11 オオカミとキツネ
「こんなのがヒントになるとは思えないけど」
電話口で告げた副局長は、先程よりも覚醒した声を皆に聞かせた。
目が覚めたことで、彼もいくらか冷静になったらしい。実際、狼が出てくる物語なんてものは無数にある。
反対に、ジェヴォーダンの獣そのものが登場する作品は多くない。当然捕まえ方などが残っているはずもなく、いくら情報だけあっても進展はないに等しいと彼は告げる。
「まあ、良い。敵を知るのは大事だからな」
南方が促し、馬場がしぶしぶといった調子で集めた物語を読み上げ始めた。
「有名なのはグリム童話かな。
『狼は狐を従えてました。狼が望んだことは何でも狐はやらされました。というのは狐の方が弱かったからで、できれば主人と喜んでおさらばしていたでしょう』」
ある日、狼に食糧をとってくるよう命じられた狐は、二匹の子羊がいる農家の家を知っていると答える。
狐は首尾良く子羊を捕まえるが、狼は一匹では満足しなかった。もう一匹もほしくなった狼は農家の家に再び出向くが、狼は失敗してしまう。
たびたび狼の食い意地に呆れる狐は、それでも狼の言うことを聞き続ける。
またある日、農夫の家に保管されている塩漬けの肉を盗むことにした二匹。
たっぷりある肉を前に狼はがっつくが、狐は逃げられるように腹を膨らませすぎないように気を配る。
やがて盗人に気づいた農夫がやってきて、逃げ遅れた狼を打ち殺してしまう。まんまと古馴染みの食いしん坊とおさらばできた狐の悪賢さが強調されたストーリーである。
また、オオカミ少年効果の由来となった童話は、イソップ物語の一つである。
原題を読み上げた馬場は、似たような話は世界各国にあると説明した。
「そもそも童話で危険の象徴として狼が描かれるのは、身近で怖い動物が狼だったみたいだね。ジェヴォーダンの獣の噂も時代的に背景になっていてもおかしくない」
「日本では神の遣いなんて言われることも多いようですが」
「日本は森と平地の差が激しいから、獣が市街地に降りてくることは少ないからじゃないか」
馬場の考察に流川が答え、染屋が冷静に語る。
批判されたと思ったのか、流川が何故か過剰に先輩の言葉に反応するひと悶着があったが、伊達が彼女を宥めて事なきを得る。
伝説や童話の発祥は中世のヨーロッパだ。
島国とは異なる環境は想像の余地を出ないため、一度議論は保留となった。
「ジャン、童話以外にはどうだ?」
「いくらでもある」
「だろうなあ」
簡潔な答えに笑った伊達は、浮かんでいた汗を爽やかに拭う。
馬場も少しだけ笑い、いくつかの作品名を出した。
「俺が好きなのは『セルノグラツの狼』だけど、いまの場合は『ゲブリエル=アネスト』の方が適切かな。どっちもサキの短編」
「『泊まり客の枕元においてなければ、女主人として完璧とはいえない』ってやつですね」
馬場の説明に坂下が反応する。
皆が彼を振り向くと、彼はきょとんと目を丸くした。
「俺だって、一応図書局に入ろうと思うくらいには読書しますよ」
元部活荒らしの一年は馬場が語る物語を知っていると答え、簡単にあらすじを説明した。
主人公は、私有地の森の中で見知らぬ少年と出逢う。
森の中で狩りをして暮らすと答える少年に疑念を抱いていると、おせっかいな家族が彼を家に招き入れ、名前を与えるのだ。
しかし、少年の正体が狼男だと判明し、急いで帰宅をした主人公は、ゲブリエルが近くの子供を送り届けに出かけたと聞かされる。
それきり二人の少年を見た者はいないが、ゲブリエルの衣服が川で見つかったことから、無名の少年は子供を救おうとして自分も犠牲になったと信じられるのだ。
子供の最期を知る主人公は、ゲブリエルの記念碑に寄付することを拒否する。
悲しみや残酷さをユーモアを持って語るサキらしい作品だと馬場も語った。
他にも馬場は、いくつかの作品名をあげた。
獣の伝承に時期を合わせたものから、現代風に改編されてモチーフの原型がわからないものまで、確かにいくらでもある物語は、人類がいかに狼を恐れているのかを推測させる。
馬場の低すぎず落ち着いた声が、心地の良い天候の景色に溶け込む。
ともすると眠たくなりそうな雰囲気だが、朗読会でリラックスしている暇はなかった。
「狼男も悪くないイメージは、比較的現代のものに限られそうね」
瀬成も自分の端末で確認したらしい。
魔法学校を舞台とした物語や、ファンタジー小説の名前をあげる。
城之があげたのはホラーアドベンチャーゲームだったが、狼男の生息地に興味本位で近づく人間のストーリーは、狼側に同情票が集まるようにできているらしい。
「ジェヴォーダンの獣が生まれたのは十八世紀か。なら、課題で言及されている獣は、危険な存在として考えた方がよさそうだ」
少なくとも、その辺りにいそうな無害な小動物では変わりが効かない。
馬場にも他のグループに出された問題を共有する。彼は考え込むように黙ってから、もう少し調べたいと言って通話を切った。
「いまの中で捕まえられそうな狼といえば、イソップの狼少年くらいかな。嘘ばっかつく奴を見つけて、ゴールまで引っ張っていけばいいんじゃないか」
染屋が、小柄な坂下を見下ろしながら呟く。
「染屋先輩、なんで俺を見るんですか」
「……坂下、よく嘘つく」
「城之まで」
楽しそうにじゃれる男性陣をよそに、女性陣は腕を組んでいた。
何かがわかりそうでわからない。
そんな空気が流れた後、流川が諦めたように溜息をつく。
「エントリー問題って話題作りのためのとんちのようなものなのでしょう。答えようにとってはいくらでも正解がありそうですね」
「そこなんだよな。いっそ、これが獣ですと言い張れるなにかがあればいい」
当たり前のように女性陣に混ざる伊達もお手上げとばかりに両腕をあげた。
ふわりと制汗剤が香り、疲労に淀む思考を少しだけ晴らす。
しばし訪れた沈黙を破ったのは、またしても杉江の遠慮がちな声だった。
「捕まえた証拠があればいいのかしら」
「証拠?」
「さっきのゲブリエル=アネストのように衣服の一部とか……いなくなった、捕らえたという確かなものを持ってゴールすればいいのかもしれません」
「狼を殺せると言われている植物を採取するとか?」
「狼男の伝説だと、銀の弾丸で殺せると言われてますよね」
「それ、吸血鬼じゃなかったっけ」
「吸血鬼にも有効だね。グリム童話にボタンで魔女退治する話もあったような」
「なんか、とっちらかってきてません?」
口々に出たアイディアはまだ確証とまでいかない。だが、問題を答える突破点にはなりそうだ。
南方が時計を見る。どちらにせよ、そろそろ先に進んだ方が良さそうな頃合いだ。
「生徒会の思惑に乗るのは癪ではあるが、対話というのは大事だな」
局長らしく皆の意見をまとめた彼は、順番に知っている物語を話していくことに決めた。
一年が順番に自身の知識を披露する。
正規の道とショートカットコースを行き来するうちに、歩くことにも身体が慣れてきたようだ。
思えば、受験勉強に本腰を入れ始めたあたりから、僕も運動不足ぎみだったのだろう。身体を動かすつらさはあったが、汗をかくのは心地よさすらあった。
思えば、一年が加入してからは、まだ一度も読書会が開かれていない。イベント事が多かった春も終わりを告げ、そろそろ夏休みも近づいている。補習で顔を合わせることにはなるだろうが、長期休みの前に一度開催をしたいと南方が告げれば、城之や流川は手放しで喜んだ。
途中、皆で道端に腰かけて昼食を食べる。
協力して問題をとく。
そうしているうちにすごろくは終盤に近付き、首筋を焼いてた日差しも微かに和らぎ始めていた。
途中、クラスメートと歩く安藤前と出逢った。
三年のグループで行動していた彼は、僕たちのエントリー問題を聞くと少しだけ笑い、いつもの穏やかな調子でアドバイスをくれた。
安藤曰く、この先は二つのルートに分かれているらしい。
危険だがゴールに近い道と、安全だが長い道のり。
提示された選択肢を、南方は迷いなく選ぶ。
やがて辿り着いた先は、それこそ狼がいてもおかしくはない鬱蒼とした空間だった。
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