第3話 下ごしらえ

「ということでメークインさん!」

「もっ」

「フレンチフライになりましょう!」

「んもっ!?」


 このままじゃまずい。美味しくなれないかもしれない。

「もっ! いももっ! じゃがっ!! もおぉぉぉぉ!!!」

「大丈夫、大丈夫です。メークインもフレンチフライも、同じヨーロッパが起源じゃないですか~。私に任せてください!」

「もっ、いもぅ……」

 大丈夫……なのか……?

 なにはともあれ、メークインは身を預けるしかないのだ。


「さて、ではでは、皮をむいていきますね」

 そう言って、晴香はピーラーをおもむろに掴み上げた。

 不安からなのか、初めて見たさっきまでの、あの情緒に溢れた感動は全くない。

 今はただ、漠然と嫌だ。なんであんなにカラフルなんだろう。チャカチャカして、全く相いれない存在だ。


 そうしているうちにも、ピーラーはメークインの皮をむいていく。

「やっぱり、メークインはむきやすくていいですね~。芽もないですし、凹凸も少ないですし。大衆の強い味方の女王様って感じで、堪らないですね!」

「もっ、いもぅ……」

 なんだか、よく分からないところでテンションが上がっているなぁ。。。

 しかし、ピーラーはすごい。痒いだとか気持ちいいだとか、そんなことを一切感じさせない。

 業物ってわけではないはずなのに、こんなことになるとは思わなかった。

 必殺の仕事人って感じの働きっぷり。こんなにチャランポランに見えるのに。


 そんなことを考えているうちに、皮むきは終わっていた。

「よし、次はカットしていきましょう!」

「じゃがも」

「フレンチフライといえば色々な形がありますよね。細長だったり、扇型だったり」

「いもっ」

「あとは潰して整形したり、竜巻みたいなのだってあります」

「いもいも」

「ここはとても大事です。ターニングポイントと言っても差し支えないでしょう」

「じゃもぉ……」

 ずっと不安を抱えているメークインにとって、この間の心持ちは穏やかではなかった。ただ不安が募るばかり。

「さて、メークインさんもよくよく考えてみてください。まず基本的に、これらの切り方は、よく使われる男爵系統のじゃがいもを美味しく食べるためのものです」

「じゃがいもっ……」

「どの切り方も中のホクホク感を味わう為のもので、きめ細かなメークインさんには向きません。潰して整形なんて以ての外です」

「も、もぅ……」

 そう、それがわかっているから、不安しかないのだ。

 そこまで考えているのに、どうしてそんな料理を選ぶのか。食べたいというだけで押し切っていい問題ではない。

 メークインにとっては死活問題だ。美味しく食べてもらえないのは悲しい。

「いもぅ……じゃがもぉ……」

「安心してください。さっきですけど、きちんと考えました」

 悲しみに浸るメークインとは対照的に、晴香は自信ありげな笑顔を作った。

「メークインさん、めちゃめちゃに細くなりましょう」

「……んもっ?」

 そんなことで、どうなるというのだろう。

 それくらいの事で、このフレンチフライという場で、あの男爵系に追いつくことが出来るのだろうか。

 そもそも自分の土俵ではないので、考えたこともなかった。

「極細に切ったとしても、メークインさんなら折れたり変になることもありませんし、元々しっかりしているので、どれだけ細くてもきちんと味が出るはずです」

 ……そうなのだろうか?

 分からないけれど、そう言われればそんな気もしてきた。

 まだ判然としないけれど、多少の元気は湧いてくる。

「い、いもっ!」

「これできっと、男爵系にはできない、メークインさんなりのフレンチフライになるはずです。私はそれが食べたくてしょうがありません」

 ……この子は真剣に考えているのだ。どうしたら、メークインがフレンチフライとして美味しく輝けるのかを。

 こうまでしてくれている子が、美味しく食べてくれないはずがない。

 いや、ここまで考えたのだ。美味しくないはずがない……!

「ふふっ、気合十分といった感じですね!」

「いもいもっ……!」

「方針は決まりました。後は私の腕の見せ所です」

 そうだ、極細と言うのは簡単なことじゃない。

 なにか特別な機械でもない限り、それを行うのは包丁一本。メークインはじゃがいもの中では比較的綺麗な形をしているとはいえ、切りやすいかと言えば答えはNOだ。

 それを極細に切るということは、ほぼすべて同じサイズでなければいけない。そうでなければ、そもそもの計画が破綻してしまう。

 果たして、この子にそんなことは可能なのだろうか?

 ……いや、そんなことを考えてもしょうがない。

 今、前向きに思考出来ているのは、案が良かったからではない。

 この子なら美味しいと思ってくれると確信したからだ。

 この子に食べて欲しいと思えたからだ。

 ならば、全て委ねようじゃないか。

「ではでは、張り切っていきましょう!」

 そうして、カットは始まった。


 いざ始まると、晴香の動きは目を疑う程にスムーズだった。

 まな板の上の鯉となったメークインは身を委ねるのみ。まるで美容室にでもいる様な感覚だ。

 まず始めに、等分となるように真っ二つに切り分ける。

 それからは全てミリ単位での作業。若干2mm程の感覚で包丁を入れていく。

 作業は一定の速度で、リズミカルに進む。

 大変だと思っていた作業は、晴香には楽し気なダンスの一興でしかないのかもしれない。

 そう思える程に、スムーズなのだ。


「トン、トン、トン」


 言葉こそ無かったが、とても楽しげな音だ。

 メークインとしても、ただ心地いい時間が流れる。

 包丁を入れているというのに、不快感も快感もない。一身に音に酔いしれることが出来た。

 もしかしたら、ピーラーを使った時もピーラーが凄いのではなく、晴香の腕前が凄かったのではないだろうか?

 ……いや、さすがにそれはないか。ピーラーでどう工夫しているのか、一介のメークインには検討もつかない。

 ただ、そう思える程に、素晴らしかった。


 ・・・


「ふぅ、こんな感じでどうでしょう?」

 ほんとに美容室で髪を整えた後のように、少し挑戦的で得意げな声でハッとする。

「じゃもっ……じゃがもぉ……!」

 美味しそう。

 真っ先にそう思える程に、完成形がありありと想像出来る美しさだ。

 それは芸術的なまでに均等なカットのなせる業か、はたまたフレンチフライという料理の魅力故なのだろうか。

 今なら、晴香がフレンチフライにこだわった理由も分かる気がした。

 こうなれて良かったと、完成してもいないのに感じてしまったのだ。

「我ながら、綺麗にできましたねぇ……。完成を想像するだけで、今すぐ味見したくて堪りませんなぁ」

 もちろん、今はただカットしただけの普通のじゃがいもだ。なので、少し間の抜けた表情を浮かべるだけで、晴香が手を出すことは無い。

 ただそれくらい、本人からしてもよくできたということなのだろう。

 メークインとしては、そう思ってくれるだけで少し込み上げてくるものがあった。

「いもぉ! いももぉぉ……!」

「ふふっ、気に入っていただけたようでなによりで」

「もっ! じゃもっ! いもぉ!!」

「あらあら、そこまで喜ばれてしまうと照れちゃいますよぉ」

 少し被せ気味に話してしまった。そのくらい興奮が抑えられなかった。

 美味しくしてもらえるという希望が、確信に変わる瞬間。

 その喜びが溢れ出て止まらなかったのだ。


 そんなメークインをなだめるように、晴香は次の段階へ進めていく。

「カットの次といえば、またまた綺麗にしなきゃですね」

「……もじゃ?」

 そういわれてメークインは向き直る。

 確かに、切り終わった後の状態は、よく見てみると溢れたでんぷん質でいっぱいになっていた。

「美味しいフレンチフライになるためには、少しでんぷんを落とさないといけません。なので、これから水風呂タイムです!」

 聞いたことがある。フレンチフライのあのカリっとしたサクサク感は、水にさらさないと出来ないと。

 そうしないと、じゃがいも本来のでんぷん量が多すぎてベタっとなってしまうらしい。

 それから、晴香はボウルに手を伸ばして、その風呂釜いっぱいに水を入れた。

 ボウルに水が入る音は独特で、他で聞くことはまずない。

 うるさくは無いのだけれど、少し耳をくすぐるかのような、むず痒さの波のような感じ。嫌ではないし、聞いていると癖になってしまうかもしれない妙な怖さがある。

 なんというか、絶妙なのだ。

「どのくらい浸かってもらうのがいいですかねぇ……。よく見るサイトのレシピだと、一時間くらい、短くても三十分くらいなんですけど……」

 口を動かしながら、晴香の目は別の方向へ。その視線の先には時計がある。

 時刻は14時50分。

 始まってからずっと、晴香はおやつ時を気にしている。

 最初はなんとも思っていなかったが、いまならメークインにもわかる。

 おやつ時を過ぎてしまうと、晩御飯のことが頭をちらつかせて、美味しく食べられないかもしれない。

 おやつ時と言う免罪符があるからこそ食べられるし、それこそ最高のスパイスに成り得るのだ。

 とすると、おやつ時は逃せない。おやつ時とは、恐らく三時頃、遅くても半頃だろう。

 それ以上遅くなってしまえば、それはもうおやつ時と言えない気がする。

「うーん、今回は細く切ってますし、使っている品種もレシピとは違いますし……」

「じゃがいもっ!」

「……ですね、今回は15分でいきましょう」

「いもっ!」

 出来る限り大きな声で賛成する。おやつ時の重要性を分かってしまった今となっては当然のことだ。

「それでは、移動してもらいましょう。入水の準備は大丈夫ですか?」

「じゃがもっ!」

「ではでは、入水です!」

 その掛け声に合わせて、まな板はゆっくりと進む滑り台へ。

 まな板の上のメークインは、そのままゆっくりと滑る。もちろん晴香の補助付きで、逸れて外れるなんてことはない。

「じゃがいもぅ!」

 水しぶきをあげないギリギリくらいの勢いで、一気に滑り落ちた。

 気持ちいい……!

 メークインにとって、初めての水風呂だ。

「じゃがいもっ! じゃもぅ!!」

 隅々まで染み渡る。

 これはいいものだ……。

「おぉ、羨ましくなるくらい満喫してますね……。水風呂、久しぶりに入りたくなっちゃいました……」

「じゃも? じゃが、いも!」

「さすがに私はそこには入れないですよぉ……。私は、今から洗い物と次の用意をしておきますので、ゆっくりしていて下さいね」

「じゃも~」

 ご機嫌なメークインは、晴香がその場を離れた後も、ゆっくりと初水風呂を楽しんだ。

 それこそ、鼻歌でも聞こえてきそうなほどに。

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