2 花の高校生活
◇◇ それは不可能です、ナポレオン ◇◇
初夏の風に誘われるように花が一斉に咲き乱れる頃。
僕は先輩達に誘われて、休日に二河原高校がある矢車地区を訪れた。
その週末から幾夜かが過ぎた水曜日。
一年七組の教室はいつになく静寂に満ちていた。
五月に始まった図書局の展示。
六月の上旬に行われた体育祭。
前後に起きた未貸し出し本紛失事件と中間試験を経て、僕、椿斗真にとって高校生活初めての初夏が訪れた。
私立二河原高校の制服は男女共に機能性を重視したブレザーで、六月の一か月間は衣替えの時期にあたる。まだ気温が上がり切らない日は上着の着用が認められるが、汗ばむような日は夏服の着用も可能となる。
生徒の自主性を重んじる校風は、生徒の身だしなみにも影響する。
各個人の体質に合わせて着こなしを変化させることができる。この時ばかりは普段の統一性が強い教室の風景も、バラエティーにとんだ印象となった。
すでに夏服が板についた様子の城之は、先日の古本市で購入した岩波文庫を読みふけっている。
友人である桶田は真面目に教科書を開いているが、ページが進む様子はない。彼のブレザーがはやくもくたびれぎみなのは、彼がこの一か月、頑なに上着を脱がない為だろうか。
僕は教室を見回すのをやめ、机に開いたままのノートを見下ろす。
ノートに記されているのは、激動に過ぎ去っていった春からの日々だ。
僕が二河原高校図書局に入って、三か月ほどの時間が経った。
自分自身、考えもしなかった選択だ。思いのほか日々は充実し、僕の予想もしていなかった光景でノートが埋め尽くされていく。
二河原高校図書局は、現在二人の三年生と、五人の二年生が在籍している。
その上、この六月からは一年が新加入し、僕も同僚と呼べる存在が四人に増えた。
クラスや得意分野も異なる生徒十二人。数千人の生徒が通う校内にとって少数精鋭もいいところだが、春の時点で六人しか在籍者がいなかったことを考えると大きな変化である。
図書局の活動は、主に生徒への本の貸し出しや、学校図書館の管理である。
地味で達成感も少なく、感謝をされるわけでもない。図書館を利用しない生徒も多い。いてもいなくても変わらない存在だ。
だが、僕の胸に確かにある充実感は、他では得られないという自信があった。
二河原高校図書局は、変わり者の巣窟である。
本が好きという共通点を除けば、それぞれの繋がりは薄い。数度の読書会を重ねて判明したことだが、そもそも読書の趣味が見事なまでに重ならない。本の扱い一つとっても考え方が異なる。
書架作りの議論に発展しないのは、図書館にはすでに存在する一定のルールのおかげだろう。
そんな変わり者集団の中で、とりわけ目立つのが、現在局長の任を持つ一人の生徒だ。
彼が起こした奇行や、教師でさえ扱い兼ねる言動から、ついたあだ名が「二河原のナポレオン」
僕が図書局に入ってからの三か月は、彼に振り回される日々だったといっても過言ではない。
巨大な本を作り、そこから飛び出すというパフォーマンスを見せた新入生歓迎会。
局員募集の為に部活対抗リレーに参加し、そこで歴史に残る大コケを見せた体育祭。
すでに二つの学校行事で目立ってみせた彼の名は、新入生にとっても聞き慣れたものになりつつある。
二学年の生徒には、彼の名を聞くだけで不快さを隠さない者もいるという。
図書局には近づくなと、あからさまに警戒を見せる生徒も存在した。各部活や委員会で先輩との交流も出来、偏った価値観を受け付けられた一年生も増えてきているのだろう。僕のような地味な存在にすら後ろ指立てる生徒も観測されている。
まるで二河原の七不思議かのように囁かれる存在は、僕が思う以上に有名人だったようである。
授業で雑談する教師の中には、何かと南方を引き合いに出す者がいた。
曰く、去年の一年にはこんなとんでもない奴がいた。こんな問題児がいた。こんな騒動があって教師陣を呆れさせた。反面教師にように名前を出し、同じ轍は踏むなと面白おかしく諭すのだ。
僕が彼の元で局員をしていると知っているクラスメートは、その手のイベントが起こる度に僕を笑う。心なしか、近頃は僕まで教師たちから目をつけられている思いがする。
だが、どこかでそんな瞬間を心待ちにしている自分がいることを、僕は正直に認めよう。
花の高校生。
十代中盤の生徒たちが一心に持つのは、認められたいという承認欲求だ。
要は、南方の虎の威を借りて周囲から認識された僕は、図書局員という新たなアイデンティティに満足しているのである。
彼に個人的な興味を持った僕は、彼について記録することにした。
図書局従軍記と名付けたそれらの記録は、家族にだって見せないトップシークレットだ。
現在、全国で高体連が行われている。
全国高等学校体育連盟が主催する全国高等学校総合体育大会の略称で、スポーツ部に参加している生徒にとっては一年で大きな目標となるものだ。
スポーツ強豪校として名をはせる二河原高校にとっても例外ではなく、この時期は多くの生徒が学校を飛び出した活動の機会がある。
学校は参加選手の公欠を認め、激励のための総会も開くほどだ。私立高校にとって知名度はそのまま学校の発展につながる。公立高校に比べても教師陣の気合と期待の大きさが異なり、優秀生徒を全面的に支援する方向だ。その甲斐あって、今年も各部活が様々な記録を出しているらしい。
バドミントン部が決勝まで進んだことにより、数学担当の教師が本日は不在だった。
自習を言い渡しにきた教師は監視の役目をあっさり投げ出し、自分の仕事を片付けに行った。抜け出したり騒いだりしないのは進学校ならではなのかもしれない。これまで僕が通っていた公立学校では考えられなかった光景である。
僕は周りの生徒が各々の世界に熱中しているのを確認し、これまでの記録を見直した。
いずれはどこかに掲載するに値するものになるだろう。細かな表現やエピソードを付け加えるうちにノートは文字で埋まっていく。悪戯書きや関係の無いメモ書きも増えていたが、清書をする頃に削除をすれば問題はない。
記録を充実させている間、壁を隔てた先から隣のクラスが授業をする音が聞こえてきた。
大きな声は、厳格で有名な二年七組の担任教師の声だろう。
南方は自身の担任教師と馬が合わないという噂だが、南方自身から教師の悪口を聞いたことはない。僕のクラスで授業をすることはないため、彼の人となりはまだよく知らなかった。
そもそも、南方が何故あれほどまでに大人に反抗的なのか、集団生活に溶け込まないのか、僕はまだはっきりとした原因を見つけられていない。
古本屋の店主には礼儀正しい姿を見せ、平森には常に従順な姿勢を見せている。
図書館によく見回りに来る用務員にも敬語を使い、彼はどこにでもいる好青年のように見えることも多い。
僕が知る南方と、教師からの評判とでは、印象がちぐはぐだ。
ふと思いついて、ノートの新しいページを開く。
どこまでいっても謎が多い先輩について、僕は知りたいことをリストアップすることに決めた。
僕が作業に夢中になっているうちに、時計の針がまたひとつ動き、貴重な自由時間をまた一分減らす。
ペンを持つ指がじんと痺れてきたころ、尻ポケットで携帯電話が小さく震えるのを感じた。
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