遠い背中

牛尾 仁成

遠い背中

 子供にとって父親の背中は大きい。


 その背中におぶさって運ばれると、見える景色は半分以上が背中と頭だ。もりっと肉のついた背中で温かったことを覚えている。夏場だと子供の体温が伝わったのか背中が汗ばんでくるので、好きでおんぶされたのに、不快で降りたこともある。我ながら何ともわがままだ。


 パタパタと父を通り越して、早く来てと催促すると父は小さく苦笑した。あまり口数の多い人ではない。朝早くから仕事にいき、11時近くならないと帰って来なかった。おかげで、幼い私とまともに会話するのはもっぱら休日だけだ。その休日にしたって、だいたいはゴロゴロとソファで寝ていることが多かったから、やっぱり会話らしい会話を交わした記憶は薄い。


 その代わり、というわけではないが大型連休となると遠方まで家族を連れて行ってくれた。ほとんどは実家への帰省であったが、その途中でレジャーを体験させてくれたりと子供心にワクワクした体験がいくつもある。山登りやキャンプ、遊園地などで一日中遊んだりもした。その時の父は年甲斐もなくはしゃぐようなことはしなかったが、いつも私を見守っていてくれたように感じる。危なくなった時などに咄嗟に私を引っ張ったり、抱えたりしてくれた時は力強い父の腕に安心したのを覚えている。


 私と言えば学生の時分は親元を離れて一人暮らしをしていた。贅沢なことに両親は不精な私に仕送りと食べ物などの物資の贈り続けてくれた。父は偶に私にメールを寄越しぶっきらぼうな文面で「体には気を付けるように」とか、就職や先輩、後輩への付き合い方の心配をしていた。


 学生時代に私が帰省すると、父は年齢がかさんだ影響で昔ほど遅くまで仕事をしなくなった。役職が上がると残業する時間も減るらしい。そんなわけで父と食卓を共にすることが多くなった。ただ、歳を重ねても父の性格は変わらず、もくもくと夕飯を食べ、酒を飲みながらテレビを見ていることが多かった。「最近はどうだ」等と聞かれても、子供は子供で「ぼちぼち」等と面白みもない解答をするものだから、結局父はそれ以上何も言わない。


 私が就職した後もそういった不器用な父としての姿は私の中で変わらなかったが、ある時お盆休みで帰省した時、退職した父の姿をまじまじと見ることがあった。風呂上りでほとんどパンイチの状態だったが、昔に比べて随分と肉が落ち、全体的にしぼんでいた。あんなに大きかった背中は小さく丸くなり、痛めた腰の影響で足取りはぺたぺたと若干ぎこちなかった。


 体は大切にしなよ、と私が言うと「ん」と肯定なのか聞き流そうとしているのか分からない答えが返ってきた。ただ風呂上がりのビールはうまいようで、グビグビとおいしそうに飲んでいた。


 ガラにも無く私がこんな事を思い浮かべるのには訳がある。まぁ、早い話が父は既にこの世にいないのだ。急性心筋梗塞、いわゆる心不全の一種で亡くなった。急性のとおりで実にあっけない最期だった。夜中に急に苦しみだし、救急車を呼んで病院に担ぎ込んだが、治療の甲斐なくその日中で息を引き取った。


 最後に見た父の背中は湯灌の時に背中を拭く際に身体を横にした時だった。血の気が失せた真っ白の肌に赤黒い死斑が浮き出ていた。それは父の死闘の痕のように思えた。短い時間ではあったが、必死に生きようとあがいた痕跡に思えてならなかった。父を喪った悲しみというのは私の中で意外なほど実感として湧かなかった。これは別に私が薄情だから、ということではないように思う。単に、喪った者の大きさを理解したくないだけなのではあるまいか。


 親しい人を無くした経験のある方は分かるかもしれないが、昨日まで普通に明日の予定やらご飯の話をしていた人が急にいなくなったら、誰でも不安定になる。怖いとか、悲しいとか、ショックだとか色々な感情がその身を切り刻む。長い時間を過ごした人であればあるほど、その影響は甚大だ。母がそうだった。父の死に取り乱し、どうすることも出来ずにただ泣き伏せるばかりだった。無理も無い事だと思う。30年近く一緒にいた人を亡くせば、そうなってしまうだろう。


 だが、私は父と一緒にいた時間は単純に計算すると母に比べてずっと少ない。そのことも少しは影響していると思うが、私は父の死から二日後には父の体を荼毘に付した。自分でも些か驚くほど、淡々とつつがなく葬儀を営むことができた。ただ、父の葬儀の準備の際、家から遺品を持ってくる道すがらで少しだけ目が潤んだ。当たり前のように過ぎ去っていく日常の中に、もう父の面影を見ることは無いと理解した瞬間、私の胸に言葉にならない思いが去来したからだ。


 優しい人だった。もっと色々な話をしたかったし、するべきだった。仕事とか人生の悩みだとかも相談したかったし、親孝行もしたかった。育ててくれた恩をほんの少しでもいいから返したかった。ありがとうと言いたかったし、あなたの子供に生まれたことを誇りたかった。ちょっと不器用な人柄ではあったかもしれないけれど、その優しさと温かみはちゃんと伝わっていたよ、と言ってあげたかった。まったく月並みの思いだが、人は大切なものを失くして、初めてその大切さを思い知る。もっと何かできたんじゃないか、と思ってもその背中にもう私は届かない。


 あれから随分と時間が経ち、私にも家族ができた。子供は元気に育ち、休みの日にはどこかへ連れていけと私を催促する。時期だったので家族で遠出して車を止めると、あっと言う間に飛び出してしまった。小さな足でパタパタと私の先を行く。その姿に自然と笑みがこぼれると、その仕種が何とは無く私に父の姿を思い起こさせた。そうか、これからはこういう時にあなたに会えるのか。


 しゃがみこんで、小さな手を私の肩に置かせる。ぐっと腰の上らへんに体重を乗せて立ち上がる。夏の太陽がジリジリと私たち親子を焼いてくるが、私は少しも手を緩めたりしなかった。少し歩いただけで、背中が汗ばんできたがそんなことはどうでもよかった。自分の子供と触れ合うことができるという、ただそれだけで私は嬉しかった。どこからか父が苦笑する声が聞こえた気がした。


 何を笑っているんだい、おじいちゃん。今年も孫が会いに行くから待ってなよ、と私は心で呟きながら懐かしい生家への道を歩いて行った。   

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遠い背中 牛尾 仁成 @hitonariushio

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