回想 レディ・オブ・ザ・ランドの奇跡に

 ジョーンズ夫妻が買った屋敷は港町からも見える小高い丘にあり、元々百年ぐらい前の建物で貴族の別荘だった建物。

 前の所有者が高齢で売りに出していた物件を購入したのだ。

 周囲は他に住宅も無いから、屋敷からは港町と広大な海を一望できた。例のレディ・オブ・ザ・ランドの孤島も見えた。

 屋敷の裏手は森で、森を抜けると国境に通じる道があると地元では言われていた。だが、森は深く霧がよく発生するため、地元の人間でも危険だからと避ける場所だった。

 トワが島を出て半年過ぎていた。


 今朝の漁で獲れた魚をジョーンズ夫妻に届けに来たラヌは、郊外にある彼らの屋敷に上がっていた。

 応対したトワに連れられるまま厨房に通されて、料理の準備を手伝わされた。

 元々魚を届けに来たのを理由に料理を食べる目的だったが、トワにそれを見抜かれてしまったのだ。

 最初は文句を言っていたが、今は陽気に鼻歌を歌いながら、慣れた手つきで魚を捌くラヌ。


「~~♪」


 ラヌの隣では、仮面を付けて真新しいメイド服に身を包んだトワがじゃがいもの皮を剥きながら、メイド服のスカートから伸びる尻尾でボウルを保持し、そこに剥き終えたじゃがいもを放り込む。

 皮剥きしながら、トワがラヌの鼻歌について尋ねる。


「それ、よく歌ってるけど何なの?」


「ん? 知らせ唄だよ」


 答えながらも、ラヌは下処理の手を止めずに内臓をキレイに取り除く。

 日頃から魚を捌いているから迷いなく包丁を滑り込ませていく。


「何それ」


「漁に出てる漁師同士で歌うんだよ。ここに魚がいるぞとか、こっちはシケてるぞとか。漁師見習いのガキとか、婆ちゃんたちからみっちり仕込まれるんだ。これを歌えなきゃ海に出さないぞってな」


「だから、知らせ唄ね。それって状況によって歌が違うものなの?」


 じゃがいもの皮剥きを終えて、トワは次に鍋を煮るための火起こしを始めた。


「例えば、アタリなら『~♪(高い音)』、ハズレだと『~、~♪(高く短い音)』」


 ファという音が知らせ唄の基本。

 それをシチュエーションに合わせてアレンジする。アタリ、ハズレが基本の二つ。発音次第で意味が何通りか変化する。

 ファの音を最初に発し、次に別の音を付けると短い文になる。

 文と言っても、「アタリ、遠い」「危険、近い」などの文節でしかなく、詳細な文章にはならない。

 ラヌは知らせ唄のバリエーションをトワに披露する。

 特に邪魔せず、それをバックミュージックにしてトワは鍋の準備をしていた。

 知らせ唄を知らないトワには細かな違いや意味はわからない。

 けれど、ラヌが語る漁師の伝統はジョーンズ夫妻から聞く世界の話と同様に面白かった。

 きっと、それが自分で体感した紛れもない出来事だからだ。

 そういうものを他者に語るとき、人は熱がこもる。

 内容に関わらず、その熱がトワには心地よかった。

 知らせ唄を歌い終えたラヌは一度息を整える、同時に魚も捌き終える。

 すると、不意に思いついた疑問をトワにぶつける。

 

「そういや、お前は何か好きな歌とかないのかよ?」


 その問いにトワは黙って考えを巡らせた。

 すると、遠い昔の記憶を思い出して口にした。


「……ダンス」


「ダンス?」


「ダンスに使われる音楽はよく聞いてたわ。でも、それは練習のため。私に音楽を楽しむって趣味は無かったわ」


「じゃあ、ダンスが好きだったのか?」


 トワは首を横に振る。

 用意した中で、火の通りにくい野菜を全て鍋に入れる。


「違うわ。人に教えるためよ」


「使用人が何だってダンスを教えるんだよ」


 会話の合間に、手すきのラヌにトワが皿洗いを指示した。

 トワがほとんど終わらせているので、残っているのは朝食二人分の洗い物だけだった。


「アンタは知らないでしょうけど、貴族や王族みたいな上流階級ってのは見栄が大事なの。専属の使用人っていうのは、秘密を漏らさないように教育されるし、一通りのことを教示できるように仕込まれるのよ」


「あんま、わかんねえけど。最初のがヒニクだってのはわかるぞ、へへ」


 ラヌは得意げな顔でトワに勝ち誇る。

 トワは肩をすくめてから話を続けた。


「私は姫専属のメイドだったから、マナーや作法、ダンスや着付け、いざというときの護身用に体術も仕込まれたわ。覚えるのに必死で、芸を楽しむなんて余分はなかった」


「使用人ってのも大変なんだなぁ。お前がそうだったから、掃除ばっかしてると思ってた」


「……なんか腹立つわね」


 二人は軽い会話を続ける。

 ラヌがジョーンズ夫妻の屋敷に毎日のように料理を食べにくるので、自然とトワと話す機会が多くなった。

 今ではトワの方から進んで過去のことを話したりしていた、他に話すことがないと文句ともとれる発言をトワはよく口にした。

 実際、話す内容も最近では過去よりも今現在の話――トワが市場で町の女と情報交換した話や漁師に名前を覚えてもらったなどの、普通の生活みたいな話が多くなっている。

 仮面メイドのトワが港町に通えるようになったのは、ラヌのおかげだった。


 最初、よそ者のジョーンズ夫妻を港町の住人は警戒した。

 一緒に現れたトワに対しては、仮面で顔を隠した正体不明の女というのだから、夫妻より嫌悪していたほどだった。

 一番港町に出かけるのは使用人であるトワだ。

 夫妻はトワをおもんばかって買い出しを代わろうと申し出た、しかし、トワは使用人の仕事だと言って決して譲らなかった。

 トワなりの変わる努力であったが、よそ者かつ見た目に異質であれば反発も多いだろうと覚悟していた。

 そのとき、ラヌが彼らを気に入っていたというのが大きな影響を港町におよぼした。

 ラヌの相手の真意を見抜く特技は有名で、それ故にラヌが人の良し悪しを間違えないと信用されている。

 だから、ラヌがジョーンズ夫妻やトワと親しくすることで、徐々に町の人間も彼らを信じ始めたのだ。

 仮面のメイドを不気味に思う人間も少なくないが、ラヌと親しい者ほどトワとラヌの関係が実に良好だと知っており、ラヌの友人ならとトワに対して親切な態度を取る。

 望んでいた普通の人のように、トワも人に紛れて普通の生活が出来ていた。

 もちろん、トワはこの現状がラヌの影響力によるものだと承知している。

 無頓着なラヌ本人よりも熟知していると言っていい。

 他者の機嫌伺いも必須技術として仕込まれているトワの人間観察は中々のもの、港町の住人たちにどのような心境変化があったのかは簡単に推測できた。

 その原因がラヌだということ。

 そして、今なお港町全体にということも。

 町の住人は笑顔の裏に、常に警戒と嫌悪を抱いている。

 それはトワだからではなく、コミュニティの異物に対して起こる免疫作用のようなもの。当然の反応。

 孤島に居た頃の自分も似た感覚を持っていたから、トワもそれを理解している。

 よそ者に仕える仮面のメイドが一人で町に居れば、当然の如く奇異の視線を向けられる。

 だが、向けられながらも人間として扱われていることに違いはない。

 自身を怪物だと思い、諦めていたトワは現状に十分満足していた。

 ラヌにそのことを話せば、彼の性格上、港町の人間にトワを受け入れてもらえるように働きかけようとするに違いない。

 だから、感謝は言葉にせず、バレたくないから心にも思わないようにして隠した。

 二人でジョーンズ夫妻のために料理を作りながら、他愛のない話に花を咲かせる。

 これで満足ではないと、どうして言えるだろうか。


「……ふふ」


 自覚なく、トワの口から笑みがこぼれた。

 敏感なラヌはそれを見逃さない。


「今、なんで笑ったんだ?」


「は? ……笑ってないわよ」


 指摘されて気付いたトワは咄嗟に否定する。

 ラヌ相手にそれが悪手だと思ったときには遅く、ラヌが嘘だと見抜いてしまっていた。


「素直になれよお~。オイラにはわかっちまうんだから~」


「うるさい、笑ってないって言ってるでしょ」


 やいのやいのと、いつものように言い争う二人の声は厨房の外にまで響いた。

 すると、どたばたと忙しない足音を鳴らして、息を切らしたオリバーが厨房に駆け込んできた。


「二人とも、ここに居たんだね!」


 二人はオリバーの突然の来訪に驚く、その尋常ならざる様子にトワだけが気付く。


「旦那さん、聞いてくれよ。トワの奴さ――ぐえ」


「うるさい。どうかしたの、オリバー?」


 鈍感なラヌを黙らせて、トワが心配そうに尋ねる。

 呼吸を整えることすら忘れて、オリバーはずかずかと厨房の中に入ってきて――手袋で隠したトワの手を祈るように握った。


「サンドラが妊娠したんだ!」


「えっ……?」


「何?」


 オリバーの発言にトワも、ラヌも理解が追いつかなかった。

 だから、今度は息を整えてから幸せそうな笑みを浮かべて、オリバーは再度言葉にする。


「サンドラが妊娠したんだ。僕らに子供が出来るんだ! トワ、君のお陰だよ!」


「嘘……」


「おいおいおいおい……。こりゃ、こりゃ、めでてえなあ! なあ、トワ!」


 大喜びするラヌと興奮気味にトワへ感謝を繰り返すオリバー。

 しかし、対照的にトワの反応は薄かった。

 むしろ、何かに怯えているような感じであった。

 だが、この場に居る者でそれに気付く者は居なかった。


 ――


 数か月後、夜。サンドラの部屋。


 ランタンの光が薄暗い部屋を照らしていた。

 腹が膨らんだサンドラが椅子に座って、その淡い光源を頼りに分厚い本を読む。

 身籠ってからは子供のことを考えて外出を控えるようになり、身だしなみに気を遣わなくなって髪の手入れも雑だった。伸びた髪を頭の後ろでまとめただけで、枝毛も跳ねっぱなしだ。

 服装も部屋着のままで、メイクもしていない。

 今のサンドラは女としての当然の身だしなみが欠けている。

 だが、たまに片手で膨らんだ腹を撫でる様など、女でもなく妻でもない、母性に溢れた別物の女らしさをたたえていた。

 サンドラは読んでいた本を傍のテーブルに置き、次の本を取りに立ち上がった。

 腹が重いので抱えるように腕で支えて、本棚の前にやってくる。

 片手を伸ばして本棚の上の方にある本を取ろうとする――その後ろから、手袋をした手が伸びて、目的の本を横取りした。


「危ないでしょ。雑務のときは呼んでって何度言えばわかるの、サンドラ」


 銀仮面のメイド――トワが不機嫌そうな声で、静かにサンドラを怒る。

 サンドラはばつが悪そうな顔で謝罪する。


「ごめんなさい。いけるかなーって思って」


 そう言うと、チロッと舌先を見せた。


「言い訳は結構。さ、早く座ってください」


 トワがしっかりとサポートして、サンドラを元の椅子に座らせた。

 サンドラがしっかりと椅子に深く座るのを見届けてから、トワはあからさまにサンドラから離れる。

 妊娠したと判明した日からトワはサンドラに近付くことを避けていた。

 本人はさりげなく何でもない風を装っているが、サンドラの眼にはそれが明らかだった。

 いい機会だと思い、サンドラはトワに声を掛ける。


「ねえ、少し話しましょうよ。最近、出かけられてないから町での話とか聞きたいわ」


「いえ。今日の報告を終えたら、すぐに部屋に戻るつもりです」


「どうして? トワ、私を避けてるでしょ」


「いいえ。そんなことは――」


 サンドラは自分の耳に手を当てて、聞き耳を立てる仕草をする。

 意味不明な行動にトワは出かけていた言葉を飲み込んだ。


「ふふ。私もね、こうすればラヌみたいに、アナタの言葉のホントの気持ちがわかるのよ」


 そう言うと、サンドラは目をつぶって、うんうんと頷いた。


「なるほどね。、と思っているのね」


「……その冗談、嫌いだわ」


 図星を突かれたトワは視線を外して、悔しそうに悪態を吐く。

 サンドラが小さく笑う。


「ふふふ。二人の喧嘩って、ちょっと羨ましかったの。だって、トワったら私たちには使用人然としてて、全然友人らしく接してくれないんですもの」


 わざとらしく拗ねてみせるサンドラ。

 トワは肩を竦めた。


「あのバカが三人に増えるなんて、考えただけでも面倒よ。それと業務中に私が使用人らしくするのは当然です、メイドですから」


「なら、主人の一人として命じるわ。もう仕事は終わり。友人とお喋りして、夜更かししましょ」


 少しためらいを見せるが、トワは観念して溜息を一つ漏らした後、サンドラに一つだけ条件を出した。


「でしたら、ベッドに横になって。話が終われば、すぐ眠ること。いいわね?」


「ええ」


 サンドラをベッドに寝かせてから、トワは枕元近くに椅子を持ってきて腰かけた。

 わざとサンドラの方を向かないように座り、窓から外を眺めるフリをする。

 サイドテーブル上のランタンが二人を照している。

 少しの沈黙の後、サンドラはトワが自分を避ける理由を尋ねる。


「ねえ、何が気になってるの?」


「……」


 答えないトワに、サンドラは自分の推測を披露する。


「いいわ、当ててあげる。――のこと?」


「ッ!? ……どうして、わかるのよ」


「私の近く居るときはいつも息を殺してるでしょ。呼吸は最小限、できるだけ浅く。ここまでわかれば後は簡単、情報を解釈するだけ。考古学者なのよ、情報整理と解釈は大得意なの」


「隠しごとの自信を失くすわ」


「相手が悪いわよ。それで、気になる?」


 全てが見抜かれているとわかった今、トワも隠す理由がなくなったので下手な演技をやめて素直に話す。


「そりゃね。アナタたちは私が本当に子供を授ける奇跡を起こしたって言うけど、そうじゃないのは自分が一番わかってる。むしろ、呪いを抑えておかなきゃ毒の息を吐いてしまうかもしれない有害な怪物よ」


「もし、何かあったらって?」


「そうなってからじゃ遅い。だから――」


「ダメよ」


 トワの続きの言葉をサンドラが食い気味に遮った。

 何を言うか、トワの性格を知るからこそ簡単に予測できたからだ。

 邪魔されたトワがサンドラの方を見る。


「この子が産まれるには祝福が必要よ。神だけじゃ足りない。ラヌと、そしてトワの祝福が必要なの。どれか一つでも欠けたら、私たち夫婦の愛した幸福をこの子にあげられない」


 サンドラは自分の膨らんだ腹を撫で――その下で育っている我が子を想う。


「やっぱりこの子を身籠ったのは、アナタが引き寄せた奇跡なのよ。だから、トワ。怖がらないで」


 サンドラはトワの手を取り、自分の腹に持ってきた。

 トワの手の上に自分の手を重ねる。


「この子を愛してあげて。アナタは愛されることも、愛することもできるのよ」


「どうして、どうして突き放してくれないのよ……」


 震える声でトワが胸の内を吐き出す。


「毒の息でも、爪でも、何でもいい。どんな理由でもいいから私を怪物だと言ってよ……。そしたら、ここを出ていけるの。何かある前にこの子を諦められるのに……!」


「ダメ。幸せになろうってわがままにならなきゃ。アナタは千年も我慢したんだから」

 この夜、トワは屋敷を去るつもりだった。

 最後に一目だけ。サンドラの膨らんだ腹を見ておきたかっただけ。

 その想いで、サンドラの部屋を訪れた。

 自分には 

 自ら不幸な方向に進もうとする。それは幸福になることが恐ろしいから。

 幸福に慣れていない、幸福というものが未知でただ恐ろしい。

 ジョーンズ夫妻のおかげで今の幸福には馴染めた。だが、子供が産まれたらどうなるかわからない。

 悪い想像ばかりが大きくなった。

 もしかしたら、自分のせいで子供が不幸になるかもしれない。自分がないがしろにされて孤独になってしまうかもしれない。不幸に耐えられる気がしない。

 産まれてくる子供を夢見ると同時に、トワの心には漠然とした不安と恐怖が積み重なった。

 その結果、トワは目の前の幸福な現実から逃げ出して、不幸に浸ってしまいたくなったのだ。

 だが、サンドラはトワの逃避を許さなかった。

 トワの気持ちに気付いてしまった彼女は、本当にトワを友人として愛していたから、トワを止めた。

 生きるのが不器用な友人にも生きる希望を求めてほしいと思っていた。

 そして、我が子がそれになってくれたらと、願っているのだ。


 サンドラは限界がきて眠ってしまうまでずっと、はぐれないようにトワの手を握って離さなかった。

 慎重に手を解いてから、トワはサンドラにシーツを掛け直す。

 窓の外。月光だけが頼りの夜闇の景色を眺める。


 ――今なら彼女にバレないように屋敷を去れる。

 ――去るならば、これが最後のタイミングだろう。


 じっと黙ったまま、サンドラの寝顔を見つめた。

 見つめながら、自分の仮面にそっと触れる。

 固い感触を指先に感じる。

 そこに確かにある固い感触が、自分と彼らを繋げる物なのだと改めて思った。

 トワはランタンの火を消して、薄暗い部屋でまた椅子に座り直した。

 夜が明ける直前まで何をするでもなく、サンドラの手にただ自分の手を添えていた。


 ――


昼頃。朝に漁へ出た漁師たちが帰って来る時間。


 ラヌはある物を探しに、知り合いの漁師の店に顔を出す。

 その店は新鮮な魚介が売りの食堂だった。客入りも落ち着いた時間で、店内にはほとんど人が居なかった。


「よっ。元気してっか」


「おう、ラヌ。どうした? 今日は休みだろ」


「ちっと探し物だよ。アンタのとこでも、知り合いでもいいんだけどさ。サメの歯って扱ってねえかな?」


「サメ歯? もちろん、あるが……。何だって急に」


「いやな、お世話になってる人らにガキが産まれるんだよ。だから、お守りを作ってやろうって思ってよ」


「聞いてるぜ、例のよそ者だろ。……大丈夫なのか?」


 心配そうな漁師の言葉にラヌは眉根を寄せる。


「言いたいことはわかる。わかるがよ、やめてくれ。それより、歯、くれよ」


「……わかった。だが、お前、お守りの作り方知ってるのか?」


「そんなん削ってれば出来んだろ」


 言わんこっちゃないといった風に漁師が呆れかえった。


「たくっ、仕方ねえな。見本を付けてやる、失敗してもいいように歯も都合つけてやるよ」


「おう、あんがとな!」


 漁師がサメ歯を用意するために店の奥に消えた。

 すると、店に居た客の一人――ラヌの知らない男が声を掛けてきた。


「お子さん、産まれるそうで良かったですね」


「おう。そうなんだよ」


「初?」


「ああ、一人目だな」


「それは良い。奥さんも喜んでるでしょう」


「そりゃ凄え喜んでたよ。ずっと欲しがってたからな」


「そうだったんですね。なら、旦那さんも嬉しいでしょ」


「ああ、旦那さんも喜んでた。オイラも二人が報われて嬉しいよ!」


「え?」


 まるで他人事のように喜ぶラヌに、男は意味が解らないというような表情で首を傾げた。

 実際はラヌが正しい、男がラヌに子供が出来たと思い込んでいただけだ。

 男は困惑しながら確認する。


「えっと、子供ってあなたの?」


「いや、お世話になってる人らにだけど」


「あ、ああ! そっか、そうか……。いや、すみません。勘違いしていました」


「勘違い? まあ、いいや」


「ハハ、お恥ずかしい……。あ、そうそう。お尋ねしたいことがあったんです」


「ん、なんだい?」


「この辺りで。ご存知ありませんか?」


「……」


 素直に答えようと思ったラヌだったが、不意に嫌な予感がした。

 目の前の男――身なりを巧妙に町に合わせているが纏う空気が明らかなよそ者であり、ジョーンズ夫妻を探す何かしらの目的のある人物。

 コイツが予感の原因かとも思ったが、ラヌの勘がそうではないと告げている。

 だから、探りを入れることにした。


「悪ぃが思い出せねえや。理由を聞かせてくれよ、話してる内に何か思い出すかもしれねえからよ」


「そうですか。いや、まあ自分がその夫婦を探している訳ではないのです。とある方がその二人を探してまして、自分はお使い感覚で出張させられているんですよ」


「どうして、そのとある方とやらが探してるんだ?」


「さあ、詳しくは。自分が知っているのは、その方とその夫婦が知り合いだというぐらいで。ああ、そうだった。確か、夫婦が調べていたレディ……」


「レディ・オブ・ザ・ランド?」


「ああ、それです。この辺りの伝説なんですってね。とにかく、その調査を金銭的に支援されていたんですよ。大方、自分は進捗確認に使われているんでしょうね」


 自虐気味に笑う男。

 男の言葉に嘘やつくろいが無いとラヌは感じた。少なくとも、この男は本当にジョーンズ夫妻を探す理由を知らないらしかった。

 ラヌは夫妻との話で、レディ・オブ・ザ・ランドの調査を後押ししてくれた仮面の貴婦人が居たと聞いていた。

 だから、男がいう「とある方」が本当に夫妻の知り合いだと関連付けた。

 だが、自分では考えてもわからないと割り切った。

 そうなると、自分が感じた嫌な予感の正体とは何なのだろうかと、疑問が浮かぶ。

 得体の知れない直感にラヌが納得できないままでいると、サメ歯を見繕った漁師が戻ってきた。

 

「ほら、用意できたぞ」


 それを受け取ってから、ラヌは直感を気にしつつも、自分の無い頭で考えても仕方ないと割り切って男に正直に話す。


「おお、ありがとよ。それとアンタ、探してるジョーンズさんなら知ってたぜ。確かに居るぜ」


「おお、本当ですか!」


「じゃ、オイラは行くよ。せっかくだから、観光がてらゆっくりしていきなよ!」


 去っていくラヌを見送り、男が一人呟く。


「発見したとにお伝えしなければ。しばらくは次の指示待ちか……あの気さくな兄さんの言うように観光でもしてようかね。……あれ、何で俺がよそ者だって気付いたんだ?」


 男は疑問に感じながらも、報告を終えた後に食べる料理のことに気を取られて深くは考えなかった。

 この男の報告が仮面の貴婦人――レディに渡ったことが、後の展開を決定づけた。

 ラヌの直感は、それを予感していたのかもしれない。


 ――


 サンドラの寝室に夫のオリバー、ラヌ、そしてトワが集まっていた。

 腹がとても大きくなったサンドラ。出産も間近だろうと思われ、男二人は心配から連日母子の様子を見に来ていた。

 つわりでたまに辛そうなサンドラのため、オリバーは訳の分からない迷信を試そうとするし、ラヌは元気付けようと騒がしい。

 邪魔が目立ってくると毎度、トワが男二人をしかりつけて部屋から追い出すというのが最近の恒例となっていた。

 しかし、その日はサンドラの体調も安定し、穏やかに四人で話が出来ていた。

 すると、突然ラヌが子供の名前を尋ねた。


「あ、そうそう。子供の名前は決めてるんですかい?」


「それが中々決まらなくてな。いくつか候補はあるんだが……」


「もう。候補って言ったって全部同じなのよ。この人ったら、冒険家の名前ばかりつけようとするのよ」


「いやだってね。我が子には将来、冒険家のように偉大な人物になってほしくて」


「将来はこの子が決めることよ。……それに私は世界を冒険するだけじゃなくて、身近なモノを大事にできる子に育ってほしいわ」


 そう言うサンドラはチラリと少し離れた場所に居るトワに視線を送り、かすかに微笑んだ。

 照れるトワはそっぽを向く。


「そりゃ僕だってそう思うけど……」


「いいえ。貴方はなーんにもわかってないわ。ね、トワ」


「……かもね」


「ええっ。そ、そんなに僕の提案する名前が嫌だったのかい?!」


 妻が拗ねていると勘違いしたオリバーがうろたえているのを尻目に、ラヌがトワに小声で訊ねる。


「なあ、奥さんとお前ってなんかあったのか?」


 相変わらずの勘の鋭さにビクリとさせられるが、トワは努めて素っ気ない態度でいなす。


「別に。何でもないわ」


「そっかぁ……」


 生返事を返すラヌ。いつもと違い、当たる勘任せのしつこい追及もない。

 それに胸を撫で下ろすと同時に、違和感を覚えたトワが逆に問う。


「アンタこそ何かあったの? 妙に聞き分けがいいけど」


 談笑するジョーンズ夫妻の様子を伺いながら、ラヌが小声で打ち明ける。

 

「実はな、コレ作ってんだよ」


 二人に見えないように手で包み隠して、トワだけに見えるようにラヌが差し出したのは、サメの歯を削った手作りの工作物。

 ラヌに合わせてトワも小声になって、顔を近付けた。


「何コレ?」


「この辺りじゃよ、町に子供が産まれるってなったら男衆がサメを獲って、女衆が歯でお守りを作るんだよ。んで、産まれた子供にお守りのペンダントをかけてやるんだ」


「アンタ、そういうの気にするタイプだった?」


「いんや、まったく。けど、何かしてやりてえんだ。あの二人の子供によ」


 ラヌの純真な言葉に、トワも同意する。


「そうね。その通りね」


「年寄り連中が言うにはよ、お守りには『また立ち上がれ』って想いを込めるんだと」


 それは良い願いだと、トワは自分の境遇と照らし合わせて噛みしめる。

 すると、ラヌがやってみないかと提案してきた。


「別にコレじゃなくていいと思うがよ。お前も、何か考えてみればいいんじゃねえの」


「……思いつかないわ。まだ産まれてない子供が喜ぶものなんて」


 プレゼントをした経験など無いトワにとって、それは難問だった。

 思えば、与えられるばかりで送ろうなんて考えたこともない。

 自分の贈り物で他人が喜ぶ姿など想像もつかない。

 ましてや、産まれる前の子供が相手なんて。


「考え過ぎだって。子供だけじゃなくって、お二人へのお礼もかねてさ、贈りたい物用意すりゃいいと思うよ」


「そんなの。城を一つ用意したって足りないわよ」


 むしろ、城をいくつも用意した所で感謝の気持ちが伝わるものだろうかと、ラヌは思わなくもないが、真剣に悩むトワのために言葉を飲み込んだ。

 自分がちょっと成長した気がして、少し気分が上がった。

 サンドラとオリバーが子供の名前を何にするかでまた盛り上がっている。

 それを眺めながら、二人は黙っていた。

 ふと、トワが遠慮がちにラヌにだけ聞こえるぐらいの小声で言葉を紡いだ。


「プレゼントって何がいいの。本当にわからないの。教えて、下さい」


「お前が貰って嬉しかった物でいいんだよ」


 さらっと答えたラヌに、トワが疑いの視線を向ける。


「本当に?」


「ああ」


「……そう。考えてみる」


「おう」


 二人の会話はそこで終わった。

 これから先は自分で考えるべきだと、打ち合わせた訳でもないのに同じ考えを持ったのだ。

 それと同時に、心の内で相手よりもジョーンズ夫妻を喜ばせてやろうと、互いに競争心が燃えていた。

 不意に、サンドラとオリバーは二人の様子が少し変わったことに気付いた。


「二人とも、どうかした?」


「何だか楽しそうね、何かあった?」


「「別に」」


 まったく同時に、同じ言葉をトワとラヌが答えた。

 

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