第4話 一人ではなく私たち

 15時6分、晴香の足音が近づいてくる。

 メークインとしても、丁度水風呂を満喫しきったところだった。

「おお、15分は少し早いかなぁと心配でしたが、なかなかいい感じですね」

 ボウルいっぱいに張っていたまっさらな水は、真っ白なでんぷん質でいっぱいになっていた。

「これからザルにあげていこうと思うのですが、メークインさんの方はもう大丈夫でしょうか?」

「ポティ」

「いけそうですね。ではでは失礼しまして」

 ボウルを傾けて、全てをザルに流し込む。

 でんぷん質で白く濁った水はシンクの底へと消えていき、ザルの上には風呂上りのメークインのみが残される。

「軽く水を切っていきますね。後でキッチンペーパーできちんと拭いていきますので、水を軽く落とすくらいで構いませんよ」

「ポティトゥ」

「あら、メークインさん、なんだかいい感じに垢抜けましたね?」

「ポゥ?」

 たしかに少し軽くなった感じはあるが、まあ普段通りだ。

 もしなにか変わっているとしたら、それは水風呂の素晴らしさ故なのだろう。あれは本当に良かった。

「うーん、もしかしたら私の思い違いだったのかもしれません。これから少し揺らしていきますので、少しだけ我慢してくださいね」

「ポティ」

 ザルを持ち上げた晴香は左右に、そして上下にも揺らして水を落としていく。

「ポ、ポゥ! ティト!」

 この揺れは大き過ぎず小さ過ぎず、存外楽しいものだった。

「ティト! ティト! ポゥ!」

 横揺れの時はホップする手前の感じ。

「トットッポ! トットッポゥ!!」

 縦揺れの時は大きくジャンプする感じで、いい感じにエキサイティングなのだ。

「なかなか楽しそうですねぇ。そんな中申し訳ないですけど、このくらいで終わりにして、次はしっかり拭き取っていきますよ」

「ポゥ~。ティトティト」


 水を切り終わった後、連れられたのは真っ白な布団。キッチンペーパーをトレイの上に敷いて、いつでも来いと言わんばかりの歓迎ムードだ。

 ならば、飛び込むのみである。

「ポオゥ!」

 晴香の乗せてくれるタイミングに合わせて、気持ちよく飛び込む。

 何重にも連なったキッチンペーパーの束は、すっごいふかふかで何処までも沈み込んでいってしまいそうになる。

 これもすごくいい。なんともいいこと尽くしである。

「上からも新しく被せちゃいます。水気を全部吸い取っちゃいましょうね」

 布団を掛けるように、キッチンペーパーをふんわりと掛けられる。

 それから、優しく撫でるように隅々まで拭き取っていく。腹の部分から先っぽに至るまで、一滴も残さない構えだ。

「よいしょっと、こんな感じでいいのかな……。メークインさんどうでしょうか?」

「テトォ、ポテポテ」

 ここまで晴香の料理スキルを身を持って体験しているメークインは、特に確認もせずにすぐに返答を出した。

 この子を心配することなんて野暮。全て任せていけば上手くいく。

 すでに、メークインは晴香の腕に全幅の信頼を寄せていて、全肯定の構えなのだ。

「もう、そんな態度をされると困っちゃいます。これから一番危険な油を使った工程に移っていくんですから、もっと気を引き締めないとですよ!」

「ポゥ」

「メークインさんが注意してくれたんですよ? お料理は危険なこともいっぱいだから、落ち着いてしないとだよって」

「ポティ?」

 たしか、あの冷蔵庫から出てすぐの頃だ。

 少し浮き足立った晴香に向かって、どうしても美味しくなりたいメークインは釘を刺すつもりで声をかけた。それを良いように解釈してくれただけだ。

 その効果があったのかは分からないが、はメークインの期待を上回る完成度で進んでいる。

 気を引き締めるも何も、この子に任せていれば大丈夫なのだから、メークインがすることは何もないのだ。

「ポテポテ、ポティト~」

「あの、なんですから、最後まで頑張りましょ?」

「ポティ……」


 今、この子は「」と言った。

 考えてみれば、晴香は始めからメークインと会話をしながら進めていた。

 ……そうだ、晴香はずっとメークインと共に料理をしていたのだ。

 しかし、メークインにとって《美味しくなる為に身を委ねる》という行為は、いつの間にか《晴香に全てを任せて思考を放棄する》行為へと変わってしまっていた。

 美味しくなりたいという思いも全部、人任せになってしまっていた。

 

 一緒に美味しく作ろうとしてくれている子に、一人で作らせようとしていた。

 美味しくなりたいと言いながら、そんなところで手を抜いて。

 ダメだ。ほんとにダメなことをしていた。

 美味しくなりたいという信念も忘れ、晴香に対してなんて申し訳ないことを。

 こんな時、どうすれば良かったんだっけ……。

 緩んだ気持ちを締めて、これからをしっかりとする為の方法。

「……」

 そうか、その方法はすでに教えてもらっていたんだった。

「ポポポポポポぅ…………テトぉぉぉぉぉぉぉ……」

「メークインさん!?」

 しっかりと大きく、大袈裟なくらいの深呼吸。

 不思議なくらいすっきりする。一時のダメな自分を何処かに置いてきてしまえるような、前を向くための魔法。

「ポテ! ポティトティト!」

「な、なんだかよくわかりませんが、いい感じに仕上がりましたね?」

「ポテト!」

「おお、実に頼もしいです。ではメークインさん、次の工程に進んでも大丈夫でしょうか?」

「ポテ!」

 すっかり水気もなくなって、これ以上ない仕上がり。全く問題ない!

「いい返事ですねぇ……。なんだかこっちまで気持ちよくなっちゃいます」


 それから晴香は、上にかぶせられたキッチンペーパーをめくり取る。あの白くてふわふわしたキッチンペーパーは、水気を吸い取って半透明の濁りガラスのようになっていた。

「それではキッチンペーパーとはお別れしまして、これからお化粧タイムに移りますね」

「ポポっ」

 次にメークインが向かったのは、清潔なトレイの上。細長のメークインが全て重ならないように、大きなそのトレイの上は丁度ハマりがよく、満遍なく転がる。

「いざ油へ投入する前に、よりカリカリになるためにお化粧をします。今回は薄力粉と片栗粉を少しだけ塗っていきますね」

「ティト、ポテポテ」

 全体に雪のように降りかかる薄力粉&片栗粉。黄色に輝くメークインの体を淡い色へと変えていく。

 このお化粧はいわば甲冑。これから最後の戦場、油の海が待っている。

 泣いても笑っても、最後の戦いになるのだ。

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