9 ジェヴォーダンの獣



「ジェヴォーダンの獣を掴まえて、共にゴールせよ?」

 携帯電話のスピーカーから、馬場ジャンの寝ぼけたような声が聞こえる。

 生徒会から出されたエントリー問題だ。

 聞き慣れない言葉は、いまのところ見当もついていない。

 なぞなぞにも聞こえないし、ヒントがあるわけでもない。皆目見当もつかない問題に、答えを見つけるのは不可能だと思われた。

 だが、答えを見つけるために、文明の利器を使ってはいけないというルールはない。

 私立二河原高校は、携帯電話の持ち込みは自由だが、校内で使用は禁止している。教師に見つかったら没収される運命のため、生徒は大人の目を盗む方法を模索する。

 校外の行事であっても、普段の校則は有効だ。

 歩きながらの使用はもってのほかで、教師に見つかれば厳重注意とペナルティを受けることになるらしい。

 南方が険しい道を選んだのは、最初からこれが目的だったようだ。


 どこかに電話をかけた南方は、相手の音声をスピーカーで聞こえるようにした。

 やがて聞こえてきた馬場の声は、寝起きのように呂律が甘い。

 南方が気遣うような声をかけている間、僕はそっと移動した。

「馬場先輩、今日はどうしたんですか」

 馬場は休みと聞いていた。耐久遠足くらいなら問題なく出席ができると聞いていたため、その知らせは意外であったのだ。

 電話の向こうは、寝込んでいる様子でもない。

 彼の事情も承知な伊達を選んで訊ねると、彼は、僕の疑問にあっさりと答える。

「駅で階段から落ちたって聞いた」

「え、」

「大きな怪我はないみたいだ。ああやって話せるくらいだし」

 こちらを安心させるように付け加えた彼は、まるで、よくあることのように肩を竦める。

 伊達は、指定のジャージ姿であっても野暮ったさを感じさせない風貌を保っている。

 出発する前に杉江が伊達の連絡先を聞き出そうとしていたが、断る様子はよく慣れていたのが記憶に新しい。名は体を表すを地で行く先輩は、僕の追求を察して唇の前に指を立てた。

 今日は、安藤前や佐羽まりえの姿もない。

 彼らはクラスメートと約束があったようで、図書局の力なしにゴールに向かうつもりのようである。

 同じく、三鷹晦の姿も見えない。

 彼は彼女と歩くのだと南方に宣言していたらしく、そもそも誘っていないと聞いている。

 いつもより少ない二年メンバーは、図書局にとって大きな痛手だ。そこで、やむを得ず欠席となった副局長を、南方は外部のアドバイザーとして使うつもりらしい。

「部屋にいるのなら、インターネットが使えるだろう。お前の情報収集能力を見せてくれ給え」

 南方が発破をかけるように言うと、馬場はまんざらでもなさそうに了承を示した。

 伊達のいうとおり、重傷体というわけではないのだろう。生徒会に出された問題を繰り返した彼は、少し沈黙を挟んだ後、移動するような音を立てた。

 マウスをクリックする音が聞こえる。やがて、見つけた情報を皆に聞かせ始めた。


 馬場が自身のパソコンで調べた内容によると、聞き慣れないそれらの単語は、古い狼伝説の一つらしい。


 ジェヴォーダンというフランスの地方で獣騒動が起きたのは、二百年以上前の話のようだ。

 十八世紀、狼に似た生物が人を襲う事件が発生した。

 その獣は、牛ほどの大きさで、広い胸部を持っていた。ライオンのような尻尾を持ち、狩猟犬のような頭部が特徴だ。

 全身が赤い毛で覆われ、黒い縞模様が入っていたとされている。

 映写機もない時代、どこまでが本当かはわからない。もしその姿が真実ならば、狼というよりも物語に出てくる人狼を連想させる描写である。

 普通、狼は獣を襲うことはあっても、人間に襲い掛かることは少ない。

 しかし、伝説の獣は牛を避けて、人間を標的しているようなところが見られた。

 人間の内臓の味を覚えた獣か、はたまた新種の生物だったのか。ハイエナが、狼と犬の雑種と見るのが現代では通説のようだ。

 狡猾で強靱で、訓練した剣闘士のような知性。

 現代に残っている資料はあらゆる作家にインスピレーションを与え、誇張されてきたのだろう。

 狼とは思えない特徴に、耳を傾ける皆の顔も半信半疑だ。

「最終的に仕留められたけど、疑惑は残っている。そのことからいろいろなフィクションにされていまでも憶測が飛び交っている題材みたい」

「ふむ。つまり、知っている者がいてもおかしくはない。または、その程度は調べればわかると踏んでの出題か。我々がフィクションに強いことを知っての課題ならば、この難易度も納得というものだ」

 エントリー問題の意図を推測する南方は、どこまでも前向きだ。

「そんな危険な狼を捕まえるなんて、不可能じゃないですか?」

 馬場の説明を書き留めた流川が、弱音を漏らす。

 大真面目な彼女の不安を笑い飛ばしたのは、やはり坂下だった。

「こんなマラソンコースに普通、狼なんています? いるのだとしたらマジで危険じゃないですか」

「何かの比喩と考えるのが妥当だろう。さすがに生徒会が不可能なことを生徒にさせるとは思えない」

 染屋が慎重に告げ、南方も同意した。

「そういえば、この問題は『図書局にぴったり』って話でしたよね」

 思いついたことを言うと、全員の視線が僕に集まった。

 いつもの光景だが、何度経験しても慣れないものだ。

 躊躇った僕を手伝うように、南方が問題を出されたときの状況を語る。


 南方曰く、僕らに問題をだした生徒は鈴鹿汀路という二年生のようだ。

 陰気で根暗、陰鬱な表情を常に浮かべている男は、生徒会の一匹狼として有名らしい。

 誰にでも同じ態度、誰にも心を開かない。

 言動も投げやりで、全てに対して野心や関心がないように見える。

 だが、成績は常に優秀。生徒会の働きぶりも悪くはない。暮林が信頼し、次期会長として囁かれることも多い生徒と局長は語る。

 次期会長候補として、根津と鈴鹿、どちらが優勢なのか。どちらも人好きのするタイプではないため、結果は選挙をしてみないとわからないだろう。

 とはいえ、彼が意味のない発言をしないことは、共に聞いていた南方も保証してくれた。

「つまり、鈴鹿はこの狼を捕まえたといえる行動をしろってことを言いたかったのかもね」

 皆のやりとりを聞いていた馬場が、冷静な判断を下す。


 とはいえ、まだまだ結論を出すのには情報が少なすぎる。

 皆が頭を捻ったとき、ふと、それまで黙っていた杉江が手をあげた。

 南方が発言を許す。彼女はか細い声で、おどおどと自身の考えを口にした。

「もしかしたら、図書局にぴったりってことは……、いろんな狼伝説を取り扱った物語にヒントがあるのではないでしょうか。図書局は、本が好きな、人たちですよね」

 一般生徒による無邪気な偏見に、坂下や城之がそわそわと目を逸らす。読書好きが集まっているのは確かだが、常日頃から本に齧り付いているのは一部である。

 反対に、南方は目を輝かせ、名推理だと一年女子を褒め称えた。

「ジャン、その方向で調べられるか?」

「うん。いくつか思い当たるのはある。見つかったらまた連絡する」

 一度電話は切られる。スマートフォンは南方のジャージに大事にしまわれた。教師に見つかったら遠足中でも没収である。

 彼は大事な情報源を服の上から叩き、休憩は終わりと皆に告げる。


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