第二章 仮面の女たち
Ⅰ 外へ出れない理由-【三つの言いつけ】-
坊ちゃんは屋敷の正面口――大きな鉄格子の門にやってきた。
屋敷を囲む塀は高く、坊ちゃんではどうやっても乗り越えられない。だから、坊ちゃんが外の様子を見るためには、この門の隙間から覗くしかないのだ。
冷たい鉄格子を掴み、坊ちゃんは聞こえてきた子供の声の出元を探す。
屋敷の前は一本の道が横切っている。街灯が二本立っていて、車道と歩道に分かれている。道の右は橋に通じていて、よく人がやってくる方向。左は古風な店が並んでいて、よく人が去っていく方向。
道路を挟んで向かいには公園があって、そこで子供たちがボールで遊んでいた。
無邪気にボールを蹴り合っている姿は、坊ちゃんにも見覚えがあった。
「あれ、サッカーだ。父さんの蔵書にそういうスポーツがあるって書いてた。あんな風なんだ……」
スポーツは坊ちゃんにとって身近なものではない。
特に一人で出来ないスポーツは。
家の土地は広いからランニングは出来るし、蔵書で知識をつけてトレーニングも一人で出来る。ボールもあるから、ただ蹴るだけならいくらでもやりようはある。
けれど、それはスポーツではなく鍛錬の部類だ。
トワを誘うこともしない。彼女はスポーツをやりたがらない。坊ちゃんと力比べや競うことを避けている傾向があった。
坊ちゃんは生まれてこの方、誰かとスポーツに興じたことがない。
そもそも、同年代の子供と遊んだことすらない。
トワの言いつけで屋敷の敷地から出たことが無いためだ。
トワの三つの言いつけ。
――『門の外に出てはいけない』
――『本名を名乗っていはいけない』
――『外の者と関わってはいけない』
けれど、外への憧れは少しずつ、坊ちゃんの中で積み重なっていた。
「……いいな」
鉄格子の固さに歯がゆさが増してゆく。
少しの間、坊ちゃんは遠くて遊んでいる子供たちを見つめていた。
――
「……坊ちゃん?」
洗濯や他の水回り家事を済ませたトワが、坊ちゃんを探しにオレンジの木へやってきた。しかし、集められた落ち葉と竹箒が倒れているだけで肝心の坊ちゃんが居ない。
休憩用に用意した紅茶を載せたトレイを持ったまま、トワは辺りを見回した。
「どこに行かれたのかしら?」
匂いを辿る方法もあるが……。
きっと、どこかに行かれているのだろう。
読書か、昼寝か。一人の時間が欲しいときもある。
それとも、自分に黙って一人で仕事や家事をやろうとしているのかもしれない。なら、危険な目に遭う前に見つけてあげなくては。
そこまで考えて、いや、とトワは別の可能性を考える。
もしかしたら、外の様子を見に行っているのかもしれない。
もう十歳だと言うのに、坊ちゃんには寂しい想いをさせていしまっている。それなら、少しそっとしておこう。
「……お茶、冷やしておきましょうか」
帰ってきたときを想定して、迎える用意をしておこう。
坊ちゃんを苦しめるのはこの上ない苦痛であるが、全ては必要なことで自分がやらねばならない、とトワは己の心に言い聞かせる。
手早く落ち葉を片付けて、トワはゴミ袋とトレイを持って屋敷に戻った。
その日、トワの想いと食い違うように、一人の来客によって二人の運命の歯車が動き始める。
坊ちゃんとトワの歯車に別の大きな歯車が嚙み合って、二人の歯車を無理やりに動かし始めるのだ。
――あたかも、初めから三つの歯車は噛み合うために存在していたかのように。
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