2:人夢永遠と兎束ラビ

『四季澱繊維が空気中の四季澱と反応することで微弱な電気を発します。その電気によって、一緒に織り込まれている人工筋肉を作用させることで、人の動きをサポート――』

 デモンストレーションを終えた永遠は、控え室として用意された部屋に戻った。扉を閉めると、講堂のスピーカーによって増幅された雪那の声は、くぐもって判然としなくなった。

 壁際のハンガーラックにかけられた白衣を羽織る。髪も解きながら、恩師がしているであろう説明に考えを巡らせる。それは今後の研究課題でもある。

 雪那が四季澱が常に空気中に存在しているのがキョー都だけだと、わざわざ説明したのにはちゃんと理由がある。四季澱繊維のアンダーウェアはキョー都を離れれば、ただの衣服に成り下がる。空気中の四季澱と反応しているのだから当然だ。

 普段はトーキョーで活動をしている永遠たちだが、研究の詰めの作業のためにキョー都に長期滞在し、今日の発表会を迎えたのもそのためだ。

 繊維以外の形状、反応を起こすための新たな工夫や技法、このあたりがクリアできなければ、普及はしないだろう。

 せっかくの科学の恩恵だ。より多くの人の役に立たなければ意味がない。

 唐突に部屋の扉が勢いよく開けられた。

「永遠、お疲れさまっ!」

 ブロンドの長いポニーテールと、それを結わう大きなリボンを揺らしながら、兎束とつかラビが部屋に入ってきた。永遠に近づいて来るや、抱きついてくる。

「ありがとう、ラビ」永遠は青い瞳を見返す。「でも、ノックくらいして」

「いまさら恥ずかしがることなんてないじゃん。お風呂だって一緒に入ってるのに」

「ここはラビの家じゃないでしょ」

 雪那がラビの父である兎束善治ぜんじと交流があり、キョー都滞在中の宿泊先として兎束家にお世話になっている。この期間、ほとんどの時間を彼女と過ごした。

「キョー都はあたしの庭だからね」

「わおっ」永遠はわざとらしく、肩をすくめてみせた。「さすがは不忍しのばずの大家次期当主様だ」

 警察や消防とは別に市民を護る、キョー都の特殊な職業。不忍。

 その歴史は古く、家業として代々不忍を生業なりわいとしている一族もあるほどだ。ラビもその一人で、兎束家の次期当主として、キョー都で広く名の知れた女子高生不忍だった。

 永遠から離れて胸を張るラビ。永遠のものと似た白いアンダーウェアを身につけている。四季澱繊維が使われているものだが、ラビが着ているものは不忍襦袢じゅばんと名付けられた不忍向けのものだ。

 不忍の身を護る仕事着を作れないか。善治が雪那に相談したことが、開発のはじまりだった。一般以上の身体機能の強力なサポートに加え、防刃防弾の性能を備えている。

 キョー都に限られて機能する現段階の四季澱繊維だが、大抵の場合においてキョー都で活動する不忍の使用に関していえば、それは大きなデメリットにはならない。現状では、開発に協力した兎束家の関係者しか所有していないが、善治は家での独占を望んでいない。キョー都中の不忍に広まるのに時間はかからないだろう。

 開いたままの扉からは、雪那の声が続いていた。

『――制作にあたって、不忍大家の兎束家の皆さん、老舗呉服店の「四季織々しきおりおり」様、スポーツメーカーのヒノ様にご協力いただきました。この場を借りて今一度、御礼申し上げます。アンダーウェアの説明はこのあたりにして、続いて四季澱繊維本体、四季澱の固体化そのものに関する説明をさせてください』

 発表会はまだ序盤。これからより専門的な話がはじまっていくところだ。それに雪那はこのあとに取材も控えている。先に帰るよう言付かっている。

「じゃあ、帰ろうか、ラビ」

「うん……んー」

 頷いたラビが次の瞬間に思案顔を見せた。それから結んだ口を、ぱっと鳴らして開いた。

「どうせならランニングで帰る? ちょうどそういう格好だし」

「もう白衣着ちゃってる。また明日の朝ね」

 研究ばかりで運動不足にならないよう、普段からランニングをしている。キョー都に来てからも、欠かすことはなかった。ラビも毎回付き合ってくれている。しかし不忍の彼女にとって、科学少女のランニング程度では物足りないのだろう。毎回のランニングの時も、途中休憩する永遠をよそに動き回っているくらいだ。

「そっか、残念」

 ラビは気にした様子もなく、扉の方へ向かいはじめた。永遠も置いてあるリュックを背負って続く。

「じゃあ、帰ったら研究?」廊下に出るとラビが不忍襦袢を示して言う。「もっとすごいの作ってくれるんでしょ?」

「もちろん研究はこのまま続けるけど。ほかにもやることあるし」

「トーキョーのマルちゃんの病気の研究だよね。あたしは全然待つから大丈夫だよ。命は大切だから」

 溌溂とした声の調子だが、ラビの声色はやわらかい憂いを帯びていた。命は大切。ラビが毎朝欠かさずに、母親の仏壇に手を合わせている姿を見てきた。大切な人を亡くす痛みを知るからこそ、周りの人が自分と同じ気持ちにならないようにと願う。それがラビの原動力だという。

 ならばなおさらだろうと永遠は思っている。あしらうような言い方をしてしまったが、それが本心だ。命を守るという意味では、ラビ自身を守る不忍襦袢の機能向上を疎かにはできない。永遠にとってラビは親友のひとりに他ならない。失いたいとは思わない。

「意外と待たせないかも」永遠は大げさに口角を上げてみせた。「わたし天才科学者だから」

 一瞬呆けた顔をしてからラビがおどけて返してくれる。「さっすが~」

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