5 学力すごろく
二河原高校地獄の伝統行事は、生徒の出席単位がかかっている。
競技に出れば単位がもらえた体育祭と異なり、参加をし、ある程度の地点まで歩いたことで初めて出席扱いになると聞いていた。
だが、数年前からそこにもう一つ条件が加えられた。
それが「学力すごろく」と呼ばれる、多くの先輩たちを苦しめてきた要素である。
南方による説明によると、学力すごろくのルールはこうだ。
生徒は遠足当日、すごろくのマス目が書かれた地図を渡される。
出欠の確認を受けた生徒は、グループ、または個人ごとにさいころをふり、最初に進む距離を決めるのだ。「さいころの目で一か六が出れば、もう一度だけ振ることができる。次の移動は二回分の目の数となるため、最大で十ニマス進むことが可能ということだ」
それを繰り返し、ゴールまで辿り着けば終了である。
それだけ聞くと普通の遠足となんら変わりないが、わざわざ進む数を制限するのには理由がある。
マス目には教師、または生徒会の人間が待機している。そこで通過のチェックを受け、問題が書かれた用紙が配られるのだ。
「簡単ななぞなぞのようなものから、数学、現国、生物や地理など、普段の試験と変わらない難易度の問題まで出題は完全ランダムだ。つまり、二学年のグループが三学年の問題を引くことも、ルール上はあり得てしまう」
ある程度の調整はその場で行ってもらえるようだが、不正解であれば次のマスに進むことができない。
ただ歩けばいいだけではない。歩いた上で学力も問われる。
地獄のような仕組みに、普段は口から先に生まれてきたような坂下すら絶句をした。
その上、学校行事には制限時間がある。
出席となる最低限のラインをそれまでに超えなければ、問答不要で「欠席」となる非情なルールらしい。
「アカハラじゃないですか……」
瀬成が不安げに呟き、染屋が同意する。
「まあ、出欠に関しては多くの生徒が毎年クリアしている。そこはあまり心配しなくていいだろう」
南方が馬場に同意を求めて、椅子ごと戻ってきた彼がそれは保証した。
体育欠席常連の彼が単位を取れるくらいだ。ラインはスタート地点から数キロのところに設置されているらしく、ひとまず皆が安堵する。
「でも、そんなすごろくがあるなんて話、オリエンテーションでは聞きませんでしたよね。まるで、一年生には準備をさせたくないみたいな」
「おそらく、教師の意図はそれだろう」
流川が首を傾げ、南方が頷く。
事前準備が必須な制度を一年生に説明しないということは、今年の一年には準備をさせたくないというのが教師陣の総意なのだろう。先輩たちが青ざめるはずである。
「二高では、春のうちに友達を作れと言われるのは、君たちも知ってるな」
染屋が、一年生を見回す。
もともと彼の元で剣道を学んでいた城之が勢いよく頷き、あちこちの部活に顔を出したという坂下も「どっかで聞いた」と告げた。
僕は、この司書室で聞いたのだ。
同じクラスに桶田という友人がすでにできていた僕は聞き流してしまったが、あの言葉は切実なメッセージなのだと彼は言う。
春のうちに人間関係を作ること、それは耐久遠足での勝利につながる。
つまり、二河原が求める自主性のある生徒の形成という目的に則った最初の試練というわけだ。
「……変な学校」
「だな。でも、部活に入った生徒は先輩達から誘ってもらえるし、それを推奨するような言葉は教師も口にしていた。これまで一年が全く知らないなんてことは少なかったんだが」
「大封先生もそれだけ本気ということだろう。いや、事前に収集をかけて正解だった」
「さすが君だ」
「嵐先輩に褒めてもらえると鼻が高い」
イチャつく先輩たちをしり目に、僕は今一度、耐久遠足のプリントを引っ張り出した。
出席に関する説明はあるが、すごろく要素については何も書かれていない。
だが、個人ではなくグループでの行動を推奨するような文章を見つけ、巧妙な手口に感心する。
運動部はすでに新規の入部を締め切っているはずだ。
文化部は夏休み前までに入部届を出せば間に合うと聞いているが、そんな仕組みを覚えているくらいならとっくに所属を決めているだろう。つまり、現段階で帰宅部、もしくは部活動に熱心ではない一年は、ぶっつけ本番で遠足に挑むこととなる。
しかし、生徒同士の繋がりがあればあるほど、情報は集まる。
帰宅部でも、クラスに情報を持つ友人がいれば、今回の危機は回避できるだろう。
まるで、生徒を試すような記述だ。僕はうっすらと抱いた違和感に首を傾げながら、簡素なプリントを折りたたんだ。
「局長、さきほどおっしゃってたエントリーというのは、どういう仕組みなんですか」
僕と同じようにプリントを見返していた流川が訊ねる。
「任意で、事前にグループで参加することを表明できるのだ。複数でエントリーをした際は更なる課題が追加されるが、すべて達成を出来た際に特別なボーナスがもらえる」
「ジュースとか、アイスだけど」
「しないよりはマシだよね。受付も省略できるから少しはやく出発できるよ」
先輩たちの説明に、多少の希望が見えてくる。
南方曰く、課題を達成できなかった生徒には、夏休みに補習が追加されるらしい。
補習は、全生徒が成績に関わらず、一日以上長期休暇中に参加することになっている。
補習をサボるとさらなるペナルティがあると聞いて、僕はそれ以上聞くのをやめた。
「さて。改めて皆に参加の意思を問う。図書局に限らず、すでに独自のグループを持つ者は強制しない。ただし締め切りは明日だからな。早めに決めたまえ」
「俺は南方さんと行きます」
真っ先に城之が手をあげる。
南方が用意したエントリー用紙に名前を書き、坂下と染屋もその横に名前を追加する。
瀬成が丸い字をつけたし、流川に用紙を渡す。
流川すみれは逡巡した挙句、友人と相談してみるとこの場での決断は保留にした。
僕は名前を書いた後、ふと思いついて桶田の名前も記入した。
帰宅部で先輩に知り合いを持たない彼にとって、いまの話は寝耳に水のはずだ。南方も僕の友人を歓迎し、最後に馬場が端正な字を書いた。
「安藤先輩と佐羽はクラスメートとの付き合いがあると言っていたな。カイはわからないが、あいつはどうせ来ないだろう。あとは鏡也だが……」
「減る分にはいいだろう。あいつの名前も書いておこう」
「え、」
染屋の声に、思わず声を出す。
反応したのは僕だけではなかったらしい。見れば流川や坂下も目を丸くしていて、瀬成に至っては口を手で覆っていた。
下級生の反応に眉をひそめた染屋は、ばつの悪い顔でそっぽを向いた。
伊達鏡也と染屋嵐の不仲な様子は、数週間顔を合わせただけの僕らにもわかるほどだ。
いとこ同士で家も近いという彼らは、それこそ生まれた頃からの仲である。
だが、なにかと反発しあってきたという彼らの歴史は、決して交わることなく進むはずだった。
しかし、何の因果か偶然同じ高校に入り、偶然、同じ図書局に在籍をしている。
根が似ている以上、どうしても避けられない同族嫌悪なのだろうと、以前伊達は漏らしていた。
血縁がわかってしまえば、彼らの風貌は非常によく似ているとわかる。
洒落た様子の伊達と異なり、自然体といった印象の強い染屋だが、彼の整った目元や恵まれた体躯は十分異性にモテる理由となる。
過去には同じ女子を取り合ったこともあるらしく、どちらが勝ったのかは闇の中だ。
没交渉をすることで現在は冷戦状態の二人だ。
しかし、歩み寄る気持ちは、少なくとも染屋側にあるらしい。
彼は後輩たちの反応を振り払うかのように、乱暴な字で伊達の名前を付け足した。
南方がにっこりと笑う。
彼は嬉々としてプリントを回収すると、大事そうに手元の原稿用紙と重ねた。
「これで図書局からは孤独な試練を迎える心配がある者はいなくなったな。結構、結構。当日は皆、よろしく頼む」
「そういえば、作戦って言ってましたが、試験問題は対策しようがあるのですか」
「こればかりは、日々の積み重ねしかない。だが、抜け道は色々あるのでな」
南方がエントリー用紙を畳んだころ、職員会議を終えた平森が戻ってきた。
いつの間にか、時刻は五時前である。
閉館作業に皆が立ち上がり、掃除用具を片手に司書室を出ていく。
僕は皆より先輩局員ということもあって、一年が率先することになっている掃除を今月は免除されている。
カウンターに残ると、馬場が椅子の上で伸びをした。
「試験問題より、エントリー問題の方が難しいんだよね」
「え?」
欠伸交じりに、先輩が告げる。
眠たげな瞳で俺を眺めた馬場は、彼らしからぬ無責任な様子で「なんとかなる」と囁いた。
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