高そうな炭素関連から調べていこう」

 今度は雪那も共に作業をしようと、テーブルの上の道具に手を伸ばそうとしたとき、部屋の扉が勢いよく開かれた。

 鬼気迫る麝香霊利が、足早に入ってきた。「移動する、来い!」

「外でなにが?」永遠が臆することなく霊利に問う。半ば挑発的だ。「わたしたちの助けだったりする?」

「うるせえ!」

 永遠のところまできた霊利が、彼女の腕を掴む。強引に連れて行こうとする。永遠は身を引き抵抗を見せる。雪那は二人の間に割って入る。明らかに気が立っている霊利をとりあえずなだめにかかる。

「別にいうことを聞かないわけじゃない。従うから暴力は――」

 雪那の言葉は衝撃によって遮られた。頬に痛みを感じながら、テーブルの上に倒れ込む。道具が派手に散らかる。霊利が払うように振った拳が当たったのだ。

「ちょっと!」永遠の怒気を含んだ声を聴く。「わたしたちには手を出さない約束でしょ! 研究してほしいんでしょ!」

「永遠、大丈夫だから、落ち着いて」雪那はゆっくり、体を起こす。「霊利くん、あなたも。僕たちは反抗しないから。ね。余計なことに時間を使うべきじゃないだろ?」

 まっすぐと霊利の目を見て、ゆっくりと語り掛ける。それから視線をテーブルの上の陰陽師の書物とその翻訳資料へ向ける。

「それに急いでいたとしても、持って行かなければいけないものもあるだろう? ここを出るにも最低限準備が必要だよ」

「じゃあとっととしろ!」

 霊利が永遠の腕を乱暴に離した。そのはずみで永遠が床にうつ伏せに倒れた。床と肌が擦れ甲高い音が短く鳴った。雪那は胸部に鈍い痛みを覚えた。

「永遠っ」

 怒りが込み上がってくるのを感じた。落ち着いてこの場を治めようとしていた自分がいなくなる。なにがそうさせたのか。永遠が暴行に晒されたのは、これが初めてではない。簡単だ、うつ伏せに倒れた永遠の姿があの日の彼女と重なった。自然と体が動く。

「このっ!」

 体の痛みも忘れて、雪那は霊利に掴みかかった。しばらくもみ合いになったが、若い男の力に及ばず、雪那は張り倒された。

「だりぃんだよっ!」

 霊利が足を引くのが見えた。すぐに腹に衝撃を受ける。一度では止まらなかった。執拗に繰り返される蹴りは、腹部だけに限らず至る所に打ち付けてくる。痛みは最初だけだった。意識が次第に薄れていく。

「ちょっと! やめて!」

 永遠の悲痛な声を聞いたのを最後に、雪那の意識は途絶えた。

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