その28「ベルフェゴールダイブ」
ヨーイチ
「てめぇ……!」
ノリヒロ
「そう慌てるな」
ノリヒロは、チナツから手をはなした。
ノリヒロ
「お前が俺に勝てば、無傷で返してやろう」
ノリヒロ
「……勝てばな」
ヨーイチ
「……ルールはどうする? タイマンか?」
ノリヒロ
「別にそれでも構わんが……」
ノリヒロ
「せっかくダンジョンに居るんだ。別のルールで競うのも一興だろう?」
ヨーイチ
「どうするんだ?」
ノリヒロ
「レースはどうだ?」
ノリヒロ
「ここから出発して、9層にある、ボス部屋への転移陣を目指す」
ノリヒロ
「先に転移陣の部屋に、辿り着いた方が勝ちだ」
ヨーイチ
「1対1か?」
ノリヒロ
「そうだな」
ヨーイチ
「猫は?」
ノリヒロ
「禁止に決まっているだろう。バカか」
カゲトラ
「みゃごふー!」
主人をバカと言われたことに、腹が立ったのか。
それとも、勝負に参加できないことが不満なのか。
カゲトラは怒り顔で、抗議の声を上げた。
ヨーイチ
「落ち着けカゲトラ」
カゲトラ
「みゃお……」
ヨーイチはカゲトラをなだめると、ノリヒロに視線を戻した。
ヨーイチ
「受けてやっても良いが、1つ条件を追加させてもらおうか」
ノリヒロ
「何だ?」
ヨーイチ
「俺が勝ったら、ミナクニに詫びろ」
ノリヒロ
「良いだろう」
ヨーイチ
「いつ始めるんだ?」
ノリヒロ
「そうだな……」
ノリヒロはスケルトングリーブを、手下のタロベエに投げ渡した。
そして腕輪から、魔石を取り出した。
ノリヒロ
「この魔石を投げて、それが地面についたら、レース開始だ」
ヨーイチ
「分かった」
ノリヒロ
「その前に……ヒロタケ。邪魔な女を連れて行け」
ヒロタケ
「はい」
タロベエ
「…………」
ジロベエ
「…………」
チナツ
「…………」
ヒロタケは、チナツを抱えたまま、駆け出した。
仲間のタロベエとジロベエも、それに続いた。
ヨーイチ
「カゲトラ。連中を見張れ」
カゲトラ
「みゃっ!」
カゲトラは、ヒロタケたちを追っていった。
後にはヨーイチと、ノリヒロが残された。
ノリヒロ
「始めるぞ」
ヨーイチ
「ああ」
ノリヒロは、手中の魔石を上に放った。
すぐに魔石は重力に負け、地面へと落ちていった。
石が、地面についた。
その瞬間、2人は走り出した。
ノリヒロ
「…………」
ノリヒロは、腕輪に向かって念じた。
彼の右手に、長剣が出現した。
青い刀身の剣だった。
ヨーイチ
(魔剣か)
剣の色を見て、ヨーイチはそう判断した。
ノリヒロ
「フン」
ノリヒロは、ヨーイチの足元に剣を向けた。
そして、唱えた。
ノリヒロ
「滑り石」
ヨーイチの前方に、人の頭くらいの大きさの、氷が出現した。
ヨーイチ
「くっ!」
ヨーイチのつまさきが、氷にぶつかった。
ヨーイチは躓いて、転んだ。
すぐに立ち上がる。
その間に、ノリヒロは距離を離していた。
ヨーイチ
「妨害アリかよ」
ノリヒロ
「ナシだと思ったのか?」
ヨーイチ
「どっちでも良い」
ノリヒロ
「果たしてこれを見ても、そう言っていられるかな?」
ノリヒロは、2人の中間の地面に、青い剣を向けた。
そして、呪文を唱えた。
ノリヒロ
「透け岩」
2人の間に、氷の壁が出現した。
壁は通路を、ぴったりと塞いでしまった。
ヨーイチの進路が、遮られてしまった。
ノリヒロ
「お前にこの壁が、破壊出来るか?」
ヨーイチ
「…………」
ノリヒロ
「あまり遅れるようなら、女がどうなっても知らんぞ!」
ノリヒロは、ヨーイチに背を向け、駆け去っていった。
ヨーイチ
「…………」
ヨーイチは、通路に1人残された。
ヨーイチ
「マツマエ。俺はな……」
ヨーイチ
「負けるってことが、何より嫌いなんだよ」
ヨーイチは、腕輪に向かって念じた。
すると空中に、立体マップが出現した。
いま居る8層と、下にある9層のマップが、ヨーイチの目に映った。
ヨーイチはさらに、腕輪に命令を下した。
ヨーイチ
(ファイターズグローブ、ハイダッシュブーツ)
ヨーイチは、両腕にグローブを、脚にはブーツを装備した。
そして、レヴィに声をかけた。
ヨーイチ
「レヴィ」
レヴィ
「あるじ様?」
ヨーイチ
「面白いモノを見せてやる。ブーツに力をよこせ」
レヴィ
「仰せのままに」
ヨーイチの体から溢れるオーラが、その力強さを増した。
オーラの大部分は、ブーツに流れ込んでいった。
やがて、ハイダッシュブーツに力が満ちた。
ヨーイチ
「良し……」
レヴィ
「いったい何を?」
ヨーイチ
「ベルフェゴールダイブ」
ヨーイチはそう言うと、強く地面を蹴った。
ヨーイチの体が、高く舞い上がった。
宙返りだ。
だがそれは、ただの宙返りでは終わらなかった。
ヨーイチの体が、地面の方を向いた。
そのとき……。
ヨーイチ
(ハイダッシュ)
ヨーイチは、ブーツに向かって念じた。
ブーツから解き放たれた力が、ヨーイチを加速させた。
ハイダッシュブーツの固有スキル、空中ハイダッシュだ。
ヨーイチは、凄まじい速度で地面へと向かった。
そして、地面に衝突しそうになったその瞬間……。
ヨーイチ
(飛翔拳)
300分の30秒間、ヨーイチは世界をすり抜けた。
……。
9層。
ヒロタケ
「…………」
転移陣の間の外に、ヒロタケたちの姿が有った。
チナツも目覚めたらしく、3人から離れて立っていた。
チナツのそばには、カゲトラの姿も有った。
ヨーイチに命じられ、チナツを見守っていたのだった。
チナツ
「っ……!」
チナツは息を呑んだ。
ノリヒロ
「…………」
ノリヒロが、駆けてくるのが見えたからだ。
レースをしているということは、ヒロタケから聞かされていた。
ノリヒロが、先に来た。
それはつまり、ヨーイチが敗れたということに他ならない。
タロベエ
「若様!」
ジロベエ
「若様の勝ちだ!」
部下たちが、喜びの表情を浮かべながら、ノリヒロに駆け寄った。
それとは対照的に、チナツの表情は曇っていた。
チナツ
「そんな……」
ヒロタケ
「若様。よくぞ」
ノリヒロ
「別に……」
ノリヒロ
「どうということは無かった」
ヨーイチ
「そうかよ」
ヨーイチの声が、聞こえた。
ノリヒロ
「っ!?」
声は、チナツたちの背後から聞こえてきた。
そちらには、転移陣の間が有る。
全員が、その入り口へと向き直った。
転移陣の間から、ヨーイチの姿が現れた。
この勝負は、先に転移陣の間に入った方の勝ちだ。
ノリヒロはまだ、転移陣の間には入っていない。
ヨーイチの勝利だった。
ヨーイチ
「遅かったな。マツマエ」
ヨーイチ
「この勝負、俺の勝ちだ」
ノリヒロ
「まさか……」
ヒロタケ
「馬鹿な……!?」
ヒロタケは、驚きを隠すことは出来なかった。
敬愛する主人の敗北。
彼らにとって、ありえない事が起きていた。
ヒロタケ
「俺たちは……ずっと部屋の前に居たのに……!?」
ノリヒロ
「……何をした? オーカイン」
ヨーイチ
「何って?」
ノリヒロ
「どんなペテンを使ったと聞いている!」
ヨーイチ
「ダンジョンの床の半分まで通過出来れば、ダンジョン自体の転移機能で、下の階に送られる」
ヨーイチ
「これがベルフェゴールダイブ」
ヨーイチ
「つまり、床抜けバグだ」
チナツ
「っ……!」
チナツ
「まさか……7つの大罪……!?」
ファイターズグローブの飛翔拳には、透過能力が有る。
1瞬だけ、あらゆる物を通り抜けることが出来る。
その力は、壁や床に対しても発揮される。
とはいえ、それだけで通過出来るほど、建物の壁というのは、薄っぺらくは無い。
普通にやると、『壁の中に出現する』ことになってしまう。
すると、何が起きるか。
普通の建物であれば、冒険者のバリアによって、建物の方が破壊される。
だがダンジョンは、それを防ぐ機能を持っている。
壁の中に、冒険者が現れようとしたとき、ダンジョンは冒険者を、『強制転移』させる。
とはいえ、普通に壁にめり込んでも、元の位置に戻されるだけだ。
ショートカットには使えない。
そこで、ハイダッシュブーツが必要となる。
空中ダッシュで床に突進し、その超スピードを、飛翔拳にのせる。
そうすることで、『床の半分以上』を通過する。
すると転移先が、元の位置ではなく、下の階層に変わる。
これがベルフェゴールダイブというバグ技の、正体だった。
ノリヒロ
「何だそれは……!?」
ヨーイチ
「べつに、何でも良いだろう?」
ノリヒロ
「良いわけが有るか! この卑怯者が!」
ヨーイチ
「おいおいおい。止めてくれよ」
ヨーイチ
「この勝負は、先に転移陣の間にたどり着いた方の勝ち」
ヨーイチ
「他のルールなんてものは、無かった」
ヨーイチ
「そして、先にゴールをしたのは俺だ」
ヨーイチ
「どんな手を使おうが、難癖をつけられるいわれはねーよ」
ノリヒロ
「常識というものが有る!」
ノリヒロ
「名家の子であれば、卑怯な手を用いないのは、当然のことだ!」
ノリヒロ
「いちいちルールに定めるようなことでは無い!」
ヨーイチ
「言ってくれるじゃねえか。人さらい野郎が」
ヨーイチ
「素直に負けを認められない奴の方が、卑怯者だと思うがな?」
ノリヒロ
「…………!」
ヨーイチ
「そもそも、俺のどこが卑怯だって?」
ヨーイチ
「俺が具体的に何をしたか、言えるのかよ?」
ノリヒロ
「だが……正道の技では……こんなことには……!」
ヨーイチ
「言いたいことはそれだけか?」
ヨーイチ
「もう無いってんなら、行かせてもらうぜ」
ヨーイチ
「さあ、装備を返してもらおうか」
ヨーイチは、タロベエに視線を向けた。
彼の手中には、チナツのスケルトングリーブが有る。
タロベエ
「若様……」
素直に渡しても良いものか。
タロベエはノリヒロに判断をあおごうとした。
そのとき……。
ノリヒロ
「まだだ!」
ノリヒロは、気炎を吐いた。
ノリヒロ
「こんなこと、認められるか!」
ノリヒロ
「正々堂々、俺と立ち会え! オーカイン!」
ヨーイチ
「おいおい、俺はもう、お前に勝ってるんだぜ?」
ヨーイチ
「次も俺が勝ったら、どうしてくれるんだよ。お前は」
ノリヒロ
「そのときは、土下座でも何でもしてやる!」
ヨーイチ
「何でも、か」
ヨーイチ
「良いぜ。勝負してやるよ」
ヨーイチ
「ただし、今度は難癖は、ナシにしてくれよ」
ノリヒロ
「良いだろう」
ヨーイチ
「良し」
ヨーイチは、腕輪に向かって念じた。
彼の手中に、フレイムブロンズスピアが出現した。
ノリヒロ
「ブロンズスピア……?」
ノリヒロ
「舐めているのか? 貴様」
ブロンズスピアは、量販店に売っている安物の武器だ。
御曹司の決闘にふさわしいとは、とても思えなかった。
侮辱されているのか。
ノリヒロはそう思い、ヨーイチを睨みつけた。
ヨーイチ
「べつに」
ヨーイチ
「この辺に出るような敵には、これで十分なんでな」
……たしかに。
ヨーイチはノリヒロを、舐めきっていた。
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