見えない目的

7時間目、私の斜め前にいる女子がこっちを見ている気がする。地味に視野に入っていて気になる。

こういう時だいたい自分の自意識過剰で終わるのだが。どうしても見られている気がする。目が合ったらゆっくり逸らせばいいかと思い顔を上げた。やっぱり見られていた。自意識過剰ではなかった。目が死んでいた。彼女はクラスの中じゃ明るい子のはずなのに。

名前は…なんだっけ。

私は1年の時よりクラスの人たちに執着していない。というか執着しないようにしていた。この人たちと仲良くしなくても私には友達がいる。そう思ってまともに接してこなかった。そのせいで困るのは名前が分からない。

私は数学の授業を諦めて名前を思い出すことに専念した。なんでこんなに名前が出てこないのか不思議でたまらない。よっぽど周りに関心がないのだろう。「木」が入っていたのは合っていると思う。すると、彼女の隣に座っている女子が言った。

「柏木、ここなんて先生言ってた?」

柏木だ、そうだ。柏木サラ。苗字が分かればフルネームで思い出した。その柏木はさっき私を見ていた目と全然違っていた。光も持っていたし、色が着いているようにすら見えた。静かに隣の女子と笑って前を向いていた。

なぜ柏木は私を見ていたのだろうか。私がかさぶたをいじってばかりだからだろうか。私と柏木に何も接点はない。喋ったこともない。どうして。

窓から外を見ると飛行機が高いところを飛んでいて、雲の中に消えていった。今、あの飛行機に乗っている人たちはどんな景色が見えているのか。私は飛行機を見るとそんなことしか考えない。私は今「学校」という日常を送っているけど、飛行機に乗っている人たちはどちらかと言えば非日常を過ごしているわけで。その「日常」と「非日常」が目の前に並んでいる状況が不思議な感じがして好きだ。こんなことを言っても分かってくれる人なんていない。

放課後までが待ち遠しい。時計を見て「まだ時間がある」とガッカリしてしまうのを避けるために、必死に手を動かす。東がいないともう生きていけない気がする。東が私の存在意義だ。

  私は自転車で家まで帰っていた。神社の参道を自転車で通る。寒い。鼻がツンとする。膝から下が寒くてしょうがない。今は夏のはずなのに。そして何故か私は止まろうとしない。参道を行ってしまうと大きな交差点に出る。道路を挟んだ反対に同じ制服の女子がいた。よく見ると柏木だった。死んだ目で私を見ている。

私は思わず「逃げなくちゃ」と思った。気がつくと柏木はいなかった。信号が青になる。遠くから何か聞こえる。何の音だっけ。とても聞いたことのあるメロディ。

  目を開けると教室に私は座っていてチャイムが鳴っていた。夢を見ていた。良かった、現実は夏だ。セミがうるさいし、青空が広くある。柏木も友達と喋っている。

東と一緒に帰る約束をすっぽかしたわけではなかった。安心した。担任がなかなか来ない。帰りのHRの途中で東が廊下に来た。8組はHR終わったらしい。私の担任はまだ長々と喋っている。東は廊下を行き交う人たちを観察しているようだった。やっと号令がかかった。

午後4時50分。私は自転車を押して東は歩く。

「そう、柳から勧められた漫画読んだけどあれやばいよね」

「そう……だね」

「だって、好きな子を奪うためならなんでもするじゃない。その好きな子が好きな人を彼氏にしちゃうし、好きな子が嫌いな人は静かに殺してるし……私読んでてただただ怖かった」

「私ああいうの好きなんだよね」

「知ってるけどさー」

「まあ面白いからさ、最後まで読んでみてよ」

彼女からの返事がない。沈黙が走る。

「歪んでるよね」

ぼそっと言い放った東の横顔はなんとも言えないカゲロウのような儚さだった。えらが張っていて首が細くすらっとしていた。

「作者の書き方かなあー表現の仕方が綺麗だと思うの」

と私の興味のない作者の書き方を褒めだした。適当に相槌を打つ。

「ねえ柏木さんって知ってる?」

「え?柏木……何組?」

「私と同じクラス、柏木サラ!」

「なんか知ってるような気もするけどなんで?」

「いや今日の7時間目すごい私のことを見てて、自意識過剰かもしれないって思ったんだけど目があって」

「ふーん……きっと柳に興味があったんだよ。分かんないけど」

「柏木の目が死んでて怖かった」

「なんでだろうね。警戒されてるのかな。なにも恐れなくていいのにね」

そう言って東は微笑んだ。私はふと「この顔、私だけに見せてくれればいいのに」と思った。他人に簡単に笑顔を振りまかないで欲しい。あなたは可愛いってことを本当に自覚して欲しい。そして私がいることをもっと理解して欲しい。あなたにとって私がどういう存在なのか多分あなたは知らない。そんな思いは東にはまだ届かなそうなところに停滞していた。

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