9:ノート

「麝香霊示れいじ。麝香組の頭だ」

 並んでかける永遠と雪那。テーブルを挟んだ向こう側、老人が永遠に視線を送りなながら名乗った。霊利は老人の後ろのテーブルに不満そうに腰掛けて、永遠を睨んでいる。

 永遠は訝しむ。「急にどうしたんですか」

「君も名乗ったんだ、こちらも名乗るのが筋だろう。ものを頼むわけだしな」

 霊示は言いながらガウンの懐に手を入れ、茶色く古びた一冊の書物を取り出した。表紙には白と黒の勾玉が二つ、円を成した図が描かれている。太極図と呼ばれるものだ。

「かつてこの地には陰陽師がいた。これは陰陽師が書いたものだ」

 書物の中央付近のページが霊示によって開かれ、永遠に差し出される。永遠は受け取って、目を落とす。文章と絵が記されていた。文字は大きく崩されていて、一目での判別は難しい。ひとまず絵から情報を得ることにする。

 絵はいくつかあり、時間経過が伴っていると見受けられる。なにかの手順のようだ。人が描かれている部分もあるが、霊示が言うように、いかにも陰陽師といった服装だ。

 とげとげしい洞窟のような場所。そこには池や湖と思われる水たまりがある。水を汲む人。湯気を上げる鍋。鍋を沸かす焚火を数人で囲み祈る。神事に使われる木製の台、三方さんぽうの上に小さな山をつくる粉末。弱々しく腰の曲がった老人。背筋の伸びた若者。

 永遠は簡単な所感を口にした。「若返り?」

「察しがいいね。与太話だと笑うかな?」

「興味深いと思いますよ。同じくらい、滋養強壮程度っていうオチだとも思いますけど」

「そうかな? 呪術のような超常的な力を使う存在だと思われがちだが、陰陽師は天文学などをはじめとした、様々な分野を超越した専門家というのが本来の姿。つまり彼らは科学者だ」

「たしかに陰陽師が科学者ということには同意できます。妖怪退治とかいろいろ語られる伝説も、実際にそういうことがあったわけじゃなく、物事を科学的に解決する彼らの暗喩メタファーでしょうし」

「君の言うように、部外者はそうして陰陽師を称えたのだろうね。ただ、これは外野が書いたものではない。科学者である彼ら自身が記したものだ。誇張して書くと思うかい? 事実に即した嘘偽りない記録だとどうして考えない」

 霊示は若返りを信じてやまない。ただ、妄信しているわけではなさそうだ。

「判断材料が少ないですから。この本ちゃんと読んでも?」

「構わんよ。なんなら専門家に訳させたものを持って来させようか」

 霊示が自信に満ちている理由はこれか。この書物がそもそも本物か疑ったが、すでに多くを調べ終えているということか。

「だいぶ調べているんですね。現段階だと四季澱との関連性は全く見えてこないですし、科学に興味がないと言っていたのに、この部屋の設備はしっかりしてる」

「いかにも。考古学者からはじまり、多くの学者に協力してもらった。結局、俺が求めるものまで辿り着けた者はいなかったがね」

「四季澱が関わるっていうのも、その過程で知ったわけですか」

「読んでもらえばわかるが、その中に『季節をもたらす素』という言葉が出てくる。それが現代の四季澱のことらしい」

 ドアがノックされた。麝香組の組員の男が、ノートとボールペンを持って入ってきた。

 霊示が目配せすると、男は永遠の前にノートとペンを置いた。それを見届けると、霊示が男に言う。

「翻訳資料も持ってきてくれ」

 二つ返事で踵を返し、部屋をあとにした男。霊示は永遠に目を向けた。

「さあ、君が望んだものが来たよ。今度は俺が貰う番だ。それから、さっきの部下が戻ってきたら、監視としてこの部屋に置かせてもらうからね。俺たちの見えないところで、反抗を目的とした武器でも作られたら困るからね。昔そんな映画を見たんだ」

「そんなことしませんから、安心して待っていてくださいよ」永遠は自分の口角が上がっているのを感じた。「期待したものじゃなかったとしても、約束は破らないでくださいね」

「ふっはは。行くぞ、霊利」

 霊利を見ると未だに不機嫌な顔だった。永遠と目が合うと、すぐに逸らして霊示の車椅子を押して扉の方へ向かいはじめる。二人が到達する前に扉がノックされ、さっきの男が入ってきた。

 霊利が吐き捨てる。「監視しておけ」

 男は永遠に数枚の紙束を渡すと、部屋の入り口付近に戻った。あそこで永遠たちを監視するようだ。

 永遠は資料に目を向ける。表題は『陰陽薬餌録・中』となっている。

「永遠」資料をめくりはじめた永遠に、雪那が小声で話しかけてきた。「本当にをやるつもりなのかい」

 雪那の視線はテーブルの上のノートに向けられている。

 形ある人工物の仕組みを理解できる特技と並ぶ、永遠のもう一つの不思議な特技。ノートはそのために使う。

「彼らが約束を守ると思っているなら、見当違いだよ、永遠」

「わかってますよ、博士」永遠は雪那に目を向ける。「麝香霊示が名乗った時点で、解放する気はないんだなって」

 素性を明かしたということは、それが外に出るような状況にはしないということの表れだ。仮に成果を得られたとしても、解放はない。

「じゃあどうして」

「とりあえず協力すると従順になれば、いきなり命の危機に晒されることはないでしょ? ラビたちが助けに来てれるまで生きていれば、わたしたちの勝ちです」

 永遠は再び紙束に目線を落とす。書物の文章のみを抜き出した資料。分量は書物のページ数に比べたら少ない。数分で目を通せる。

「それに、実際に話を聞いたら、面白そうでしたし」

「確かに四季澱の新たな可能性を発見できるかもしれないが、この状況で手放しに好奇心だけで邁進するなんて、君らしくない」

「そうなんですよ」永遠は資料を読みながら話を進める。「わたしも驚いてます。連れてこられた当初は、恐怖でいっぱいだったんですけど。いまは冷静というか、半分他人事みたいで、解離性障害だと思います」

「大丈夫なのかい?」

「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですよ」永遠は資料を雪那に差し出す。「博士もどうぞ」

「あ、ああ……」戸惑いながら資料を受け取る雪那。「だが永遠。まだの話が解決してない。使う必要はないだろ。兎束家の救助を待つのが目的なら、普通に研究すればいい。ノートを使うのは差し迫った状況のときだけ、科学の楽しみを奪う使い方はしない。そういう約束だろ?」

「わたしは約束を守りますよ」

「え……?」

 たしかに霊示に啖呵を切ったときは、ノートを使う気でいた。しかし霊示が約束を守る気がないとわかったいま、早急に答えを知る必要はなくなった。

 この興味深い研究対象を、簡単に終わらせてしまうのはもったいない。

「さあ、博士。研究をはじめましょう」

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