その32「失墜と失望」




 オーカイン=ヨーゾーの再婚から、半年ほどが経った。


 その日もヨーイチは、ミカガミ邸を訪れていた。


 ウヅキと並んで、縁側に座っていた。



ウヅキ

「ヨーイチ」


ヨーイチ

「…………」



 ウヅキの言葉に、ヨーイチは答えなかった。


 ぼんやりと、どこか遠くを見ていた。


 ウヅキは再度、ヨーイチに声をかけた。



ウヅキ

「ヨーイチ。聞いているのですか?」


ヨーイチ

「ん……? なんだっけ?」


ウヅキ

「ヨーイチ……」


ウヅキ

「ぼーっとしすぎなのではないですか?」


ヨーイチ

「ごめん……」


ヨーイチ

「最近なんだか……頭がぼんやりして……」


ウヅキ

「少し痩せたのではないですか?」


ウヅキ

「ちゃんとご飯は食べているのですか?」


ヨーイチ

「ああ。食べてるよ」


ウヅキ

「好き嫌いはしていませんか?」


ヨーイチ

「だいじょうぶだって」


ウヅキ

「本当ですか?」


ウヅキ

「まさか、何かの病気なのでは……」


ヨーイチ

「お医者さんには、健康そのものだって言われたよ」



 御三家の長男ともなれば、医療面でのサービスも、手厚く受けられる。


 ヨーイチにも、お抱えの医師がついていた。


 名医だと言われている。


 ヨーイチの健康状態には、何の心配も無いと言えた。


 その医師に、邪悪な企みが無かったのなら。


 ヨーイチ自身も、病気を疑った時期は有った。


 だが、名医と言われている人に断言されれば、受け入れるしか無かった。



ウヅキ

「そうですか……」


ウヅキ

「もしかして、新しい家族と、上手くいっていないのですか?」


ヨーイチ

「優しいよ。母上は」



 ヨーイチはそう言った。


 実際、出会ったばかりの頃は、マツコたちはヨーイチに優しかった。


 まだ子供だとはいえ、ヨーイチはそれなりに利発だった。


 そんなヨーイチを敵に回すことを、マツコは良しとはしなかった。


 だが、ヨーイチが壊れるにつれて、マツコの態度は、徐々に崩れていった。


 この頃はまだ、マツコの仮面が剥がれてはいない頃だった。


 ヨーイチはまだ、壊れきってはいない。


 マツコには、そう判断されていた。



ウヅキ

「それなら良いのですが……」




 ……。




 ヨーイチはどんどんと、愚鈍に弱くなっていった。


 ウヅキはその様を、何も出来ずに見ていた。


 やがてウヅキは、ヨーイチと同じ中学校に進学した。


 小学2年の頃には、そうすると決めていた。


 ウヅキとヨーイチは、別のクラスになった。



ヨーイチ

「ウヅキ……ごめん……」



 覇気の無い声が、ウヅキの耳に触れた。


 ウヅキのクラスに、ヨーイチが訪ねてきたのだった。



ヨーイチ

「教科書忘れたから……貸して欲しい」



 ヨーイチは、申し訳なさそうにそう言った。



ウヅキ

「またですか?」



 ウヅキは眉をひそめた。


 ヨーイチが訪ねてくるのは、これが1度や2度では無い。


 他の男子と比べ、ヨーイチが忘れ物をする回数は、明らかに多かった。



ヨーイチ

「……ごめん」


ウヅキ

「どうぞ。次からは気をつけてくださいね」


ヨーイチ

「ごめん。ありがとう」



 教科書を受け取ると、ヨーイチは去った。


 ヨーイチの姿が消えると、クラスメイトの1人が、ウヅキに声をかけてきた。



クラスメイトA

「災難だね。ミカガミさん」


ウヅキ

「……? 何がですか?」


クラスメイトA

「あんなのが婚約者なんてさ」


クラスメイトB

「政略結婚は仕方ないって言っても、さすがにアレはねえ」


クラスメイトC

「ヒョロガリで、頭も悪いんでしょ? 無いわー」


クラスメイトB

「ま、お金だけには困らないんだろうけどさ」


ウヅキ

「…………」



 この日ウヅキは、ヨーイチが蔑まれていることに気付いた。




 ……。




 いつものミカガミ邸の縁側。



ウヅキ

「ヨーイチ」



 ウヅキは真剣な顔で、ヨーイチに話しかけた。



ヨーイチ

「……?」


ウヅキ

「どうしてマジメにやらないのですか」


ヨーイチ

「何を?」


ウヅキ

「万事をです」


ウヅキ

「物事に対して、真剣に取り組んでください」


ヨーイチ

「やってるよ」


ヨーイチ

「サボってるわけじゃない」


ウヅキ

「マジメな人間が、こう何度も教科書を忘れるものですか?」


ヨーイチ

「俺はバカだから……」


ウヅキ

「昔のあなたは、もっと才気に溢れていたではないですか」


ヨーイチ

「そうかな?」


ウヅキ

「そうです」


ヨーイチ

「昔は昔だよ」


ヨーイチ

「今の俺には……これが精一杯だ」


ウヅキ

「そのように、腑抜けられていては困ります」


ウヅキ

「あなたはミト藩の跡取りです」


ウヅキ

「あなたが道を誤れば、藩の未来にまで、影が差すことになるのですよ」


ヨーイチ

「説教は止めてくれよ」


ヨーイチ

「最近、母上もショージも、俺に冷たいんだ」


ヨーイチ

「俺がバカだからだ。無能だからだ」


ヨーイチ

「けど、いきなり頭良くなんてなれねーよ」


ヨーイチ

「バカだからって、お前まで冷たくしないでくれよ」


ヨーイチ

「婚約者だろ? 俺たち」



 ヨーイチは、縋るような目を、ウヅキに向けた。


 軟弱で、意志薄弱で、愚鈍。


 このときのヨーイチは、そういうモノになっていた。


 かつての溌剌とした少年は、どこにも居なかった。


 壊れて消えてしまった。


 ヨーイチは、別の人間になってしまった。


 そんなヨーイチを見て、ウヅキは泣きたくなった。



ウヅキ

「あなたは負けるのが……何より嫌いだったのでは無いのですか……?」


ヨーイチ

「俺……」


ヨーイチ

「そんなこと、言ったかな?」


ウヅキ

「ヨーイチ……」


ウヅキ

(あの輝いていた日々は……約束は……恋は……)


ウヅキ

(幼き心が見せた、ただの幻だったのでしょうか……?)


ウヅキ

(思い出の日のあなたは、どこに居るのですか? ヨーイチ)



 そして2人は、3年生になった。


 2人はその日も、ミカガミ邸の縁側に居た。



ヨーイチ

「なあ、ウヅキ」


ウヅキ

「……なんですか?」


ヨーイチ

「俺も、冒険者学校に行くよ」



 ウヅキは、冒険者学校に行くことが決まっていた。


 彼女が、ミカガミの娘だからだ。


 強くなり、ユニークモンスターに、立ち向かわなくてはならなかった。



ウヅキ

「ヨーイチに戦いは、向いていないと思いますが」


ウヅキ

「ダンジョン時代とは違い、最近は、戦えない藩主も珍しくないと聞きます」


ウヅキ

「婚約者だからといって、無理に同じ学校に通わなくても、良いのですよ?」


ヨーイチ

「べつに、そういうんじゃねーよ。ただ……」


ヨーイチ

「強くなりたいんだ」


ウヅキ

「…………………………………………」



 そのとき、ウヅキは自分の周囲の時間が、止まったような気がした。


 ヨーイチは、愚鈍で軟弱で、意志薄弱だ。


 そんな彼が、いまさら強さを求めるだなんて、どういうことなのだろうか。


 ウヅキは震える声で、ヨーイチに問いかけた。



ウヅキ

「……どうしてですか?」


ヨーイチ

「……どうしてだったかな」


ヨーイチ

「よく……思いだせない」


ヨーイチ

「けど、強くならなきゃいけない」


ヨーイチ

「どうしてか……そんな気がするんだ」




『俺がユニークモンスターってのを倒してやるよ』


『婚約者の俺が、お前を守ってやる』


『そうしたら、お前が戦う必要は無いだろ?』




 ウヅキの胸の中に、あの日の言葉が蘇った。



ウヅキ

「……そうですか」


ウヅキ

「なれると良いですね」



 ウヅキは涙ぐんでいた。


 それを悟られないように、青空を見た。



ヨーイチ

「ああ」




 ……。




 2人は、冒険者学校に入学した。


 入学式の日。


 2人は校舎の正門を、共にくぐった。


 桜の花びらが、2人を出迎えた。



ウヅキ

「心機一転、頑張りましょう」


ヨーイチ

「ウヅキ」


ヨーイチ

「俺、強くなるよ」


ウヅキ

「はい」



 2人の高校生活が始まった。


 そして……。



ヨーイチ

「どうして……」


ヨーイチ

「どうして俺だけレベルが上がらないんだ……?」



 冒険者学校の、ダンジョンドーム。


 初めてのダンジョン探索を、終えた後。


 ヨーイチは俯き、ぶつぶつと呟いていた。



アキラ

(オーカイン……)



 その呟きは、仲間たちの耳にも届いていた。


 仲間のレベルは上がったのに、ヨーイチのレベルだけが、上がらなかった。


 その事実が、ヨーイチを打ちのめしていた。


 ダンジョンで頑張れば、強くなれると思っていた。


 それが否定された。



ヨーイチ

「ちょっと……トイレ行ってくる」


アキラ

「ああ……」



 ヨーイチはふらふらと、仲間たちの前から去った。


 アキラは立ち去るヨーイチに、同情の目を向けていた。


 ヨーイチの姿が見えなくなると、ヒカリが口を開いた。



ヒカリ

「ダメだね。アレは」



 ヒカリは辛辣に、そう言った。



アキラ

「ヒカリ。パーティの仲間に、そんなこと言うなよ」


ヒカリ

「仲間ねぇ」


ヒカリ

「ああいうのは、寄生って言うんだと思うけど?」


アキラ

「まだ始まったばかりだろ?」


アキラ

「今はダメでも、これから強くなるかもしれない」


ヒカリ

「ダメだっていうのは、兄さんも認めるんだね」


アキラ

「お前なあ……」


チナツ

「どうして彼だけ、レベルが上がらないのかな?」



 チナツが疑問を呈した。



チナツ

「レベルが上がらない人が居るなんて、聞いたことが無いけど……」


ヒカリ

「そういうキャラだからじゃないの?」


ウヅキ

「キャラ……? どういうことですか?」


ヒカリ

「んーと……つまり……」


ヒカリ

「運命みたいなものが、あいつの器を決めてるってことさ」


ウヅキ

「漠然としすぎているように思えますが」


ヒカリ

「じゃあもう、特殊体質だからで良いよ」



 ヒカリはなげやりに言った。


 オーカインのことなど、心底どうでも良い。


 そう思っているらしかった。



チナツ

「もしそんな体質が有るなら、ちょっとした大発見だね」


チナツ

「研究したら、学会で賞が取れるかもしれない」


ウヅキ

「ふざけないでください」



 ウヅキは眉間に皺をよせ、チナツを睨みつけた。



チナツ

「……ごめん」


チナツ

「けど、今のままってわけにもいかないんじゃないかな?」


チナツ

「このままレベルが上がらなければ、彼はボクたちについてこられなくなる」


ウヅキ

「それは……」




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