テントウ
羽上帆樽
第1話 海の上には園がある
海の上に遊園地があった。至ってシンプルな構造で、けれどそれなりに趣があった。シンプルという表現にも、それなりという表現にも、具体的な意味はない。つまり、それがその場所の在り方だった。
数十年前に建設された人工島で、初めから遊園地を建てる目的で作られた。その当然の結果として、今も遊園地が存在している。ここへ来る方法は二つ。一つは、橋を介して続いた陸を歩いて来る方法。もう一つは、海に巡らされたモノレールに乗って来る方法。どちらも大した方法ではない。方法としてはオーソドックスすぎる。けれど、それが良いのかもしれない。地元に住んでいる人間は、わざわざモノレールに乗ったりしないが。
火花は、管理室の中で眠っていた。
どうして眠ったのか、自分でも分からなかった。今まで眠ろうと思って眠ったことはない。眠ろうと思わなくても、自然と眠ってしまうからだ。
部屋の隅に設けられた簡易ベッド。
身体を起こし、目を擦って伸びをする。
周囲を見渡すと、インジケーターの光が目に飛び込んできた。それで目を瞑ることもない。もうこの環境に慣れてしまっている。
ベッドから下りて、制御盤の前までやって来る。お決まりのボタンを一つ押して、マイクに向かって声を発する。
「“Welcom to the paradise!” 皆さん、昨日はよく眠れましたか? 今日もはりきっていきましょう!」
そう言うことに意味はなかった。火花自身、誰よりもよく知っている。
この遊園地の職員は、彼女一人しかいない。
昨日から着たままの制服姿で部屋を横断し、金属製の階段を上って重厚なドアの前に立つ。鍵はかかっていないから、把手を握って向こうへ押すだけで良かった。徐々に高くなる奇妙な音が聞こえる。それを奇妙と思うこともない。すでに背景と化しているインジケーターと同じだ。
太陽が眩しかった。
今は秋で、それほど強い日差しではない。けれど、これだけは寝起きの身体に突き刺さった。彼女はもともと明るい場所が苦手だ。ずっと暗い方が良いとさえ思う。もちろん、何も光がなければ周囲を見ることができないから、ささやかな光は必要となる。そう、あのインジケーターくらいの光は……。
彼女はインジケーターが好きだった。
名前が特に良い。
機械的で、格好良いと思える。
潮風が吹いてきた。海の上にいるのだから、当たり前と言えば当たり前。それを潮風だと判定できる感覚が、彼女の中には確立されている。きっと、潮風が好きだからだろう。
ドアによって設けられた境界を跨いで、制御室の外に出る。後ろを見上げると、三角形の建造物が見えた。色は透明がかった白。素材は何か分からない。どこかの美術館の造形を意図的に真似たようにも思える。彼女の生活はこの中で始まり、この中で終わる。この中に入っていようといまいと、人生は終わるものだが。
歩く、歩く。
細い脚で、軽い身体で、一歩ずつ。
今日は風が少し強かった。だから、自分の伸びきった髪を手で押さえる。数本が口の中に入って、吐き出した。
木造の桟橋。舟が数隻停められているが、誰かかがここへ来たわけではない。そういうアトラクションなのだ。海は本当の海に繋がっているが、定められた範囲の外へ出ることは禁止されている。
桟橋の柵に触れて、遠くを見る。
海があった。
海があるということは、地球があるということ。
地球があるということは、宇宙があるということ。
宇宙があるということは、世界があるということ。
世界があるということは、自分がいるということ。
今日も自分がいる。
今日も自分は生きている。
果たして、いつまで生きているだろうか?
なんとなく自分の手の表面を見る。奇妙な色。肌色を基調としつつも、赤や緑に染まっている。今日も自分の身体がきちんと機能していることを確認する。この施設のメンテナンスは彼女の職務だが、自分の身体のメンテナンスも彼女の職務だ。
壊れてしまうだろうか?
指を一本反対側の手で握ってみる。
ロボットみたいな挙動。
まだ、大丈夫そうだ。
少なくとも、今日は大丈夫だろう。
この遊園地に観光に来るものは、ほとんどいない。絶海の孤島といっても良い。橋があるから陸には繋がっているが、物理的に繋がっているか否かは問題ではない。
傍に立つ錆びたポールがぎぎぎと鳴った。風に揺られることでしか、自分の存在を知らしめることができない。
息を吐く。
もう一度伸びをした。
踵を返して、制御室がある建物へ戻っていく。朝食は作業をしながらとろうと思った。逆かもしれない。朝食をとりながら作業をすると言った方が正しいか。
ドアを開けて、階段を下りる。
室内に戻って、マイクの前に立った。
「“Welcom to the paradise!” 皆さん、昨日はよく眠れましたか? 今日もはりきっていきましょう!」
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