11:十二年前
「人夢永遠です。父は
永遠の意識が戻った翌日。彼女の身元を確認するため、病院で行われた警察の聴き取りに雪那は立ち会った。
女性警察官の質問にはっきりと答えるさまに、永遠の体に異常がないことを改めて実感する。それとともに、五歳にしてはしっかりした子。そういった印象を、このときの雪那は感じていた。
一通り聴取を終えると、女性警察官は永遠の両親へ連絡を取るために、病室を出ていった。
「あの」病室に二人きりになると、永遠が雪那に目を向けてくる。「ありがとうございました」
「僕は当たり前のことをしただけだよ。元気になってよかった」
「有名な科学者なんですね」
そういって永遠が示したのは、ベッドのわきの台に置かれた、『サイエンステップ』という小学生向けの科学雑誌だった。「新進気鋭の科学者特集!」という文字が躍る表紙に、白衣の雪那が試験管を見つめる姿があった。
数日前に発売された最新号だった。永遠が自ら買いに行ったのではないのは明白。真鶴が雪那の紹介の意味も込めて渡したのだろう。
「そんなことないよ」
「でもお父さんとお母さんも、本を出してて、有名です」
「えーっと、その本は僕が出した本じゃないんだよ。僕は載せてもらってるだけで……って、難しいよね。とにかく、僕はそんな有名なんかじゃないよ」
「そう、なんですか……」
しっかりしているとはいえ子どもだ。まだ世の中の仕組みを理解しているわけではない。永遠は不思議そうにしながら、視線を落とした。落ち込んだのだろうか。詳細に話すべきだっただろうかと思い直す。
不安なはずだ。そこに追い打ちをかけるように、否定を与えるのはよくないだろう。
「君の……永遠ちゃんのお父さんとお母さんは、どんな本を出してるの? 僕は研究とか趣味以外のことはあんまりわからなくて。教えてくれるかい?」
「はい、お父さんとお母さんは――」
病室の扉がノックされた。雪那は一度永遠と目を合わせてから、外にいる人物へ入室の許可を出した。
入ってきたのはさっきの女性警察官と真鶴だった。両者とも困惑の色が顔に出ていた。
雪那は真鶴に聞く。「真鶴、どうかしたのか?」
「とても言いづらいんだけどね」真鶴は半ば申し訳なさそうに言った。「永遠ちゃんのご両親、いないみたいなんだ」
永遠が口にした両親の名前、住所、電話番号、なにより彼女の名前自体、存在が確認されなかったという。
それを聞いた永遠の戸惑うさまに、雪那は胸を痛めた。あれだけはっきりと答えていたことが噓だとは思えない。なにか手違いが生じているのだろう。
状況が呑み込めずに黙り込む永遠。雪那は彼女の代わりに、女性警察官へ詰問していた。照会するときにミスがあったのではないか。言い間違い、聞き間違い、入力時の間違い。似た言葉の検証はしたのだろうか。
「雪那。彼女だってちゃんと調べてるよ」真鶴が制止してきた。苦笑気味に女性警察官に言う。「こいつの悪い癖なんだ。気になったこと色々検証したがるの。気にしなくていいよ」
「あ、そうだ」雪那は思い出して口にする。「永遠ちゃんのご両親は本を出してるそうだよ。そこから調べられないかな」
日が傾きはじめて、空の青みが薄らいでいた。自宅の陰からわずかに赤が滲んで見えた。
空から見ると巨大な楕円柱に見える地上三階、地下一階建て一軒家。暮らすだけなら、ここまでにする必要はなかった。ただ研究のための部屋を確保するとなると、相応の広さがいるのだ。無駄に広いとは感じない。
門扉を抜け、六角形のタイルが敷き詰められたアプローチを進む。設計を頼んだ建築家が、雪那の『雪』の字からイメージしてデザインしたと聞いた。ただ色味が薄い黄色なことが、雪那にとって疑問が浮かぶところだった。なぜ白系や青系にしなかったのだろう。
玄関に到達すると、雪那は後ろを振り返った。視線を落とした先には黒髪の少女。雪那は永遠のために扉を開ける。
「さあ、入って」
永遠は入ろうとしなかった。遠慮も見えるが、恐れもあるように思えた。
「あの、やっぱり、雪那さんがここまでする必要なんてないんじゃ……」
改めて大人びた反応だと思う。少々不気味さも感じる。ただそれも雪那の好奇心をくすぐる材料になっていた。
結局、永遠の両親に辿り着くことはできなかった。彼女の処遇について、児童相談所の職員を招いて話し合うなか、雪那は自ら保護を申し出た。
子どもの相手が得意なわけではなかった。自分が発見した責任に加えて、目の前の少女に科学的な興味が生じたのも助けになった。突然現れたこと。両親含め存在が確認できないこと。理解が追い付かず、気になって仕方がない。
保護を提案した瞬間、児相の職員と女性警察官に訝しみの目を向けられた。だが、これまでの実績が信用となった。雪那自体の名が知れ渡ってなくとも、雪那が世に出しているものは広く浸透している。真鶴の口添えも承諾の一助になっただろう。
「子どもが遠慮するものじゃないよ」
科学的興味とどちらが理由付けかはわからないが、大人としての責務もある。五歳の子どもが生きていくには大人の助けが必要だ。
永遠はまだ動こうとしない。警戒がそう簡単に解けるわけない。どうしたものか。やはり子どもへの接し方はわからない。
「永遠ちゃん。ちょっと待ってって」
雪那は永遠を置いて自宅へ入った。早足に廊下を進み、研究室から目的のものを持って永遠の元へ戻った。
「これ、見てごらん」
永遠に差し出して見せたのは、手のひらに収まるサイズの立方体の玩具。八つのより小さな立方体によって構成されている。インフィニティキューブと呼ばれるものだ。
ペンを回したり、脚を揺すったり、意味もなく小物を触ったり、そういった自然と体を動かすことが人間にはある。ちょっとした運動ではあるが、集中を維持したり、気分を落ち着かせるのに役立っている。
インフィニティキューブはこれを目的にした玩具だ。手先で連結したキューブを動かして使う。永遠にやって見せる。
「これはインフィニティキューブっていってね。こうやって弄ってると、落ち着いてくるよ。ほら、試してみて」
「……」永遠は受け取って、少しだけ弄ると手を止めた。「インフィニティって無限ってことですよね」
「そうだよ。よく知ってるね」
「わたしの名前、永遠だから」永遠の声が震える。「永遠も無限って意味なんだって、お父さん言ってたから……」
そこには誰がどう見ても五歳の子どもがいた。両親と離れ、不安に押しつぶされて涙を流す女の子。
「うん、そうだね」雪那は自然と膝をつき、永遠を抱きしめていた。「永遠ちゃんがここにいるんだ。お父さんとお母さんがいないわけない。捜そう、一緒に」
しばらくそうしていた。永遠のすすり泣く声が、寝息に変わるまで。
赤も締め出された空には数えるほどの星。はるか遠くの星だって、見つけられるのだ。この子の両親だって必ず見つかる。
ぎこちなく永遠を抱え上げ、雪那は自宅に入った。この日から、永遠は雪那の家族になった。
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