18 事故とその後
同じ中学出身であるという安藤、佐羽、馬場の三人は、当時から交流のあるいわゆる「幼馴染」だそうだ。
学年も異なる彼らの繋がりは、現代と同じく、部活動らしい。
聞けば彼らは野球をやっていたと言い、流石の僕もそれには驚いてしまう。
「椿くんもやってたんだってね。南方が言っていた」
「ええ。でも、二高の野球部は強豪なので」
「うん。僕も完全にやめてしまった」
マネージャーをしていたという佐羽も、もう野球に関わることはないと決めているようだ。
理由を尋ねると、二人は部屋の隅で置物になっている男を振り返る。
馬場ジャンが怪我をした瞬間に、二人も居合わせていたらしい。
部活動の大会の帰り道、生徒だけで球場から帰宅する途中で、その事故は起こった。
狭い道にバイクが突っ込んできて、その事故に巻き込まれる形になったらしい。
怪我をしたのは転倒したバイクに一番近い場所にいた生徒と、その生徒を咄嗟に庇った馬場のみ。他の生徒は全員無事だったが、以来、佐羽はバイクが怖いらしい。
それほどの事故だ。
馬場が体育をほとんど見学しているという理由に合点がいく。
しかし、話は僕の考えとは少し違う方向に展開した。
手術とリハビリを終えた馬場は、数か月後、何事もなかったかのようにチームに戻ってきたらしい。
馬場が庇った生徒は軽傷だったが、球を投げられなくなった馬場への責任を感じて塞ぎがちだった。
だが、馬場はポジションの転向を受け入れ、それまでエースのピッチャーの一人だった地位をあっさりと捨てた。守備としてチームに貢献する意思を見せ、練習にも積極的に顔を出した。
その時点で、まだ肩の固定が外れていなかったというから、恐ろしい行動力だ。
思えば、馬場という人間は僕が出会ってきた中でも群を抜いて真面目な男なのである。
守備として練習着を纏うようになった馬場は、器用になんでもこなした。
幼い頃から野球をやっていた為、どのポジションもある程度の経験があったらしい。
以前のように剛速球を投げることはできなくとも、鋭いプレーを見せることもあった。
若い肉体は順調に回復し、半年後には誰も彼が大怪我をしたことなど思い出さなくなった。
だが、ある大会の日、スタメンに入っていた馬場に打順が回ってきた瞬間、全てが止まった。
練習では何事もなかったように野球をしていた彼は、大会で初めて調子を崩した。
バットを振ろうとするたびに身体が強張り、バランスを失った。
打順が回ってくるたびに動揺し、最終的にはバッターボックスに入ることさえできなくなった。
真っ青な顔でうずくまった馬場の顔が忘れられないと、その場にいた安藤は語る。
「本当は、ずっと無理していたのかもね」
彼は寂しげに言うと、呑気に眠る後輩の背中にため息をついた。
真面目な男は、その責任感からチームに戻った。
だが、その責任感の強さ故、チームに貢献できないことに耐えられなかった。
以来、スポーツで何かを求められる場面になるたび、動機や息苦しさに襲われ、立っていられなくなることがあるという。
スポーツ選手に多い症状のようだ。過度なプレッシャーに耐え切れずパニックを起こして、現役を引退するプロも多いらしい。
馬場の場合、症状が出るのはスポーツに限られている。
よって日常には何の支障もないようだ。学年が異なる僕は、体育祭がなければずっと知らないままだっただろう。
「馬場は、一時期は学校もよく休んでいた。怪我は治ったのにと周囲に噂されて、ますます出てこれなくなっていた」
安藤から話を引き継いだ佐羽は、手元の文庫本をぱらぱらとめくりながら囁いた。
開けた窓から入る風で、窓際のドリームキャッチャーが回る。
本物の鳥の羽が使われているそれは、風がふくと、羽ばたきのような音を微かに立てていた。
「家が近いから、プリントを届けるように言われたの。そのときに何もすることがないと言っていたから、本を貸した。あいつが野球以外に好きなものがあるとは思わなかったから、野球の話」
佐羽の長いまつげが、羽のように瞬く。
僕が息を呑むのも構わず、彼女は静かな瞳で続けた。
「次の日、久しぶりに学校に来た馬場は、続きが読みたいって私に言ってきた。本なんてそれまでほとんど読まなかったくせに、あっという間にシリーズを読破した。他にも読みたいっていうから、安藤先輩のおじい様の話をしたの」
「馬場が元気になったのは、それからだね」
それからの馬場は、僕が知る姿に近い。
常に本を開き、活字であればなんでも目を通す。それまでは部活動の先輩後輩に過ぎなかった安藤と友情が芽生えたのもそれからで、以来、彼はほとんどこの部屋に住み着いているらしい。
馬場が本の収集をしているのも、安藤の部屋に触発されてのことだろう。
事故と怪我をそうして乗り越えた彼は、高校も安藤と同じ二河原へ進み、迷わず図書局に入局した。
「南方くんと知り合って、ますます笑うようになった」
安藤がつぶやく。
馬場が笑みを浮かべる姿は、貴重な光景だ。
常に能面のように表情が硬く、話をしていても口や目元をあまり動かさない。冷静な口調は言うまでもなく、どうやら誰に対してもあの調子のようだ。
背も高い為、ほとんどの人間の第一印象は「怖い」だろう。
だが、付き合いの長い彼らには違って映っているようだ。
首を捻る僕に、安藤は「そのうちわかる」と無責任なことを言う。
ふと、ひと際大きな風がふいた。
窓ガラスが揺れ、ドリームキャッチャーが大きく回って影を変える。
それまで置物のように眠っていた馬場が、驚いたように身じろぎをした。
そのまままた寝入りそうな背中を、安藤が叩く。
「椿くんが来てるよ」
「……つばき」
「まだ寝るなら布団を貸すからどけれるかな。君が書棚を塞いでる」
何かをもごもごと言った馬場が、緩慢な仕草で身を起こした。
鋭い瞳がいつもより心なしかやわらかだ。
カーディガンがそうさせるのか、中性的でもあるシルエットで座りなおした馬場は、いつもより小さく見えた。
「ん、あれ。椿がいる」
「おはようございます。お邪魔してます」
「水分補給。寝ながら肩庇ってたけど、痛いの?」
「んー、明日、雨降りそうですね」
安藤の世話焼きにもぼんやりと答える馬場は、本当に彼らには気を許しているらしい。
付き合いの長さを実感し一人胸を高鳴らせる僕を置いて、彼らは言葉少なに会話をする。
許可を得て、ようやく宝の山と対峙できた僕は、先ほどまで馬場が眠っていた場所に腰かける。畳には、まだほんのりと人肌が残っていた。
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