第2話 園の中には塔がある

 流れ落ちる滝を表現したアトラクションのメンテナンスを行った。作業は施設のコンピューターが手伝ってくれるので、さほど苦痛ではない。故障箇所があればセンサーが知らせてくれる。そのセンサーが故障している可能性もある。そのため、すべてのセンサーには、もう一つ予備のセンサーが搭載されている。


 こういう構造が火花はあまり好きではなかった。理解できないからだ。なぜ、もう一つの予備のセンサーを搭載した段階で、その処理が終わってしまうのか不思議でならない。それならば、さらにもう一つセンサーを搭載するべきではないか。そして、加えてもう一つセンサーを搭載するべきだろう。


 この構造に終わりはない。したがって、線状のシステムであると理解できる。真に優れたシステムは、円状になっているべきではないか。世界では未だに線状のシステムが主流となっている。おそらく、その方がコストが安いからだろう。


 人の命には、どれほどのコストをかけてもかけきれないことを、どこかで忘れている。


 むしろ、忘れることで生きていける、と評価できるかもしれない。


 幸い、故障している箇所はなかったから、いつも通り、清掃作業に移った。もし故障箇所があった場合、程度の軽いものであれば自分で修理するが、そうでなければ、企業に委託するしかない。最近はそういうことは少なかった。利用者が少ないからだ。したがって、考慮すべきなのは経年劣化だけということになる。経年劣化とは、経年による劣化だから、その種の修理は年単位でしか要求されない。


 バケツに水を汲んできて、その中にモップを浸す。まずはアトラクションの床面を掃除した。汚れが落ちているかどうかは見ただけでは分からない。その上を歩いたときに分かる。


 火花は、ずっと、ここで、こうして、暮らしている。


 いつからか分からない。彼女自身思い出せなかった。


 でも、それが当たり前だから、ずっとそうしている。


 自分に与えられた任務は、最後まで全うしなくてはならない、と信じている。


 胸もとに引っかけておいた小型のトランシーバーに、制御室から連絡が入った。コンピューターが自動的に送信してきたものだ。合成音声でメッセージが再生される。


〈本日、二十時三十分頃に、来客の要求あり。対象は一人。施設の見学を申し込む〉


 掃除をしながら、火花は今日のスケジュールを思い浮かべる。本当は思い浮かべる必要などなかった。夜にすることなどないからだ。けれど、彼女も一応プロフェッショナルだから、確認だけは怠らない。


「問題ありません。了承して下さい」


 火花がそう答えると、トランシーバーが二度赤い光を点滅させた。


 モップをバケツに入れ、水分を補給する。


 この施設にアポイントをとる者は珍しい。思い返してみても、過去に数回あっただけだ。そのときは、施設の全体的な補修を行わないかという誘いと、来客者を収集する努力をしてはどうかという提案を受けた。どちらもこの地域の行政を担う組織からで、けれど火花は断った。そんなことをする必要はないと考えたからだ。


 しかし、今回は相手は一人で来るらしい。そうすると、組織の可能性は幾分低くなる。それに、夜の八時過ぎに来るというのも変だ。勤務時間外に当たるわけだから、話し合いをしようというわけでもないだろう。


 誰が来るのだろう……。


 気がつくと、火花は一人で鼻歌を歌っていた。鼻歌は歌えるものらしい。自分でも何の曲か分からなかったが、内側から溢れてくるままに音を出すと、少しだけ愉快な気持ちになった。


 掃除をすると、気持ちが良い。


 たとえ、誰も使わないとしても。


 見た限り、今日も来園者はいなかった。どこかにはいるかもしれない。開演時間になると門は勝手に開くから、陸の方から誰かやって来ているかもしれない。ただし、園内は一人で見渡せるほど狭くはなく、ここには火花一人しかいないから、誰かが入ってきてもすぐには気づかない。アトラクションの利用申請があった場合は、一応、コンピューターが知らせてくることにはなっている。


 孤独、とは感じない。


 ここが、自分がいるべき場所だ、と感じる。


 火花はこの施設の管理をすべて任されている。任されているという言い方は正確ではなく、彼女のほかに管理する者がいないから、必然的に彼女が管理することになった。地域を管轄する行政が、そういうことにした。自分たちの都市計画に関係なく存在する遊園地に対して、そうすることしかできなかった。だから、ときどき抗議が来るが、向こうもどうにもならないと諦めているようだ。


 世間では、火花は、精霊、と呼ばれているらしい。


 取り残された遊園地に棲み着く、精霊……。


 精霊に対して、人々はどうすることもできない。どうすることもできないから、人々はそれを精霊と呼ぶ。

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